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▽死刑と無期懲役刑の基準はない 死刑は裁判官の恣意的な判断によって下されている。複数の人を残虐に殺した同種の事件でも、ある被告は死刑になり、ある被告は、無期懲役になる。特に、最近はそれが激しい。死刑と無期懲役刑の境がどこにあるのか、どこに線がひかれているのか。あるようでない。ないようである。複雑怪奇、魑魅魍魎ともいえる。が、詰まるところ、そんなものはないのである。 もともと人間のやることに完璧を期待することはできないが、人の生死にかかわる判断の基準を「人間のやることだから、完全ではない」と言って、済ますことが、できるのだろうか。 ▽裁判官は死刑判決を出したくない 私の印象では、多くの裁判官は死刑判決を出したくないと思っている。死刑が国家による合法的殺人であるとすれば、それに関与するトップは事実上、裁判官である。裁判官が執行を決定し、法務大臣がゴーサインを出し、刑務官が執行する。できれば、この一連の「殺人」にかかわりたくないというのは、裁判官のホンネであろう。(そのホンネは法務大臣、刑務官にも共通する)。 だから、裁判官は死刑求刑事件で、一生懸命、減刑理由を探すのである。死刑から無期懲役に減刑した1審判決を読むと、裁判官が被告を死刑にしない理由が、だらだらと並べられているが、私には、「弁解」や「弁明」に思える。その行間には「この被告には本来死刑を言い渡すべきだが、私は死刑判決を出したくないので出さない」という思いが透けて見える。 何らかの情状があれば、それを理由にできるだけ死刑を回避しようとする。減刑理由は何でも良い。先にあげた中津川一家殺人事件のように、へ理屈でも何でもいい。もっともらしい理由があれば、それを根拠に減刑し、死刑から罪一等を減じて、無期懲役とするのである。 5人を殺した完全責任能力の被告に死刑判決を出さないというなら、どんなケースも無期懲役にできるだろう。 ▽死刑判決は全員一致 死刑にするか、しないかは、裁判官次第である。通常の死刑求刑裁判は、裁判官3人の合議制で行われ、2人以上の同意で判決が決まる。多くの場合、死刑判決で3人の判断が分かれることはない。裁判長が下す判断にほかの2人が同意するという形になる。 つまり、全員一致で決まる。死刑判決を出す場合、1人でも反対がいるのはまずいので、死刑判決は常に全員一致だ。全員一致でなければ死刑判決は出さないのが慣例である。これ自体、合理的な慣例である。なぜなら、3人の合議制で行う死刑判断に2人の同意しか得られないということは、3分の1、約30%の疑問があるということになる。30%の疑問は十分に「合理的な疑い」に相当する。 ▽境目は、情状の評価 この疑問には、2種類ある。ひとつは、検察の立証に関する疑問。もうひとつは、情状に関する疑問。前者であれば、死刑判決は絶対に出せない。無期懲役に減刑にするか、無罪判決もありうる。検察の立証に問題がないとすれば、あとは、被告にとって有利な情状どう評価するかという問題に帰着する。多くの死刑求刑裁判で、死刑になるか無期懲役になるかの境目は、情状をめぐる判断である。 ▽有利な情状を最大限評価 死刑を出したくない裁判官は、被告にとって有利な情状を最大限評価して、無期懲役に減刑する。厳格な裁判官は、少々の情状など考慮せず、死刑判決を出す。情状が死刑を回避するに値するものであるかどうかの判断は、人によって、つまり、裁判官によって違うのである。 しかし、日本の刑法に最高刑として死刑の規定がある以上、死刑にしない理由は、それ相応のものでなければならない。これまで積み上がってきた判例から大きく逸脱することはできない。 ▽失笑を買う判決 「将来、被告は悔悟の念を示すだろう」、「時間が立てば遺族の処罰感情も薄れるだろう」などという理由で、一家5人を自己利欲目的で、残虐に殺した男を死刑から無期懲役に減刑するという判決は、本来、あり得ないはずである。そんないい加減な理由で、死刑を回避した判決は、過去になかった。なぜ司法界から失笑を買うようなこんな判決が出るのか。それには、それなりの理由がある。 3月10日記
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