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1775年、モーツァルトはザルツブルグ大司教ヒエロニュムスの宮廷にいて、大司教を訪れる

諸侯・賓客をもてなす「楽師」(芸人) を務めていました。


ザルツブルグ大司教は、当時のキリスト教世界の最高権威に近い地位にあり、聖界諸侯に遇され、

既に昔日の姿はなくなったとはいえ由緒ある「神聖ローマ帝国」に対しローマ教皇庁が派遣した

遣外使節でもありました。(ローマ教皇庁の権威を象徴する緋色の衣を身に纏うこことが許された方)


その大司教の宮廷は、1756年(奇しくもモーツアルト生誕年)に勃発した「7年戦争」により、

少しく疲弊し、プロイセン・オーストリア・フランス・ロシア・スペインなど列強各国の力により翳りを

見せていましたが、ロココ調の絢爛とした衣装を身に纏う諸侯・貴族たちを招いての外交の場でもありました。


賓客を招いてのパーティの席上、パリ・エリーゼ宮のポンパドール夫人のそれに負けず劣らぬ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Madame_de_Pompadour.jpg

上質のもてなしを企画する上で、大司教にとって「天才モーツァルト」は欠かせない「芸人」であったのでしょう。


1775年、ようやく19歳になったモーツァルトは、一気に5曲ものバイオリン協奏曲を書かされます。

(そして多分)、賓客たちの前での弾き振りをも命ぜられたことでしょう。


ローマ教皇の権威を示す緋色の衣に身を包む大司教ヒエロニュムスと、贅を尽くした衣装で着飾った、

居並ぶ貴族や諸侯・社交界を彩る女性達の前で、モーツァルトは、パリやウィーンに負けぬ気品に溢れた

音楽を奏でることを求められたのは想像に難くありません。

「神の威光」が世界の隅々に行き渡ることを示すために、神が遣わした天才による、諸人が息を呑む技巧と、

典雅な旋律を披露するように求められたことでしょう。


しかし多分、大司教が与えた楽団は、せいぜい6〜7人のヴァイオリン、チェロやベースは4人ほど、

そして木管が4人程度しかいない小さなもの。

ヨーロッパの中心都市とはいえない、当時のザルツブルグ。素晴らしい演奏家が集まるはずもありません。

その楽団を引き連れ、弱冠19歳のモーツァルトは、彼自身の技巧と旋律だけで、大司教の面目を

保たねばならない、哀しき「道具」に過ぎませんでした。


無論、聴く側の芸術的教養も、それほどに訓練されていないことは、容易に推測できます。

聴衆は、高名な天才が目前に立つことに満足し、その楽器から流れ出る、天の恵みを象徴する旋律に感嘆し、

天才の奏でるアダージョに涙を浮かべ、演奏を締めくくる「高らかな繁栄と栄光」に、ご満悦であったと

想像します。



 本日のジャケットは、ジノ・フランチェスカッティ(Vn)とブルーノ・ワルター&コロンビア交響楽団による

   モーツァルト作曲 バイオリン協奏曲第3番ト長調 & バイオリン協奏曲第4番ニ長調

 (1960年代初期の録音です。このような名演を今でも聴くことができることに感謝したくなります。)


スピンは、このCDに巡り合って初めて、モーツアルト19歳の心境を窺い知る事ができたような気がしています。


それは、澄み切った天の音楽を奏でつつも、自分の音楽を解さない聴衆への疲弊感であり、あざけりであり、

理解者の出現を待ち望む焦燥感。

そして、そのような宿命を与えた神への反抗心であり、どこからか少しづつ湧き出てくる悲劇の予感

であったように思います。


いきなり短い強音ではじまる第3番の冒頭、いつも演奏を始めようとするのになかなか静かにしてくれない

貴族達に業を煮やすモーツァルトがわざと仕組んだ「仕掛け」のよう。無論、何事もなかったかのように穏やかに

弾き振りを続ける彼も心中は、決して穏やかではなかったことでありましょう。


フランチェスカッティのヴァイオリンは、時に高らかに、時に粛々と、自在にして美しい音色を操りながら、

モーツァルトの前にいた聴衆たちをもて遊ぶかのように「息を呑む技巧」を見せ付け、アダージョを謳いあげ、

堂々たる終幕を「演じて」見せてくれます。 「お見事!」の一言です。


*****


さて、2年後の1777年、モーツァルトは大司教の楽師としての職を辞し、自らの居るべき場所を求めて、

ミュンヘン・マンハイム・パリへ旅立つこととなります。

1781年にはついにヒエロニュムスと決別し、ウィーンでの自活生活に入っていきます。

1775年以降、バイオリン協奏曲が書かれることは遂にありませんでした。



PS:この記事を書くためにいろいろ調べていたら、ユーロ硬貨にモーツァルトが刻印されていることを

  知りました。 ビックリのトリビアでした♪ 

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いきなりで恐縮ですが《ウィキペディア》より、ちょっと拝借します。

***ここから***

ヴァイオリンソナタは、通常ヴァイオリンとピアノの二重奏によるソナタを指します。

ヴァイオリン・ソロによるソナタは「無伴奏ヴァイオリンソナタ」と呼ばれるます。

古典派の時代のヴァイオリンソナタは、ヴァイオリン助奏付のピアノソナタであり、

ピアノの比重が大きかったのですが、ロマン派の時代になるとヴァイオリンの比重が大きくなり、

ヴァイオリンとピアノの対比と調和の妙が聴かせどころとなるようになりました。

***ここまで***

だそうです。 


音楽形式のことは良く判りませんが、ブラームス以降のヴァイオリン・ソナタを聴いていると、

まるで作曲家の(又は演奏者の)「私小説」か「思索を綴った日記」を読んでいるような気持になります。

交響曲を本格的文芸小説に例えてみれば、ピアノソナタは「詩集」を読んでいるよう。

同じように例えると、ヴァイオリン・ソナタはまるで随筆集・哲学書を読んでいる錯覚に陥ります。


お国柄を反映しているのでしょうか、ドイツの作曲家のヴァイオリンソナタは、思考に一部の隙もなく

論理を組み上げ、まるで、キルケゴールやハイデッガーを読んでいるよう。

それに較べて、フランスの作曲家のそれは情緒的で感情の起伏がそのまま音楽になっていて、

まるで、退廃のなかをさまようアルベール・カミユの日記を読んでいるように感じてしまいます。

フランスの作曲家のヴァイオリンソナタのほうが、時代を写し取った作曲家の心のひだを

一枚一枚克明にたどっている感覚を覚えてしまうのですが、いかがでしょうか?


数あるヴァイオリンソナタの中の最高峰・・・ではないかと各界のご評価も高い、セザール・フランクの

ヴァイオリン・ソナタを聴いて見ましょう。

フランク(Cesar-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck, 1822年12月10日 - 1890年11月8日)は、

ベルギーの素敵な街リエージュのご出身、フランスで活動した作曲家、オルガニストです。


本日のジャケットに選んだ「フランス・ヴァイオリン・ソナタ集」は、とってもお徳。

フランクとドビュッシー、ラヴェル、そしてフォーレの有名な2曲をカップリングしています。

レーベル: ユニバーサルクラシック (2005/6/29) ディスク枚数: 2枚
\2755(消費税・送料込み)@Amazon

CD1枚目は、
1. ヴァイオリン・ソナタ イ長調(フランク)
2. ヴァイオリン・ソナタ ト短調(ドビュッシー)
3. ヴァイオリン・ソナタ ト長調(ラヴェル)

CD2枚目には
1. ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調op.13(フォーレ)
2. ヴァイオリン・ソナタ第2番ホ短調op.108(フォーレ)
3. 道化役者(クライスラー)
4. ジプシーの女(クライスラー)
5. タンゴop.165-2(アルベニス/クライスラー編)
6. ジプシー奇想曲(ウェーバー/クライスラー編)
7. カプリース変ホ長調(ヴィエニャフスキ/クライスラー編)
8. 中国の太鼓(クライスラー)
9. スペインのセレナード(グラズノフ/クライスラー編)
10. スペイン舞曲(グラナドス/クライスラー編)

と、並んでいます。もう直ぐ来るの秋の夜空にピッタリの一枚だと思います。

演奏は、スピンのお気に入りのバイオリニストの一人、シュロモ・ミンツ氏による、奇も衒いもない

心揺さぶられるものです。

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