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夢の途中 いっぽ一歩・・・

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人生は闘いだ!

今日は日曜日、2月も末。陽射しも強くなり三寒四温・・・もう少しで春です。今年の木曽の冬は昨年同様雪が少なく助かりました。しかし、先に実施されましたプレミアムフライデーに関係なく、私の生活は相変わらずバタバタしています。私が初めての弟子をとって先月3カ月のトライアル期間を無事迎え、2月20日で4か月が立ちました。

しばし弟子の話をしますと、私のとこに来るまで彼女は17歳より20年間自宅に引き籠もっていた、いわゆる引き籠もりの一人でした。その彼女が、今日まで1日も欠勤することなく、私の相棒として今頑張っています。

彼女の社会復帰の為にお役に立つのであれば・・・と決めたことであり、
それを聞いた友人に『情けは人の為ならず、これはタケさの為だ!』
と当初から言われていて、
私もその通りだよな、とある覚悟で始まったことでした。

その間、何も漆のことが解らない彼女に、
漆の仕事をマンツーマンで教えながら、
仕事を通して彼女の心が少しでも社会とかかわりがもてるようになれば・・・

果たして、彼女にとって全て満足いくものではないでしょうが、
とりあえず、仕事をしながらいろんな話をし、
少しずつ彼女が心を開き笑い、
今は私の気持ちさえ飲み込んでくれ、
時に私が救われているような気がします。

『人生は闘いだ!頑張るか!』と、彼女に言いながら、
それは、今の私自身を鼓舞する言葉となっています。

今まで、一人気ままに仕事をしてきただけに、
諸々大きく仕事のペースも変わり実際ストレスも抱えますが、
とにかく、彼女が頑張っている分私も頑張るだけです。

近況まで。

バタバタしているうちに師走を迎えてしまいました。季節の移ろいをじっくり味わうなんてほど遠く・・・とにかくせわしい日々を過ごしていました。

その間の近況をザクッと振り返りますと、
まず最も大きなことは、初めての弟子が入ったこと。

縁あって実にわけありでありますが、
すでに近所(隣組)に住む女性が来てから1か月半ほどたちます。
と書くと、何やら勝手に諸々想像できそうですが、
勝手に想像を膨らませせて下さいな(笑)
また落ち着きましたら、詳細をお知らせする時がくるかもしれません。

しかし、何も知らない人間に教えることの難しさ等、
諸々を私も経験しながら毎日が真剣勝負でもあります。

3か月のトライアル雇用期間を経て、
本格的に学び続けるのか、
はたまた私が雇用を判断することになるのか・・・
それは、まだ未定の状況であります。


福岡に住む知人(私が中学生頃からのお客さんで元バイクのレーサー)から、
『猛君、いったい何時来るんだ!?こっちはくたばってしまうよ。』
と、11月1日に電話がきたものですから、
常不義理をしていましたので『行きます!』と即答すると、
11月22日に来いちゃ!』という。
何でも、翌日23日の高千穂神社の夜神楽を見せたいのだそうです。

そんなわけで22日福岡入りし、
熊本経由で宮崎は高千穂神社に行って、
朝の神事から夜11時までの神楽33番を見てきました。
(23日は新嘗祭 幸運にも高千穂神社の神殿に玉串を挙げる幸運の恵まれました)

神楽とは神遊びをいうのだそうな。
夕刻頃からの神楽は、神がのりうつったように・・・
見たことのない不思議な世界を体感させて頂きました。

古事記 日本書紀は神代の物語・・・そして高千穂は天孫降臨で有名な地。
いったい、何の意図で書かれたものなのでしょう?
まさに日本最古の文献であり、奈良時代のミステリーであります。

その後、福岡に戻り知人に車を借り、
60キロほど車で走り唐津を訪ね、
またまた古き先輩知人にお会いし、
唐津焼きの重鎮 中里太郎衛門のギャラリー等を訪ね、
26日帰宅しました。

唐津は呼子のイカが美味しいと聞いていたので、
イカをご馳走になり、
最終日は、博多に嫁いだ極々親しい夫婦と、
もつ鍋を囲み、帰宅の途に着きました。

それからは、そのつけが回ってさあ大変。

何時だったか、石垣島の離島にあった小学生が書いた標語、
『遊んでいれば不満がない。』確かに!
でも、そのつけは恐ろしい。

では、寒くなってきました。
皆様お身体ご自愛ください。

あっ!そうそう
帰宅して間もない11月28日、
父の33回忌法要を母 姉二人と私の四人で
無事すませました。

『とりあえず、皆無事こうして笑っていられて幸せ。』
と、私は簡単な挨拶をしました。

どんなことがあっても、笑い飛ばしていきたいものです。

ではでは、写真なしの近況まで。
九州でお世話になった皆々様いろいろありがとうございました。

私の住んでいる家から山の峰を望むと、いよいよ紅葉が始まったようです。

またも時はたってしまいました・・・

大きな被害をもたらした台風18号一過の数時間後の10月6日、
最後の紅葉を見に、今では私のホームグランドのようになった山、
木曽駒は将棋の頭(2730メートル)を経て聖職の碑の遭難碑まで登っていきました。

イメージ 1
その日はまさに台風一過。その余波もあり、登りの林間地帯はそれなりの風がありましたが、遭難碑のある稜線に出ると誰も居なく実に穏やかで静かでした。この稜線は宝剣岳 駒ケ岳を目の前に悠々としていて、今の私の宝物のようなところであります。

ここで大休憩の昼食を1時間ほどとる。
持ってきたカップヌードルとおにぎり、そして食後のコーヒー。
何と贅沢な時間でしょう。

『たださわやかな風が吹いているだけ。』

♪♪何にもない 何にもない まったく何にもない 生まれた生まれた何が生まれた
星がひとつ暗い宇宙に生まれた 星には夜があり そして朝が訪れた
何にもない大地に ただ風が吹いてた〜 ♪♪
(はじめ人間ギャートルズ エンディング曲 あしおとのバラードより)


今年6月、『黒部の山賊』の著者であり、
黒部源流域を切り開いた伊藤正一さん(高校の大先輩にもなります)が亡くなりました。
(現在、三俣山荘 雲ノ平山荘 水晶小屋等は、二人の息子さん圭君と次郎君がきりもりしている)

私が4年前、穂高の伊藤正一さんの家を訪ねた際、
『黒部の山賊』の本を持って行き、
そこに「私に一言書き添えて下さい。」
と、ずうずうしくお願いしたことがありました。

すると、にこにこして真剣に筆をとり、
『人はなぜ山に登るのか。それは文明社会があるからだ。』
と、書いてくれました。

とても素敵な人で、私のような者まで大事にしてくれ、
人をこよなく愛するご老人のようでした。
ありがとうございました。

私は、ここ何年か山に登りながら、
その言葉を想い出しながら何時も登っています。
「確かにねぇ〜…」

そして、登りながらまた漱石の言葉も・・・

『山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。・・・』

う〜ん・・・

偉大なる先人たちは、今の世を、いや時を経ても変わらない人間の性をよくご存じだったのでしょう。

少女からの手紙・・・

今日から7月、早いもので2015年も折り返しを迎えました。日本は梅雨時、九州地方では前線が停滞し、ここ例年のようにゲリラ的な豪雨が襲い、私の住む木曽も、まだ夏とは言え肌寒い日々です。

さて、相変わらずまだ多忙な日々ではありますが、先日茶臼山(標高2656メートル 中央アルプス)という塩尻市で最も高い山に登ろう!という集団登山のお誘いがあったので参加したり、それなりに楽しんではいます。そんな中で、小学校4年生の少女から心が温かになる手紙を頂いたのでご紹介します。

信州の地方新聞に信濃毎日新聞と言う新聞があります。
その新聞社の企画で、毎週土曜日 小学生記者が書いた“こども新聞”なるものが新聞紙面の一面に掲載されています。

イメージ 1
この紙面は、その時の木曽の漆器の体験談と取材記事 6月27日つけのものです。

私の家には、その一週間前の土曜日に1998年に開催された長野オリンピックメダルの話を取材しに来るとのことでしたので、子供記者たちと、まずそれぞれ名刺交換をしてから話をしました(子供たちが名刺を持っていることを知っていましたので、私が名刺をさし出すと、子供たちもちょっとビックリしながらのぎこちない名刺交換・・・これはなかなか面白いやりとりでした。ニコリ)。

イメージ 2
子供たちの名刺の数々・・・今時の名前ですねぇ〜。

しかし何せ、長野オリンピックの時には生まれてもいない子供たち、どのように話してよいものやらと思いましたが、多くのメダルの試作品等がありましたので、それを見せながら話を進めました。

15分ほど話をしたのち、質問を受け取材は無事終了しました。
ところが、その直後一人の女の子が気分が悪い (手紙にかいてあるように、たちくらみだったようです) というので、
『無理しないで、少し家で休んでいけば?・・・』と、
付き添いのお父さんに言うと、『そうして頂けますか。』とのこと、
そして、少しばかり休んでまた皆に合流し帰って行きました。

すると、後日こんな可愛らしい御礼の手紙が私の手元に届きました。

イメージ 3

私も、これまで幾人かの新聞記者とのやりとりをしてきましたが、
こんなお礼の手紙をもらったのは初めてです(今は、お礼もメールですませてしまいがちです)。
ありがとう。

ある意味、子供の方が大人よりきちんと礼儀正しく。
そして、その下に添えられた母親の手紙、
これこそ子供にとって何よりの大きな教えとなるのでありましょう。

では、小さな新聞記者の皆さん 頑張って!


追:

このブログを投稿した翌日、こども新聞の編集にあたった女性の方(名刺交換もしていなかった)から、新聞紙面とご丁寧な手紙を頂戴しましたので、書き添えておきます。まだまだ捨てたもんじゃありません。ごめんなさいね。
ブログの更新がとだえていましたら、本日悲しい訃報がはいってきました。5月5日から5月10日まで鎌倉は吉野邸(著名な歌人であり書家であったの故吉野秀雄さんの邸宅)で、木曽塗り展なる5人展を開催し、ホッと一息を着いていたところでした。

イメージ 1
5月11日早朝 2番乗りの鎌倉大仏さま あまりの静けさにびっくり 好い時間でした。

私は5月9日・10日の二日間吉野邸につめ、10日夕刻作品展の搬出 打ち上げも無事終了。
翌11日(昨日)、藤沢市のビジネスホテルから葉山の友人を訪ねる道沿いに大仏さまは鎮座。
車を止め朝一番にお参り、好天のもと静かにお参り出来ました。

先ほど、故人となってしまったT氏の共通の友人から電話があり、
訃報の連絡が回ったのが私たちの作品展が終了した後の、今日12日。
亡くなっていたのは、作品展前日の5月4日。

『きっとT氏のこと、作品展の終了を待って関係者に連絡を回わすように配慮したのではないか・・・』とのことでした。
(作品展には、私を含めT氏と親しかった人が5人のうち3人絡んでいました)



言葉もありません。

亡くなった方は、漆の世界では知る人ぞ知る著名な漆掻き(漆を採集する人)T氏。
30年来のお付き合いさせってもらった尊敬できる兄貴分のような人でした。

今年2月中旬、遅い年賀状を頂き、昨年暮れ胃の手術をしたとのことが書かれていましたので、
3月初旬、埼玉県大宮市までヘルメット組み立ての為にアライ本社まで行ったので、
福島県喜多方市まで足を伸ばしお見舞いに行ってお会いしてきたばかりでした。

その時は、すでに痩せてはいましたが相変わらず溌剌とした声で、
しばし奥さん共々何時ものように冗談を言いながら話こんで帰ってきました。
長くはないと、本人も覚悟していたようですが、
本当に今は寂しいばがりです。
(どうも、T氏と関係のあった友人皆同様のようで、今夜はいろんなメールやら電話がきています。)

T氏との想い出は尽きませんが、
20年ほど前、井上靖の著書 “敦煌”の映画について話していた時のことです。

私が、一番印象に残っている言葉は、

『他人が苦しめるのではない、己の心が苦しむのだ。』と言うと、

『僕は違う!天下をとるのはおまえ達ではない! 李元昊の言葉だ。』

それを聞いた時、『さすがだねぇ〜!』と大笑いしました。
結局、T氏はそう言いながらも昨年の年賀状にこう記してありました。

『漆の世界は権力が横行する社会、僕は漆の木を植えることに専念します。』

“天下をとる!”なんてのは、あくまでうそぶいた冗談、
でも、半分はホント!・・・
私の内にも、確かにそんなおもいがないわけでもない。

Tさんの分まで頑張れるだけ頑張ろう、と今思っています。
そして、日本の漆自体の将来についても再考しなくては、と考えていますよ。
ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお眠り下さい。

合掌

*鎌倉での作品展はの様子は、また後日お話したいと思っています。

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