全体表示

[ リスト ]



イメージ 1


昭和14年6月17日(土)に元内閣総理大臣(在任期間:昭和12年2月2日 ー 同年6月4日)、大日本武會會長、林銑十郎陸軍大將以下関係者を招き、大日本武會沖繩支部武殿開殿式が挙行され、17日(土)、18日(日)と2日間にわたり柔道、剣道、空手道の演武が行われた際の番組表。
この番組表を入手した時は、林武會會長の秘書官であり『林銑十郎(上) ーその生涯と信条』の著者であった宮村三郎が旧蔵していた沖縄縣来縣日程表(第一案、第二案、最終案、決定書)、大日本武會沖縄支部長 渕上房太郎から大日本武會長宛ての依頼状、大日本武會沖縄支部支部副長 山内隆一から大日本武會本部専務理事 細川長平宛ての沖縄縣来縣にあたっての細目についての書状も添付されていた。

單獨演武は年齢順に行われ22名の演武者の中で最長老の喜屋武朝徳(69歳)が最後に「チントウ」の型を演武している。
蛇足だが「アーナン」の型で有名になった劉衛流の仲井間憲孝は「古武術型」で出場しており、当時、「アーナン」という名称の型は劉衛流には存在せず、近代になってから競技用に高得点を出せる型を弟子の佐久本嗣男が創作したと言われていて、そこには本来の沖縄の古流の型の流れはない。

※昭和14年6月18日付の『琉球新報』に「誇る大武殿 豪華な開殿式挙行 古武術空手、柔劍道の大試合」の見出しで掲載記事あり。

(追記)「昭和13年頃沖縄の有名武士が那覇公会堂で、それぞれ得意技を披露するとの報せがあり、私もはるばる馳せ参じたが、有名な武士は顔は見せたが出場はせず、代わりに門下生を出して型を使わしたが、喜屋武師範だけは60才を過ぎているのに単独で出場して堂々と技を使いまくった。当時の60才という年令は今の人では想像がつかぬ程老衰していたものだ。しかし喜屋武師範は若人同様フラフラすることなく隆々たる姿で演武したものであった。ただ終って降壇の時、些かよろめいたが実に感心させられた。」(引用:「空手道 保存版」p.64『沖縄空手家の素顔』(財)全日本空手道連盟・錬武会師範 玉得博康)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事