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ランランRUN-足の向くまま気の向くままに♪
頸椎ヘルニアもほぼ完治。少しずつ負荷かけても大丈夫との診断いただきぼちぼちながらアップしていきたいです〜♪

書庫西国三十三カ所札所を走る★★

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2015年9月20日の歴際街道丹後ウルトラで60㎞を走ったついでに
日本海側の西国のお寺をまわる計画
ツアーは前後泊の3日目の朝までにして帰路はキャンセル

9/21(月)朝食ゆっくりでツアーのみなさん見送って周辺散策
宿の車で最寄りの小天橋まで送ってもらい京都丹後鉄道宮津線に乗ります。

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お世話になった民宿むらきたさん    こちら宿からすぐの日本海

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「しけばり」       小天橋駅        でこちらがホーム

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北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道に(2015.4〜) 天橋立駅

たしか小天橋10:16発=天橋立11:02着
駅から商店街を抜けていざ天橋立へ

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智恩寺の立派な山門を横目に回旋橋(小天橋)を渡ると…
全長3.6㎞ 幅約20〜170mの砂嘴でできた砂浜すなわち天橋立である

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日本三景の碑がありました。貸自転車が多数行き交う中丹後Tで歩いていると…
なあんと向こうから丹後Tで走ってくる方が…なんと昨日100㎞走ったと聞く
地元のランナーで天橋立が練習コースとか…す、すごい!

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与謝野寛・晶子ご夫婦の歌碑       橋立明神

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ところどころに案内の立札があり距離がわかります。…で、ここはなんと!

イメージ 8天橋立散策マップをもらってじっくりまわりたいものですが、半日ではちと厳しい

左の地図は拡大しても見られません
大きくしてみたい方は
こちらをクリック

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シルバーウイークとあって
ケーブルカーもリフトも
すごい混雑ぶり



もちろんわれわれはそのような文明の利器をつかわず脇の参道を登ります

リフト降りてさらにバスで7分のところももちろん歩きます(笑)

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西国二十九番札所
成合山成相寺

慶雲元年704年開山
五重塔や阿弥陀堂などを控えた
大寺院だったが
兵火や雷火にあって多くを焼失
本堂は江戸中期に再建された



今昔物語に…とある僧が修行中、深い雪に里人の足も途絶え食料も底をつき
空腹のあまり観音さまに「食べ物をお恵みください」と祈った僧は
堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気づく…肉食は仏の道に反するが
空腹に耐えきれず腿肉をそぎ取って鍋で煮て食べてしまう
やがて雪が融け心配した里人が堂を訪れると鍋の中には肉でなく
木屑のようなものが浮いているだけ
驚いた僧が本尊を見ると仏像の腿が欠けていることに気付く
自らの罪深さに一心に経を唱えると欠けた部分に木屑が収まり
仏像が元通りに「成り合った」ので「成合寺」さらに転じて「成相寺」
となったという

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なみのおと まつのひびきも なりあいの
 かぜふきわたす あまのはしだて


本尊は正観世音菩薩
そして
さらにのぼったパノラマ展望台から
おきまりの股のぞき♪

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往復約13㎞のリハビリ・ウオークとなりましたとさ。





書庫をつくってあるのに記事書けないまま時だけが過ぎ…
風化寸前の西国三十三か所を走る★★記事です。
思い出しだし…うわあ忘れてる〜w

を走った翌日の2015年3月28日の事
あまりに遠い過去で写真探したけどどこかへとんでった??(涙)
Faceの記事にかろうじて残っていた画像を並べて記憶をたどる…

姫路駅北口から神姫バス71番9:00発社行きに乗り
法華山一乗寺のバス停で下車

西国札所二十六番 法華山一乗寺 

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左に国宝の三重塔を見ながら
本堂への長〜い石段を上って
26番札所に手を合わせます。

 はるははな なつはたちばな あきはきく
  いつもたえなる のりのはなやま

開基は25番清水寺と同じ法道仙人
清水寺で
大化5年孝徳天皇の病気平癒祈願のために
宮中に招かれ、見事期待に応え、
勅願により一乗寺を建立したと伝えられる。

三重塔や聖徳太子画像は国宝
本堂、妙見堂、ご本尊の聖観音立像は重文に指定

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早々にお参りを済ませて
バス道を法華山口方面へ
旧参道から集落を抜け
再びバス道に合流さらに進むと法華山口
ここで近くにある酒蔵
富久錦さんに立ち寄りました。

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レストランも併設されており
新酒の試飲会も開催されており
かなりの人の出入りがある。
さすがこのあたりは酒どころ
ラン中にもかかわらず数種類試飲させてもらい
思わず数本自宅用と父の日用に宅配便で♪

ほろ酔いで酒ランもすぐに北条鉄道
の駅が見えてきた!

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古びた懐かしい感じの駅舎に入ると
あれれ?パンが並んでいる…
窓越しにみると中でパンを作っている
あれれ?どこかでみたような…
たしかテレビの鉄道番組で♪
女性の駅長さんはボランティア
列車到着ごとにホームで迎え
手を振って見送りしてくれる名物駅長

列車が来るまで待合室で
あんパンとコーヒーを
いただきました。


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北条鉄道で法華口より小野市の粟生(あお)駅まで
粟生からJR加古川線に乗り換え加古川を見ながら加古川駅へ
姫路にもどってもすでに姫路城は見てしまったし…
…で、山陽本線に乗り換えて明石まで足を延ばしてみることにしました。

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到着がお昼過ぎ
明石の名物をいただきます
鯛 たこ あなご
でどうだあ!!
って感じ

美味しゅうございました♪

腹ごしらえもでき市内散策へ

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まずは北口の明石公園へ
前日の姫路城見学の興奮
さめやらぬままの明石城
天守こそないが巽櫓と坤櫓は重要文化財、日本の100名城にも選ばれているとのこと

公園を後にして
明石といえば子午線イメージ 9
まずは日本標準時子午線上に立つ明石市立天文科学館へ♪
シゴセンジャーのポスターにおもわずにんまり(笑)
こちらで少しお勉強してから子午線のまちめぐり

天文館北側のトンボ標識
天文館玄関前の路上の子午線
国道2号子午線郵便局前の標識
子午線交番前の標識
中崎公園のモニュメントとトンボの標識
人丸駅のはみつけられず…あとで調べたらプラットホーム上だったか…

中崎公園から明石海峡大橋、淡路島をながめ
海峡を行き交う船を数えながら駅に戻る道

わすれちゃいけないここにきたら明石焼イメージ 11
美味しそうなお店が数々ありますが
今回は本家きむらやさんでいただきました。
ふわとろ玉子に大粒のタコしっかり
一人前二十個もぺろり

さらに駅前商店街散策

魚の棚商店街でいかなごのくぎ煮
おみやげに買って帰りました。


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本日約11㎞の西国めぐりRUN&Walk

イメージ 10で、翌最終日は朝から雨
駅周辺でおみやげ買って

お気に入りになった姫路えきそば
すすって帰途につきましたとさ

書いていて…姫路そばまた食べたい〜♪



もう年が変わろうとしているのに
今年の春の話です。

3/27〜29の二泊3日で
2015年春の西国札所めぐりに行ってきました。
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3/27早朝発の新幹線のぞみに飛び乗り
大阪以西は高校の修学旅行以来か?
…で、新大阪で乗り換えに戸惑りました(・_・;)
え?どれどれ?どれに乗り換えるの??さくら???
それって特急?
…在来線かと思いきや九州新幹線だったのですね〜初めて乗りました。

姫路駅に降り立つとカンセンジャーがお出迎え(笑)
で、地方の駅なのにやけに人が多い。
…と、あちこちに「姫路城グランドオープン」のポスターが!!
見てみるとあら!?3/27ってまさに今日ではないか!!?

この時は、まあ目的が違うので
3日間の滞在中余裕があれば寄ってみようかなあ
ぐらいにしか思ってなかった。

とりあえず一日目の目的地書写山圓教寺に向かうため
腹ごしらえで姫路のえきそば
わたしはそばが食べられないのでうどん(笑)
…と思いきや!な、なんと!!
シェシェコシ女史注文のえきそばは中華麺!
後で知ったがこれは名物グルメらしい
次は挑戦してみよ♪

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駅前から書写ロープウェイ行きバスにて約30分
ロープウェイはパスして山のぼりを選択。

結構な山道をえっちらおっちら登ります。
時折背後に開けた景色は姫路市を一望できます。

1時間弱でロープウェイ山上駅
さらに歩くこと15分
仁王門を経て坂を下ると

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ここは西国三十三ヶ所の中で最西端に位置するお寺。
舞台づくりの魔尼殿の姿は勇壮
ご本尊の如意輪観音像を祀る観音堂である。
階段をのぼりお参りを済ませる。

              はるばると のぼれば 書写の 山おろし
                  松のひびきも 御法(みのり)なるらん

陰謀によって退位した花山法皇が失意の中訪れたのが、ここ書写山。
性空上人に教えを受け、法皇が西国霊場再興を発願する契機となった
西国三十三ヶ所霊場とゆかりの深いお寺である。

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「西の比叡山」とも呼ばれる広い境内
魔尼殿の裏手から老杉林の参道を抜けると
急に開けた空間があらわれる。
3つのお堂がコの字型に配置されている。

長さ40mの食堂(じきどう)を中心に
釈迦三尊像を祀る大講堂
と修行の場となる常行堂
すべて室町初期建立の重要文化財

ついでに書写山頂まで足を延ばす。
…と、そこには「かんべえくん」
信長の中国征伐の際播磨にいた秀吉に
ここ書写山に本陣を移すよう進言したのが黒田官兵衛
離反した別所と毛利に挟まれる窮地を乗り切ることができたという。

と少し勉強しながら魔尼殿まで戻ると一気に小腹がすいて
妙に名前が気になっていた「はずき茶屋」でまたうどんをすする(笑)

で、店先に風でくるくる回っていたアルミ缶製風車も妙に気になる(笑)

エネルギー補給すませて帰路へ
再び登山道を麓まで下り
バス通りを帰りはラン


姫路城まで戻ってくると
大手門のところで「本日間もなく入城締め切りです!」の声

え!?もしかして間に合うかも???

ってんで、猛ダッシュで入場口へ
整理券もらえてぎりぎりセーフ

平成の大改修を経て真っ白になった白鷺城の
なんとグランドオープン初日に入れました!
(平成の大修理事業完了した大天守に登れる)
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平成5年2月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となった
姫路城について詳しく知りたい方は
真っ白!
これまで結構お城は見てきたが
他のどれよりも美しい姿

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そして内部の敵を寄せ付けない仕掛けの数々

400年の歴史の中で戦いにまみえることも
近代の戦災に遭うこともなかった奇跡を目の当たりにし
戦国時代を生きた人々へ思いを馳せるひとときを満喫♪

なんとラッキーなこれも観音様のお導きかも♪

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感動さめやらぬまま外にでてぶらぶら城内散歩
ほほえましかったのが石垣を移動する白猫
ここに住んでいるのだろうか??

夜はおでんで一杯♪
宵闇に浮かぶライトアップ白鷺城が神秘的♪♪
初日の夜は更けていく…  つづく

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11月1〜3日の3連休は2泊3日の大阪旅行
1日(土)は前述の通り西国札所第5番葛井寺〜古市古墳群など6.9kmWalk♪
2日(日)は淀川市民マラソン応援&耐久カラオケ大会♪♪
 
で、3日(祝)は特に予定を立てていたのではないのですが…
1日に仲哀天皇陵・応神天皇陵と巨大古墳を目の当たりにし
応神天皇陵にいたっては墳丘長425mで全国第2位と聞けば
第1位も見てみたくなるのが心情♪
 
てことで
 
歴史の教科書でもよく見た
 
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仁徳天皇陵を生で見た〜い♪♪♪
 
 
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ホテルのクラブラウンジでしっかり朝食をとり
ゆっくりチェックアウト後、送迎バスで大阪駅
〜環状線で天王寺〜JR阪和線三国ケ丘駅
 
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ここを起点に仁徳天皇陵を半周
 
前方後円墳の「後円」側から半周して「前方」側へ
…ってことです
 
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2850mの周回コースはたくさんのランナーに遭遇しました♪
 
コースはきれいに整備されていて
空も晴れて
気持ちがいい♪
 
で、ようやっと正面に
 
じゃじゃーーーん!
 
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宮内庁管轄の陵の正面は
見た目はほぼ同じですが
 
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ボランティアガイドさんが懇切丁寧に教えて下さいました。
一番の疑問だった何故ここに巨大古墳??の謎が
すこしわかった気がします♪
 
ちなみに下記HPの記述内容に似た説明がありました。
 
「『日本書紀』に記された伝承によれば、その昔、この地で古墳の工事中に飛びこんできた鹿の耳から百舌鳥が飛び立ったことから百舌鳥耳原と名づけたという。」
 
「この古墳群には、倭の五王の中の仁徳・履中・反正の三代にわたる王陵が含まれている。特に、仁徳天皇陵に治定されている大仙古墳(仁徳天皇陵)は日本第1位の規模を誇る超巨大前方後円墳であり、エジプトのクフ王のピラミットや中国の始皇帝陵と並んで、世界の三大古墳に数えられている。 」 
 
「難波の海を航海する船からその側面が遠望できることを意識して造られたようだ。船で大和を訪れる国内の使者や外国からの使節が、大王家の偉大さに驚嘆するとともに、服従の念を抱かせることを意識して計画的に配置されたのだろう。同時に、ヤマト王権の安定性と東アジア世界への進出の意欲を、内外に示すものであったかもしれない。」…など(「百舌鳥古墳群」より抜粋)
 
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百舌鳥耳原由来の像
 
 
 
おとなりの大仙公園内にある堺市博物館で少し古墳のお勉強を…
と思ったら月曜日で閉館…残念><
 
ガイドさんがそれならちょっと足を延ばして
南宗寺へ行ってみては?とのアドバイス♪
 
バスは間隔空き過ぎ〜で、歩けない距離ではないのでWalkで♪♪
 
 
 
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大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で三好氏の菩提寺。山号は龍興山。開山大林宗套、中興は沢庵宗彭本尊釈迦三尊である。茶人の武野紹鴎千利休が修行をした縁の寺であり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院である。古田織部作と伝わる枯山水庭園は、国の名勝に指定されている。(Wikiより)
 
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で、なんでわざわざこのお寺に…??
と実はあまり乗り気でなかったのですが
 
ここもまたボラガイドさんがいらっしゃって
解説付きで案内して頂き、なんておもしろいところなんだ!
となりました♪♪♪
 
 
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第3代家光が将軍になる際ここに報告に?
 
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ここに家康のお墓が!?
 
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瓦をみてごらん
 
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葵の御紋!?
 
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枯山水の庭園おみごと
 
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ここから出入りしはったんや
千利休好みの茶室
利休一門のお墓もここに
 
 
「大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。
それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます。このほか境内には、三好家一門の墓、千家一門の碑、武野紹鷗の碑など著名人の墓が多くあり、堺の豪商や文化人、武将に愛された寺の風格を感じます。」(堺市観光ガイドより)
 
 
歴史ミステリーに魅せられた約1時間
ガイドさんありがとうございました♪
 
 
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着た道をもどり百舌鳥駅へ
約7kmのWalkとなりました♪
 
 
 
 
 
ずいぶんと前のことになりますが西国観音巡礼をひとつ進めておりました。
「西国三十三ヵ所札所を走る」なる書庫がありずうっと気にしてはいたのですが
けが(頸椎ヘルニア)と繁忙を言い訳にすっかりPCから離れておりました。
年末の休みに入り年賀状書き終えて一息の今
大掃除から逃げるようにアップします(笑)
 
11月2日(日)の淀川市民マラソンのため大阪遠征
前日入りの1日(土)早朝ののぞみで大阪入り♪
 
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大阪駅のロッカーに荷物預けて環状線で天王寺
あべの橋〜近鉄南大阪線で藤井寺駅に到着♪
あいにくの雨も駅前商店街のアーケードが嬉しい♪
 
 
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観光案内所の前では
井真成(いのまなり)」
さんがお出迎え♪
 
と、間もなく左手に
今回の目的地発見!!
 
 
西国第五番札所 紫雲山葛井寺(ふじいでら)
 
駅に近い庶民的なお寺であるが
古来、藤井寺のある河内地方は百済系の渡来人が
定住し、発展したところ。
葛井寺は神亀2(725)年、聖武天皇から古子山金剛琳寺という山号、寺号を賜り、行基が聖武帝発願寄贈である十一面千手千眼観世音像の開眼法要を務めたのが始まりといわれる。
 
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参るより 頼みをかくる 葛井寺
 
花のうてなに 紫の雲
 
本尊は十一面千手千眼観世音菩薩
天平時代の仏像で、
像を粘土で作り麻布や漆を幾層にも重ね、跡で粘土を除去し空洞にする
脱乾漆造りで国宝指定
毎月18日に開扉し拝観できる。
                          南大門
商店街に面する西門からはいってしまったが
本来は朱塗りの南大門(↑)から入るのが筋
 
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境内にあるヴィクリディタ サマデで特産の葛を使った名物の葛井餅を頂く。
 
店名は「観音様とともに一服してください。」という意味のインド語。
 
ほどよい甘さと独特の食感、店内の灯りに照らされた輝きに贅沢なひとときを過ごす♪
 
 
 
店を出ると幸いにも雨があがり絶好のウオーキング日和に♪
葛井寺周辺には、由緒ある寺社や巨大な古墳が数多くあり
それらをつなぎながら道明寺への散策
 
残念ながらまだまだ頸椎カラーをつけたまま
少し歩くと時折肩から腕から激痛が走る
本来の趣旨は三十三か所札所全部をジョグでまわるということであるが
ここは無理は禁物
 
イメージ 6
千五百年程前、雄略天皇の御代に創設された。平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた。日本書紀には、『雄略十三年春三月、餌香長野邑を物部大連に賜う』とある。餌香長野邑は、旧藤井寺町のあたりと思われ、この地方を治めることになった物部氏はその祖神を祀って神社をつくり、その後。辛國氏が祭祀をつとめ、辛國神社と称するようになった。(公式HPより)
 
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仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、『古事記』『日本書紀』に記される第14代天皇(在位:仲哀天皇元年1月11日 - 同9年2月6日)。
容姿端正、身長一丈。
神功皇后の夫で、応神天皇の父とされるが、実在性を含めて諸事績の史実性には疑いが持たれる(Wikiより)
 
 
古市古墳群…藤井寺市から羽曳野市にかけて東西・南北各4kmの範囲にひろがる古市古墳群。4世紀後半から6世紀中頃にかけて120基を超える古墳が築造され、現存する45基には、墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳が7基も含まれている。
 
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野中寺(やちゅうじ)
大阪府羽曳野市にある高野山真言宗仏教寺院。別称は中之太子。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代
伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。飛鳥時代〜奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。(Wikiより)
 
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古市古墳群最大の前方後円墳で、墳丘長約425m、後円部直径250m、高さ35m、前方部幅300m、高さ36mを測ります。百舌鳥古墳群の仁徳陵古墳(大仙古墳)に次いで2番目の大きさを誇る。墳丘は三段、斜面は一面に石が 葺(ふ)かれ、テラスと呼ばれる平坦な部分に推定2万本に及ぶ円筒埴輪が並べられていたと考えられる。5世紀前半の築造と考えられる。(羽曳野市HP)
 
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真言宗御室派菅原道真の祖先にあたる豪族土師(はじ)氏寺土師寺として建立され、当時は七堂伽藍の大規模なものであった。大宰府に左遷される道真が叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み別れを惜しんだと伝えられる故事は菅原伝授手習鑑』「道明寺」に描かれている。道真の死後、道真の号「道明」に因み道明寺と改められた。
 
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祭神は菅原道真公、天穂日命と、菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公。道真公遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている。明治の神仏分離の際、道明寺天満宮と道明寺を分け、道明寺は道を隔てた隣の敷地に移転した。学問の神として地元の人々に親しまれ、また境内には80種800本のの木があり、梅の名所として知られている。(Wikiより)
 
 
イメージ 12
約6.9km 2kmぐらいで痛みが出てとても走れませんでした。
まだまだ回復途上。がしかし、こうなると最大といわれる仁徳天皇陵も見たい♪
 
 

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