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▽G8では日米だけ死刑実施 世界で死刑を実施している国は、少数派である。G8といわれる先進8カ国に限って見ても、実施しているのは日本とアメリカだけだ。2009年の死刑執行数はアメリカが52人、日本が7人である。アメリカの法制度は州と連邦の2本建てで、それぞれの刑法に最高刑として死刑が規定されている。(このほか連邦の軍法の最高刑も死刑)。アメリカは50州のうち15州が死刑を廃止、35州が死刑を実施している。(2010年6月現在)。(ちなみに、世界で一番、死刑執行数が多いのは中国。アムネスティ・インターナショナルによると、2008年に1718人が処刑されたが、実数は、7000―8000人といわれている)。 ▽死刑実施国は少数派 大ざっぱに言って世界の諸国の4分3は死刑を廃止、4分1は存置(そんち)している。どのような経緯で死刑の廃止が決まったかというと、多くは強力なリーダーシップをとった政治家による活動の結果である。たとえば、過去も含めて独裁国家に死刑廃止国が多いが、これは独裁者が一存で決めたり、議会を動かして死刑廃止法案を可決させたりしたケース。かつて1人の政治家(独裁者)による独裁国家か、1人の政治家や特定の党が長期間、独裁的権力をふるった国々であることが特徴。(例としてはブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、ベネズエラ、パラグアイ、ルワンダ、ブルンジ、モザンビーク、ナミビア、グルジア、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、フィリピン、ネパールなど)。多くは対外イメージを良くしたり、人道主義をアピールしたりするための政治的措置である。 ▽フランスの場合 フランスもこの範疇に入る。フランスは独裁国家ではないが、ミッテランという不世出の政治家が、生涯をかけた公約として実現したのが死刑廃止である。このケースを詳しく見てみよう。 フランスは、戦後、ギロチンによる死刑を存置していたが、憲法は、大統領に死刑判決を受けた受刑者の執行を無期限に延期する権限を付与していた。歴代の大統領は、この権限を使い、死刑執行数は、年間一桁台と少なかった。これをさらに一歩進めたのが1981年に大統領となったミッテランである。 ▽政治生命をかけて死刑を廃止 ミッテランが死刑廃止を掲げて大統領選挙に出馬した1980年当時の世論は、死刑賛成が約60%、反対は約30%だった。有力政治家として死刑廃止を公約に掲げることは、選挙戦略上、不利であり、有害でさえあった。世論が死刑廃止に傾いていないから票につながらないし、自ら逆風をつくりだすようなものである。しかし、ミッテランは、側近や選挙対策のアドバイザーの進言を退けて、大統領選出馬後も死刑廃止公約に固執した。死刑は人道に反する行為であり、死刑を存置する国は、文明国とはいえない、というのが彼の信条であった。 ▽フランス大統領の権力 就任後、ミッテランは法務大臣に、多数の貧窮の死刑被告人の弁護を引き受けるなど死刑廃止運動のリーダー的存在であった弁護士のバダンテールを任命するとともに、死刑廃止法案を下院議会に提出した。廃止法は約360対約110の賛成多数で成立した。就任から約4カ月のスピード立法である。 1962年からフランスの大統領は直接選挙で選ばれることになった。任期は7年で、最高2期14年まで務めることができる。その権力はきわめて強い。2期8年のアメリカ大統領より強力だ。世界で一番強い権力を持っている大統領は、フランスの大統領であろう。直接選挙で選ばれた大統領は、自ら率いる政党が少数野党に陥っても、大統領職をやめることはないし、その権威、権力は基本的に揺るがない。自ら率いる党が与党であれば、たいがいのことはできる。 ▽7年で世論が一変 ミッテラン政権の最初の5年間は、大統領与党が下院の多数を維持していた。だから、スピード立法が可能だった。任期は7年あるので、ミッテランは再選選挙を気にすることなく公約を実行することができたのである。ミッテランは、7年後に再選されたが、その時、死刑賛成・反対の世論は逆転し、賛成は少数派になった。死刑廃止は、もはや選挙の争点にはならなくなっていたのである。 ▽偉大な政治家の信念が必要 ミッテランは、2期14年にわたって大統領の座にあったが、この間、死刑反対の世論は一層強くなり、定着した。1人の偉大な政治家の信念が、死刑に対する人々の考え方を大きく変えた典型的な例を、ここに見ることができる。逆に言えば、議会制民主主義の国においては、死刑反対、廃止の強い信念を持ち続けけるパワフルな政治家がいなければ、死刑は廃止されることはないということである。 2010年10月12日記 Copyrights (C) All Rights Reserved
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