|
生かされていない4大事件の教訓 既に書いたように戦後の日本で、冤罪で死刑判決が4件出された。
4件とも1審から最高裁まで同じ間違いが繰り返され、ただされることはなかった。
4件とも再審で無罪と分かったが、そこに至るまで約30年の月日がかかった。すべて捏造された証拠にもとずく起訴であり、死刑判決であった。 しかし、冤罪を見抜けず、死刑判決を出した裁判官は1人残らず、処分を受けていない。 普通なら懲戒免職を受けてもおかしくないのに、これらの裁判官は減給処分すら受けず、 その後も、裁判官を続け、普通に退官している。 4人の被告には国家賠償という形で金銭補償はあったが、それ以外には何もない。 裁判にかかわった検事や判事は謝罪もせず、のうのうと「生き残った」のである。 これほどの不正義、不条理はない。 「それらは、昔のことであって、今はそんなことはない」と言う人もいるだろうが、 そんなことはない。 悪質化する捜査 死刑判決ではなかったが、足利事件の菅谷さんも冤罪で無期懲役刑の有罪判決を受け、 17年服役した。捜査当局がDNAサンプルの証拠をでっち上げ、これが決定的証拠と認定されて 有罪になったことは、よく知られている。 最高裁はこれを見逃したどころか、これを根拠に上告を却下し、無期懲役刑を認めたのである。 4大事件と何ら変わらない。 足利事件では、科学的証拠をもっともらしく偽装しており、悪質の程度は、 昔よりひどくなっているといえる。 捏造証拠で死刑の可能性 捜査当局が証拠を捏造することが日常茶飯事になっているということを、はっきり示したのは、 厚生労働省高官の村木さん冤罪事件であろう。調書のでっち上げは当たり前、
フロッピーの書き換えなど物的証拠の捏造も辞さない検察の捜査手法は、
捏造された証拠によって死刑判決が言い渡される可能性がある現在の日本においては、治安維持法下のかつての日本や、全体主義の国家とちっとも変わらない。
死刑制度を存置するべきではない。
間違って死刑にしたら取り返しがつかない。その可能性がわずかでもあるかぎり、
死刑はやめ、最高刑は終身刑にするべきである。
内閣調査の恣意性
その意味で、死刑に関する内閣調査の設問は、再考するべきである。
いきなり「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と問われれば、
ノーと答えざるをえない人が多い。
池田小襲撃事件のような極悪非道の犯罪を思い浮かべれば、
死刑は維持したほうが良いと思うのはごく普通の感覚である。
だいたいの人がイエスと答えるだろう。そして「場合によっては死刑もやむを得ない」という設問に誘導されれば 両者をもって、死刑制度への反対・賛成の割合とするのは、 恣意的である。 内閣府は、法務省、検察庁の意を受けて、死刑存置の立場から設問を作成しており、
結果を誘導するような世論調査は、ご都合主義といわざるを得ない。
たとえば「現在の日本の裁判を見て、死刑制度の維持に賛成しますか」という質問には
9割近くの人が賛成するとは思えない。 あるいは「死刑廃止を検討する時期にきていると思いますか」という設問を用意した場合、
かなりの人がイエスと答えるのではではないか。
あるいは、「場合によっては死刑廃止もやむを得ない」という設問にしたら
反応も違ってくるだろう。
「死刑に賛成か反対か」、「右か左か」といった単線的な賛否を問うのではなく、
死刑制度を維持するとしても、どんな場合に死刑にするか(死刑罪の定義)を問うたり、
裁判員制度が定着しつつある現在の日本では、一般人が死刑判断をすることが死刑の代わりに終身刑を導入することの是非をきくなど重層的な設問を考えるべきある。 現実的になっている。 国民の意識も相当変化しているのに、政府は、そこに焦点を当てた調査を回避し続けている。 時代の変化を勘案しないで、賛成か反対かを聞いてみても あまり意味のある結果が出るとは思えない。 死刑問題は、その最たるテーマである。 All Rights Reserved Copyrights (C)2011年2月11日記 |
全体表示
[ リスト ]





