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Spinnaker's Music Clip board
皆さま、スピンは元気に過ごしております!

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・・・

・・・5歳くらいのことだったと思う。

 といっても、そんなことあったかなー、とスピンは思い出せないでいる。


 母は当時中学校の先生をしていた。毎年、春の終わる大潮のころ、中学校では遠足があった。

 遠足といっても、今のようにバスや飛行機で移動するような豪華なものではなく、文字通り 歩いて

 目的地に行き、夕方にはまた皆で歩いて帰ってくるものだった。


 母の中学校の行く先は常に大潮の海であった。いわゆる潮干狩り。

 その年、父が結核の療養所に入っていて、幼いスピン君も遠足についていくことになった。


 遠足に行く、ということより、海辺に行くと聞いて、スピン君の目が輝いたそうだ。


 遠足当日、スピンは中学生の行列の先頭に立って、ものも言わず、目をくるくると輝かせながら、

 走るように歩いた。

 ・・・

 ・・・

 海辺に到着して、スピン君は必死の形相をして海を見渡し、何かを探している風であった。

 ・・・

 帰宅の時間が来たころ、なぜかスピン君は至極不機嫌な表情。往きとは打って変わって、

 足取りも重く列に並んでいた。

 ・・・家に帰ると、いつもは大切にしている絵本を部屋の窓から放り投げ、ふて寝してしまった。


 母には訳が判らない。


 二日位たって、母が海は楽しかったか?と訊ねた。


 スピン君、「もう、海には行かない(怒)」

 母、「どうして?面白くなかったの?」

 スピン君、「だって本のような海じゃなかった!」

 母、「???・・・」

 ・・・

 ・・・

 スピン君、「鯖やイカや鯛があの海にはいなかった。ご本のような海じゃなかった!

 もう、絶対、行かない!!」


 母は、ようやく思い当たった。

 スピン君が読み込んでいる「海辺の生き物」という名の絵本には、確かにお魚が海の上に浮いている

 ように書いている。

 どうも、スピン君はそれを片端から大量に拾ってくる気であったらしい。

 そう気がついた母は、ケラケラ笑い転げた。

 隣家の小母さん達も、その話を聞いてしばらく大笑いしていたそうだ。


 幼いスピン君は、ムッツリとしていて、しばらく機嫌が悪かった・・・らしい。

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【思い出】 桃太郎

・・・

・・・3歳か4歳のころだったと聴かされている。

 そのころずいぶんと田舎の町に住んでいた。母が教師をしていたこともあり、父が(当時珍しい)大卒

 ということもあり、早くから御伽噺や絵本になじんでいたスピンでありました。


 近くの小母さんは若くて臨月間近にもかかわらず、大きなおなかを抱えながら、毎日バケツで水汲みに

 近くの泉まで何度も往復していた。(当時、水道なんてものは無かった)

 せっかく小母さんが汲み上げてきたバケツの水に、下駄を突っ込んでパシャパシャ洗っては、

 「こら〜!」と怒られ、その度に父母はメチャメチャ謝っていたらしい。


 スピンはケロリとしていたらしい。ただ、・・・赤ちゃんが生まれるらしい小母さんが毎日水汲みに

 川に行っている・・・ことが何かを連想させていたらしく、期待いっぱいの目つきをしていたらしい。


 その小母さんがついに赤ちゃんを産んだ。

 家は隣あわせでもあり、産声が聞こえる。聞こえた瞬間から小さなスピン君はソワソワしていたらしい。

 母が出産の手伝いから帰ってきて、「元気な男の子だったわよ」といった瞬間、スピンは隣家に

 すっ飛んでいき、がらりと玄関を開けて叫んだ!

 「桃はもう食べちゃったのか?!」

 手伝いに来ていた人たちは皆、ポカンとしてたが、直ぐに何を言っているのか判って大笑いになった。

 その夜のうちに、スピンの話は村中に広がったらしい。

 両親はしばらくやるせなかった・・・といっていた。


 私は覚えていないが、90を迎える母が未だに会うたびにこの思い出を楽しそうに話す。


 父は若いころ病んだ結核の影響か、60歳代に気胸を起こし、常人の肺の四分の一の肺になり、

 呼吸困難と精神錯乱と闘いながら86歳まで頑張った。が、5年前に逝った。

 学徒出陣・偵察機乗り、特攻隊候補という厳しい青春を送ったが、気概を持って生き抜いた。

 誇らしい父であった。

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 ・・・・

 ・・・・ いつか、

 いつか時期が来たら、記事にすることもあるかもしれないと想い、ジャケットだけは仕舞いこんでいました。


 「ホロビッツ plays スクリャービン」というレコードは、学生時代20才の歳になけなしの金を

はたいて買い込んだ 大切な一枚です。


 このレコードの3曲目、エチュード 作品Bは、まるで、愛した人の面影をそのまま曲にしたような、

 恋の音楽、そのものでありました。

 山道を一緒に山菜取りに歩き、先に行く彼女をほほえましく眺めながら、振り返り笑顔で手を振る姿

 を、小雨の降る山道の心地よいしめった空気の中を追いかけながら、周囲に満ちる心休まる音楽を

 聴いていました。

 「あの人が包まれた曲」であり、青春の空白を埋めてくれた、胸焦がれる、でも心暖まる音楽で

 ありました。

 スピンの青春の忘れられない一ページです。全てはそこから始まりました。

 20才のここから、スピンの道は始まりました。このレコードを何があっても、捨て去る気には

 なれませんでした。


 予感したことが、スピンのばあい、必ずや現実になるのです。

 というより、現状を見詰めていたら、将来こうなるわな・・・と描いてしまい、

 そうなりたくはないとアガいてみても、やっぱりそうなってしまう、ということが沢山ありました。


 スピンはもう永くはない、そんな予感、は果たして現実のものとなるでしょう。

 その前に懐かしい景色をもう一度だけ見に行きたい、と想っています。

 出かける前に、回顧録を書き残しておきたいと想いました。

 
 振り返ると、永い、遠い、くねった道でした。でも、一生懸命に、心を残すことなく、歩きました。

 そして、精神の高揚の火が消え去ろうとしている今、ふと、ここからの記憶を辿っておきたくなりました。


 いつか、誰かが、読んでくれたら、と願いながら、最終章を書き始めてみようと想います。

 

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 またしても入院生活のスピンです。 
 
 体のどこが悪い、というわけでもないのです。しかとした病名がついているわけでもありません。

 肺炎を起こしているのなら例えば氷嚢をあて布団の中で眠り、定時に処方された薬を飲むのでしょう。

 私のは、しかとした病名がありません。

「極度の心身の消耗」であり「脳と理性と自律神経の変調」とでも表現しようがないのです。

 医師は簡略に「鬱」であるといいます。身体を休め、向精神剤と催眠剤を服用して、

「何も考えず、静養してください」と仰ってくれます。

 だから、ただのリハビリではなく、脳と理性のリハビリということになるのでしょう。


 催眠剤を処方されても、そうそう一日中寝ていられる訳ではありません。

 第一、床ずれでも起こすのではないかと思うほど背中と腰が痛くなります。


 実は、スピンは「パニック障害」と馴染みのない病名を診断されて13年になります。

 向精神剤を13年飲み続けていますから、ほとんど「キチガイ」の部類かもしれませんネ。

 さようなわけで、いきおい窓辺に座ってタバコを燻らしながら病院の空を眺める生活にならざるを得ない

 のですが、 会社では綿々とメンバーが仕事を続けてくれています。


 そんな彼らに報いることは無いかしらん・・・?・・・と考えて、PR活動を始めることにしました。


 4月11日に公開される会社の新製品です!最高のパソコンを造る、のが、実はスピンのお仕事でした。

 震災の3次災害・4次災害にもめげず、発売準備をしてくれるメンバーのお陰でスピンは生きています。


 皆さん、よろしければ http://qdfactory.shop-pro.jp/ を 覗いてみてください。

夏目漱石の小説「草枕」の冒頭の一節… さて、みなさん、どのくらい読めますか?

 「 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。

 (途中省略)

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも

 住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は

 人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、

 画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、

 そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも

 五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を
 
 清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺なきも、かく人世を

 観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、また

 この不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、千金の子よりも、

 万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。」(以降、省略)



   という文章を、たった80年前までの日本人は、活弁士のごとく、音韻明瞭に朗々と読み下すことが

   できたのです。所謂、文学研究家、乃至、古本屋の好々爺なら、今でも読めるかも。


   ということで、どうぞ、ぜひ、この漢字テストにトライしてみてください。

        http://www.gamedesign.jp/flash/yomi/yomi.html


   
 民族の誇るべき文化の最たるものは「言語」であることに異論のある方は少ないでしょう。

 その言語を簡明にしようとする反面、言語の格調と奥行きを切り捨ててきたのかもしれません。

 漢字検定、という公的には誰も認証していない試験に殺到する人たちの心中に去来するのは、失われた文化
 への憧憬か、はたまた自惚れか。

 日本人が確かに置き忘れてしまったものの一つに、日本人が翻訳し創作してきた「日本の漢字」があります。

 それを、しばし思い起こして下されば幸甚。


       ラブさんのブログに触発され ひさびさ、文を書きたくなってしまったスピンでした。
       (http://blogs.yahoo.co.jp/ay680127

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