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剽窃フォトグラフ.1

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■上の画像、池尻清氏 「ORGANITHER」(1994年発表)


■下の画像、小林伸一郎氏 「廃墟遊戯」(1998年発表)




この二つの写真をご覧になって、どのように思われましたでしょうか。
これは、「写真なんて、偶然似たものになる可能性もある」
「後から同じ場所を撮ったら悪いのか」「最初にその場を撮った人以外
に撮る権利はないのか。だったら富士山とか社寺はどうなるんだ」
「廃墟は足場が悪いから、似通った写真になりやすいんじゃないか」
などという被告側の仰り方と、まったく別次元の話です。
氏の創作姿勢はプロの表現者としてハッキリ問題がある、と私は思って
おります。
おそらくは、こういった問題が他にも数多あるため、氏は私の件で非を
認めると、「他の件も連鎖的に問題になり、不味いことになってしまう…」
そういったお気持ちから、色々と画策をなさっているのかもしれません。

剽窃フォトグラフ.2

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■上の画像、丸田祥三 「機械室」(1992年発表)

■下の画像、小林伸一郎氏 「廃墟漂流」(2001年発表)


どちらも同じ歯車を、同じ側面から撮影したものです。
但し、氏の方はやや不自然に右に寄っておりますが…
私は撮影するにあたり、土地の所有者のまとめ役を
なさっていた方と、実質的な管理をされていた方、
二軒を訪ね、許諾を頂いております。
氏の方は、許諾を求めた事実はないようです。

被告側は度々、「偶然である」とか「後から同じ場所
を撮っちゃダメなのか」という旨のことを仰いますが、
この場所には、限定された範囲内に、こういった歯車
が十個以上ございます。(廃棄されたもので言えば、
駅舎、操作室、詰所、待合室の跡など、被写体は他に
も数多ございます)アングルの面でも、まだ建物など
しっかりしておりましたので、当時は足場的に危ない、
という程のことはなく、反対側の階段の上などからも
撮影は充分可能でした。

同じ場所、ではなく、
その場所にある、数多の廃物の中のまったく同じものを、
わざわざ同じ側面から、似て見えるように、なぜプロが撮るのか?
(※しかもすべて後から――)
という点が率直に疑問に思われます。



また、私が発表した時点で、すでに取り壊されてしまっ
ている被写体に関しては、一箇所として被ってはいない、
といった点も、非常に不思議です。

剽窃フォトグラフ.3

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■上の画像、丸田祥三 「棄景」(1993年発表・色調は初出時の通り) 日本写真協会新人賞受賞作

■下の画像、小林伸一郎氏 「廃墟遊戯」(1998年発表)

どちらも同じ廃屋を、左右の違いはあるものの、同じ側面に立って、
撮影をしたものです。

そして、氏の本の方は、解説文も、私の本を横に置いて書いたとし
か思えない内容で、誤記部分すらもそのまま引き写す、という大変
荒っぽい行為をされております。(※被告はもうすでに、11月11日付
けの書面にて、解説文の方を盗った、というその行為は、事実上、
お認めになっておられます。が、写真に関しては“見ていない”と
強弁されています。解説文だけ見て、肝心な作品写真の方だけ見
ていない、というのは一般常識からいってもおかしい、と目下異議
を申し上げている最中です)

撮影は、私が1987年、氏が1995年です。
(氏は、『廃墟遊戯』初版においては、私より前の撮影年を記されて
いたそうです。私のファンの方が「屋根の崩れ方からいっても、丸田
氏の方が先なのでは?」と投書して下さったそうですが。それ以降、
二刷からは、1995年撮影と訂正が入っております)

撮影箇所は、まったくの平場です。「廃墟は足場がわるくアングルが
限られる。だから偶然似てしまうものだ」という、被告側のご意見は、
当たってはおりません。写真の通り、向こう側にも廃屋があり、周囲
にも複数の廃棄されたものが点在していたところです。被写体の選
択も構図選びも、かなり自由に出来る場所です。
インターネットから情報の得られなかった時代、
その上こういった無銘の廃墟が、
作品写真の題材になるとは一般に考えられていなかった当時、
こんな偶然の一致が起きる可能性は、僅少かあるいは皆無に近しい
ものと思われます。(※また私はこの撮影にあたっては、当時の国鉄
本社・S局長様よりご承諾を得ておりますが、氏の方は、承諾を求め
た事実は無いようです)

この二点の写真を見る限り、明らかに“類似作”<何人かの写真家
の写真を一冊に纏める、または一堂に展示する際に「似ているので、
一緒に並べるとおかしい」と何れかが外され、プロとして実損を被る
可能性があるもの)には、当たるものと思われます。
そして、氏の作品の方は、「自作がオリジナルであることを保証する」
という、プロの表現者の原則にも、背かれているものではないか、と
いう気が致します。

剽窃フォトグラフ.4

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■上の画像、丸田祥三「大仁金山」 (1992年発表)

■下の画像、小林伸一郎氏 「廃墟遊戯」 (1998年発表)


何れも同じ金山の廃屋を正面から撮った写真です。
この一点だけならまだしも、他にも類似作が何点もございましたので、
(原告が)かなり引いて撮った作品の発表した後、
K被告が、後追いで、同じく引いて撮られた作品を撮って、発表され
た経緯、および剽窃行為とのご自覚があったか等、お伺い致しました。


K被告は、
(09年4月15日付けの陳述書で)
剽窃にあたらない理由として

『フレーミングが、決定的に異なります』(K被告の陳述、原文のママ)
と仰っておられます。

原告側はこの二点を、フレーミングが“決定的に異なる”とまで言え
るものには思えませんでした…。何を基準に、決定的に、と言い切れ
るのか、いまだしっかりしたご説明はお伺い出来ておりません。


K被告はまた、
同じく4月15日付けの陳述書において、
『自分(K被告)も、1980年代の後半から、撮影で何度も継続的に、大仁金山の精錬所
を訪れていましたので、同金山の精錬所などはよく知っていました。被写体の廃屋は、
ちょうど精錬所の裏手にありました』
…つまり、丸田の作品を見て、後追いで剽窃しようとしたのではなく、
自分もかなり昔から足繁く何度も通っていたのだ、と述べられています。

K被告は
約二十年から、『この廃墟には自分も特に拘りを抱いていた』ことを強調され、大仁金山の
“精錬所”を、80年代から、何度となく訪れ、よく熟知していた。
“精錬所”には実際、継続的に度々行っていたのだ、と短い文のなかに五、六回
くり返し、明記されておりました。




※ が、そもそも大仁金山には “精錬所(製錬所)”など無いのです――




大仁金山は
“製錬”の前段階にあたる“選鉱”という、金精鉱を選び出す作業までしか、
やっていない鉱山でした。


K被告が、もし本当に1980年代から (往時を知る方がまだ大勢
居られ、元の職員が、そこを管理しており、許可を得なければ敷地
に入れなかった頃) 大仁金山を再三訪れていたことが事実なら、
その点を誤って記載されることは、まず有り得ないと思います…


※なお余談ですが、最近ネットで大仁金山を検索すると、同金山に精錬所
があったかのように書かれている方が、何人かおられます。ネット時代と
なったここ数年内に、何方かが勘違いをされ、記されたことが、孫引きさ
れてしまったようです。そして、大仁金山に行ったことのない方や、
1990年代の後半以降に、一度くらい覗いたことはある、といった方の間で、
精錬所はあった、という架空の話が、信じ込まれてしまっているようです…


(K被告は、約二十年かけて全国の廃鉱を調べ、探し、訪ねて歩いた、と
仰っておられますが、K氏の著作「廃墟遊戯」等を拝見すると、そういう
方でしたら絶対に間違いようのないような、信じ難い誤り方をされている
記述が、数多見受けられます)

剽窃フォトグラフ.5

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■上の写真、丸田祥三 「迷彩」 1992年発表 (※モノクロで2回、Wトーンで1回発表)

■下の写真、小林伸一郎 「廃墟をゆく」 2003年発表

いずれも足尾銅山にある同じ電力施設の遺構を撮った作品です。
撮影は私が1989年、
K氏が1996年、とのことです。
ちなみにこの建物の正面は、この反対側の方です。
今でこそ手前まで駐車場となり、眼に着き易くなっていますが、15年くらい前までは
手前には葦の原があり、普通に建物裏が眼に入ってくる状況ではありませんでした。

□これは剽窃に当たるのではないか、またそういったご自覚は、ございましたでしょうか、
といった原告側の問い掛けに対し、

K被告は、
(盗まれたと見られる原告の元の作品と、自作とを比べられた上で)
以下のように、反論されております。
『同じ被写体でも誰が撮るかで写真は大きく変化します』(K被告による陳述書、4月15日、原文のママ)
原告側はもう唖然とするばかりでした…


それから、十八年前、私が開催した写真展(この写真も展示しました)を、K氏が訪れ、
情報等いろいろとメモって行かれたのでは、といった疑惑もあったため、
(私の写真集の大半を事前チェックされていたのでは、という疑点と一緒に)
その件に関しても、お伺いしてみたところ、

K氏からは、『プロの写真家であれば全ての写真展に行き、全ての写真集に目を通している
はずだ、などという原告の主張は荒唐無稽である』(原文のママ)といったご返答が寄せられ
ました。

(※もちろん原告はそんな伺い方しておりませんし)そのように、露骨に論点をすり替え
られること自体、後ろ暗いところがあるからに相違ない、という気が致しますが…



□また、K氏は、他の陳述書面において、
『丸田氏は、廃墟の撮影を商業・職業写真と位置付けていますが、私にとって20年以上全国
の廃墟を撮り続けるのは自己表現でもあり、私自身の感性の向上を求めるライフワークでもあ
ります。丸田氏と私では、写真表現及び廃墟に対する考え方自体がまったく異なるのです』
といった抗弁もされておりました。

…では、
その考え方のまったく異なる私の作品から、解説文を誤記ごと引き写されたり、
被告ご自身が<感性の向上を求めている>と仰るなら、
なぜ私の後から、すべて似たようなアングルで撮って廻られるのか?
といった旨の反論をさせて頂きました。


K氏は(8月28日付けの陳述書)で、
また前言を翻し、こう仰っておられました。
『一冊の写真集のうち、三分の一が先行作品と同じなら問題でしょうが、わずか数枚で
訴えられたのは心外です』

私たち原告側は、
「いいえ、プロの場合、纏めて発表されたその総体に占める割合などではなく、
本来なら、一点であっても問題にされる場合がございます」
「それに原告は長らく慇懃に話し合いを求めていたにも関わらず、(K被告が)それを
無視されてきたわけで、そういった事情からやむなく提訴に踏み切ったものですが」
「あと複数の剽窃作を目立たぬよう分散して世に出すのは、よくある手法ですが」
といった反論を再度させて頂きましたが…

K氏はその後、ずっと沈黙を守っておられます――。

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