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家康殿とわたくし

徳川家康→東照公

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東照宮譚です。
東照宮は、
有名どころで3つあるはずです。
静岡、群馬、日光と。
今回、グンマーの東照宮に
行きました。

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ここへは、2回目。
前回は、たぶん、30年前位。
駐車場と、有料ゾーンにある井戸の記憶が残っていました。



なぜここへ?
日光に行くには、時間がなく。
静岡の方は、まったく及ばず(久能山かな)。
わりと、時間と方向が都合が良かったのです。

なぜ、東照宮へ?
インターネットで見ているドラマがありまして、
そのタイトルとか内容とかはどうでも良いのですが。
むしろ、それほど好きな部類に入るものではありません。
ただ、主人公のセリフに・・・
「人の一生は重荷を負って遠き道をゆくがごとし」
とありました。
これって、東照公(家康殿)の遺訓の一部で、
かつてお世話になった大事なものです。
これは、ご挨拶にいきたいなあと思ったのです。

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この言葉は、とてつもなく深い。
なぜなら、家康殿は若い頃、
ほぼ人質として生きていた。
信長殿、秀吉殿の時代にも、
絶妙なふるまいをしてきた。


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子供の頃、
偉人の伝記を読んで、
感想文を書いたのは
豊臣秀吉であったが♡



日光という土地を知っていると、
家康殿って、ゴイスー!だなあと。

わたくしには、到底まねが出来ない。
王者の中の王者である。
しかし、ほんのちょっと、エキスは取り入れたい。

「人の一生は重荷を負って遠き道をゆくがごとし」
人質としての生活を経験して、
秀吉殿の時代には、頭角をあらわしまくりだったけど、
ポジション的に同位のライバルが多数いて、
そこから決勝戦に進んで、関ヶ原でしょう。
しかも、1600年〜1867年まで、アレなわけで。
すごい人だなあと思います。

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今回、この話を書いてみようと思ったのは、
この写真を見直してみたから。

左側の看板。


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「大名」って書いてあるでしょ?
一万石以上の大名は、
この拝殿に昇れる。
それ以外は
下の方と云うか、
遠い方と云うか・・・

江戸時代なら、当たり前だったのでしょう。

今回、この「拝殿」に行くため、お金を払っています。
看板に「昇殿禁ず」とありましたので、
昇殿はしてません。

一万石以上の大名だけ昇殿したココって、
わりとゴイスーですよね。
どういう、大物がお越しになったのでしょうね♡

閉じる コメント(2)

あら・・・知らなかった・・・群馬の東照宮。

なんだか・・・ネガティブとは違うんだろうけど重い言葉ですねぇ。
家康殿は子どもの時から大人でなければいけなかったみたいな・・・。
家康殿だけが異なる風格を持ってた気がするのはそのせいかななんて・・・
よく知らないけど。

2019/6/26(水) 午後 7:34 陽菜 d(^^*)ヒナ

HINAさん!

グンマーの世良田は、松平氏のルーツと関係してくるようです。

このコメントを書く前に、一通り彼の生涯を読んでみましたが、
非常に複雑でした。ある意味、多くの資料が残っているからゆえなのでしょう。

1543に生まれて、1600年が関ヶ原。
1616年におかくれになられています。

2019/6/27(木) 午前 10:58 じゅんのすけ


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