全体表示

[ リスト ]

剽窃フォトグラフ.4

イメージ 1

イメージ 2

■上の画像、丸田祥三「大仁金山」 (1992年発表)

■下の画像、小林伸一郎氏 「廃墟遊戯」 (1998年発表)


何れも同じ金山の廃屋を正面から撮った写真です。
この一点だけならまだしも、他にも類似作が何点もございましたので、
(原告が)かなり引いて撮った作品の発表した後、
K被告が、後追いで、同じく引いて撮られた作品を撮って、発表され
た経緯、および剽窃行為とのご自覚があったか等、お伺い致しました。


K被告は、
(09年4月15日付けの陳述書で)
剽窃にあたらない理由として

『フレーミングが、決定的に異なります』(K被告の陳述、原文のママ)
と仰っておられます。

原告側はこの二点を、フレーミングが“決定的に異なる”とまで言え
るものには思えませんでした…。何を基準に、決定的に、と言い切れ
るのか、いまだしっかりしたご説明はお伺い出来ておりません。


K被告はまた、
同じく4月15日付けの陳述書において、
『自分(K被告)も、1980年代の後半から、撮影で何度も継続的に、大仁金山の精錬所
を訪れていましたので、同金山の精錬所などはよく知っていました。被写体の廃屋は、
ちょうど精錬所の裏手にありました』
…つまり、丸田の作品を見て、後追いで剽窃しようとしたのではなく、
自分もかなり昔から足繁く何度も通っていたのだ、と述べられています。

K被告は
約二十年から、『この廃墟には自分も特に拘りを抱いていた』ことを強調され、大仁金山の
“精錬所”を、80年代から、何度となく訪れ、よく熟知していた。
“精錬所”には実際、継続的に度々行っていたのだ、と短い文のなかに五、六回
くり返し、明記されておりました。




※ が、そもそも大仁金山には “精錬所(製錬所)”など無いのです――




大仁金山は
“製錬”の前段階にあたる“選鉱”という、金精鉱を選び出す作業までしか、
やっていない鉱山でした。


K被告が、もし本当に1980年代から (往時を知る方がまだ大勢
居られ、元の職員が、そこを管理しており、許可を得なければ敷地
に入れなかった頃) 大仁金山を再三訪れていたことが事実なら、
その点を誤って記載されることは、まず有り得ないと思います…


※なお余談ですが、最近ネットで大仁金山を検索すると、同金山に精錬所
があったかのように書かれている方が、何人かおられます。ネット時代と
なったここ数年内に、何方かが勘違いをされ、記されたことが、孫引きさ
れてしまったようです。そして、大仁金山に行ったことのない方や、
1990年代の後半以降に、一度くらい覗いたことはある、といった方の間で、
精錬所はあった、という架空の話が、信じ込まれてしまっているようです…


(K被告は、約二十年かけて全国の廃鉱を調べ、探し、訪ねて歩いた、と
仰っておられますが、K氏の著作「廃墟遊戯」等を拝見すると、そういう
方でしたら絶対に間違いようのないような、信じ難い誤り方をされている
記述が、数多見受けられます)

この記事に


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事