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物語と空間

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 読んだ感想は、ものすご〜い消化不良をひき起こす物語である。
(脂肪のかたまり/1880/モーパッサン著/高山鉄男訳/岩波文庫)

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 始まり終わりがとても印象的である。

 本筋と直接関係ないフランスの敗走兵の描写で始まる。
そこから敵兵に占領されたフランス市民に移行して、
ようやくこの物語の登場人物達がフォーカスされる。

 この一見無関係な遠巻きからの演出により壮大な国土をめぐる戦争であったこと、侵略された市民の心理状況がひしひしと感じられ、当然同じ市民である登場人物達の心境も説明するまでもなく察せれられ自然とこの物語の本題に引き込まれてしまった。

 そしてエンディングを迎え読者は怒り絶頂のところで突き放されたようにプッツリと終わる。

 水戸黄門で水戸黄門が印籠おろか成敗する前暴れん坊将軍暴れ出す前悪役が桃太郎侍(古いかな〜)風に言うと「不埒な悪行三昧」しているところで話が終わる。
だから読み終わった時の心境はすごく不愉快な感情しかない。

 これに比べたら「ウェックフィールドの牧師」(1766/オリヴァー・ゴールドスミス)の暴れん坊将軍ばりのエンディングはなんと気持ちいいこと!
                 ↓

 ここに登場する貴族、ブルジョア階級の市民、修道女達の魑魅魍魎たる人の醜さをこれでもかと表現した作品である。

 ネタバレするのでどういう事件があったか言わないが、犠牲になった主人公の女性(彼女のあだ名が肉付きがいいので「脂肪のかたまり」と言われている)が泣いているのを無視して周りの醜い人間達が何事もなかったように食事する描写がグロテスクで彼等の方が「脂肪のかたまり」のように見えてきた。

 ラストシーンで革命家が「諸君のやった事は卑劣千万な事だ〜」と叫び食事を続ける人達に対し当てつけのように「ラ・マルセイエーズ」を馬車の中で歌続け、主人公の女は泣き続けるところで終わる。

 「ラ・マルセイエーズ」フランス国家だけど、この物語の時代設定時はフランスの保守的な人間達にタブーな曲だったようである。
 今読んでもきつい歌詞だけど、この物語冒頭の悲惨な敗戦の描写を思い浮かべると、この歌詞の内容も納得してしまう。

 

 因みに最近、背脂たっぷりのラーメン食べたり、揚げ物とビールをセットで頼んでその後にご飯まで注文したり私も「脂肪の塊」一直線である(笑)
オチがついたのでこれにて失礼!


 前回の投稿した「プールの観察」人を見た目で判断して白髭海賊団さんに怒られた。彼の意見は至極当然である。
このツッコミは自分も考えさせられて本当に感謝している。

 そんなタイミングで読んでいたのがこの物語!

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「影をなくした男」(シャミッソー著・1814出版)

 主人公に影がないことで周囲の人間から迫害される。
ストレートに「人を見た目で判断される」物語だったのである。
「すんごいタイミングでこれ読んでるな〜これも縁やな〜」と思った。

 この「影」は作者のアナロジーであり「影」と言うことで面白おかしくされているが、例えば影を「人種」「ハンディキャップのある人」に置き換えればフィクションがたちまちノンフィクションに早変わりする。

 悪魔とは知らずに何気に金持になることと引き換えに影を悪魔に譲ってしまう。影をなくしたということで迫害され見た目を気にする主人公はまた悪魔から取引を提案される。それは彼のを交換ということであった。

 喉から手が出るほど影が欲しい、影がないことで互いに引かれあっている女性の両親も(最初は金持ちであることで両親自体が彼に擦り寄ったにも関わらず)手のひら返したように婚礼に反対する。

 その悪魔との最後の取引で彼がとった行動は・・・
人に平等はないと思っている。誰だって少なかずも人よりハンディはある。
ネタバレするのでここまでとするがそのハンディを乗り越えるものは・・・

 そう言う人の行動を面白おかしくしているがアイロニーとして表現された作品だと思う。

 因みに作者はこれを少年童話として書いたようである。

その節は確かにある例えば、悪魔は人が欲しいどんなもの(どんに大きいものも)もポケットから出てくる、これってドラえもんの4次元ポケットである。150年も前だからこちらがオリジナルでは?主人公が手にした古靴はひとまたぎ世界を横断できる(これもどこでもドアに近いのでは?)

 そんな夢のある少年童話というより自分にはむしろ怪奇で「裏面」(アルフレッド・クビーン著)や「アルゴールの城にて」(ジュリアン・グラック著)等と同じくの幻想小説、日本人で言うなら江戸川乱歩のように思えた。

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[もうヤフーブログ終わるので過去の記事の一大セール!!(笑)]

 因みに「影」というテーマでは確か星新一の物語だったと思うけど、少年が影から影に飛びながら影踏み遊びをしている。そんな少年がある影を踏んだら影の中に子供が吸い込まれ居なくなったストーリーがある、それ読んだ時に影に戦慄を覚えた記憶がある。

また「去年マリエンバードで」(アラン・レネ監督/1961/フランス・イタリア)の「影」のカットはコントラストをつけるために影が長く加工された映像である。これも影の印象的な物語であった。

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「去年マリエンバードで」→https://blogs.yahoo.co.jp/marufujikentiku/45536941.html

あとは「赤影」しか知らな〜い(古いか〜)
オチがついたのでこれにて失礼!

 お正月に「十戒」ともう一つ観たのが「シェルブールの雨傘」(1964/ジャック・ドゥミ監督/フランス)だった。

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 もう半世紀以上前の映画だが今見ても全てがお洒落な映画であった。


フランス映画でお洒落だと思ったのはゴダール「勝手にしやがれ」はお洒落な映画だと思っていた。タバコの吸い方など男がカッコよくお洒落であった。
「勝手にしやがれ」については

 ただし残念なことに「勝手にしやがれ」はモノクロだった。
この「シェルブールの雨傘」の艶やかさは見事であった。


 部屋の内装必見である!
おおよそ日本人であんな色艶やかな壁紙、使いこなせる度胸のある人いないと思う。
とにかく50年後の今見てもインテリアコーデネイト刺激的である!

 セリフも全部ミュージカルで進行される。
「レ・ミゼラブル」(2012)観た時にこの形式観てショックだったけどそれより半世紀前に試みていたとは全てにおいて挑戦しているよう思う。

 神がかった「十戒」より自分にはこちらの方が刺激的な映画であった。
さすがフレンチ! セェビエン! トレビェン!って感じである。
最後のお別れの挨拶は「シェルブールの雨傘」のようにお洒落に終わるとする「オーションテ〜」(麻雀のいーしゃんてでは無いよ!)

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映画「十戒」を観て

 正月休みに大作を見ようと「十戒」を借りてきて見た。 
ところがである、スペクタル映画と聞いていたがそうではない、しかも時間も2時間で終わった。
「十戒」(1995/ロジャー・ヤング監督/ドイツ、イタリア、アメリカ合作)でも違うものを見たようだ。

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 旧誓約書のこの物語は昔、子供用の本で見たことがあり、モーゼの大移動も少しだけであるがストーリーは知っていた。モーゼがエジプトで奴隷になっているヘブライ人(イスラエル人)を解放してカナン土地に導く話である。

 納得いかないので再度「十戒」(1956/シル・デミル監督/アメリカ)を借りてきて見た。
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こちらは噂通りのスペクタルな映画で時間も220分見応え十分であった。


この2つの「十戒」を見比べると1956)十戒が気を使って「自由」という言葉が強調されるのに対して1995)十戒「イスラエル」を強調しているようで「これエジプト人怒るやろうな」と思った。

どちらにしても十戒は旧誓約書だからユダヤ教イスラエル人有利になるのは仕方ないけれど演出のさじ加減でこうも変わるとは思わなかった。

 但しストーリーは(1995)十戒の方が忠実なようである。
1956)十戒は結構ストーリーをはしょって見せ場を見せ場を繋げているように見える。そういう意味では「南部坂」、「岡野金右衛門の恋の絵図面」、「両国橋の別れ」のように赤穂浪士的映画である。

とは言えロケーションといいエキストラといい、その壮大な迫力は(1956)十戒が圧巻である。
「アラビアのロレンス」が一番スペクタルだと思っていたがこちらも負けず劣らずの大迫力である。

アラビアのロレンスはこちら→https://blogs.yahoo.co.jp/marufujikentiku/44323582.html

 どんだけ金使っているねんと思った。
こういう意味で邪に考えると潤沢なユダヤ資本が投入されたように思えて仕方ない。

 またモーゼ役のチャールズ・ヘストンよりラムセス役のユル・ブリンナー冷徹感が際立って印象的だった。

 とにかく2つの「十戒」観たことでお互い比較できて結果的に良かった。
因みに映画で噛み砕くように「十戒」の戒めを連呼する、「殺してはいけない」と戒めあるのにシナイ山の麓で信心派と不信心派のイザコザで不信心派が殺されるシーンがある。
1956では神が地を割って落とし殺し、1995では信心派が殺しモーゼが「地獄に落ちろ〜」と叫ぶ。)
もうここで十戒を破っていると思うのは自分だけであろうか?

どうやら自分は「和を以て貴しとなす」(by 聖徳太子)の方が合っているようだ。




 また話題が大阪万博繋がりで〜す。
あまりにも面白くて一気に1日で読んでしまった。

「・・・もしかしたら有り得たかも知れないもう一つの人生、
その事を考えないのは1日も有りませんでした。」

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「水曜日の朝、午前三時」(蓮見 圭一 著/2005)

 1970大阪万博で働く二人の男女その中でもとりわけ容姿端麗、頭脳明晰な二人が知り合い恋に落ちるのは必然であった。

 だが運命の悪戯かお互いの出自がロミオのモンターギュー家ジュリエットのキャビュレット家のように対立する立場を知ったのは万博が終了する数日前、彼女はそのショックで万博終了後、東京に逃げ帰る。

「差別も病気の一種・・・人類の進歩と調和、なんて嘘っぽい言葉で皮肉な半年だったのでしょう」と大阪万博のテーマとストーリーがリンクしている事に感心する。

 たった3ヶ月の(万博当時の)燃えるような恋のパート、その後20数年間のお互い家庭を持ち葛藤し、苦悩したパート、このリズム感も何となく良かった。

 そう言えば28年前大阪で「国際花と緑の博覧会」1990(通称、花博)があった。
私の担当するパビリオンの隣が松下館で、この物語のようにコンパニオンさんが開催まえに一生懸命練習していた。こちらも現場の仕上げがピークで良くすれ違うとこの松下館コンパニオンさん愛想よく挨拶してくれた。そうこうしているうちにその中の気に入った女の子にデートの約束を取りつけた。(この物語の男前の彼と同じである)但しうちのパビリオン開催しても未完成で開催中も人がいなくなる深夜に工事を続けていた、それで会う機会がすっかり無くなり結局この彼女とデートすることは無かった。

 当時携帯電話まだ普及していなかったので(この花博で建設会社の社長が持っていたのを始めて携帯電話なるものを見た時代)電話番号の交換をしそびれたのが敗因!

 この物語の主人公のようにかっこ良くはいかなかった〜。(笑)
オチがついたのでこれにて失礼!














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