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▽判決を左右する2つの要素 繰り返しになるが、責任能力が争点になった刑事裁判で、精神鑑定が重要視されないのは、被告人の責任能力に疑問があると結論付けた精神鑑定をそのまま採用すると、無罪か、大幅減刑の判決を出さざるをえないからだ。有罪判決を出すためには、何らかの理由をつけて被告人の完全責任能力、または限定責任能力を認定する必要がある。そのために便利な2つの枠組が使われる。裁判官は、この2つの枠組を駆使することによって、責任能力を認定している。 ▽動機、犯行の了解可能性 まず「了解可能性」である。渋谷バラバラ殺人事件の責任能力認定で説明したように、常識に照らして、犯行動機が理解できれば、それ自体を責任能力があったことの証明とみなす。怨恨、復讐など納得できる理由があればそれで十分だ。刑事裁判は、すべての犯罪に動機があることを前提にしている。犯罪構成要件の中で、動機は必須のもので、「動機なき犯罪」はあり得ない。すべての犯罪には動機があり、了解可能な動機による犯罪は罰することができる。したがって、了解可能な動機=責任能力である。(すでに述べたが、了解不可能な動機の犯罪は罰することができない。この場合、検察は起訴せず、被疑者を措置入院させる)。 ▽犯行前の行動、言動 犯行前の行動や言動にも注目する。殺傷力の高い凶器を準備したり、犯行現場の下見をしたりといった行動は、被告人の精神状態が正常であったことを示すととらえる。犯行前の言動に異常がなく、家族、隣人、同僚、友人、知人などと普通のコミュニケーションが取れていれば、それだけで、責任能力を認定する。犯行を容易にするため、何らかの計画を練ったようなことがあれば、それも責任能力があったことの証明だ。これらにも了解可能性の枠組を適用し、責任能力を認定するのである。 ▽依存症の責任能力 覚せい剤などの薬物依存症、アルコール依存症、シンナー中毒による心身喪失、心神こう弱については「愿因において自由な行為の理論」を適用して責任能力を認定する。精神医学者の風祭元氏によると、精神科医と司法官(検察官、裁判官)との間に、アルコール、覚せい剤、有機溶剤などの依存症に基づいて起こった精神異常状態は原則として、刑事責任能力の減退または喪失を認めないという慣例が合意されているという。(脚注1)(ただし、これは、検察シンパの精神医学者に限ると思われる。検察御用達の精神医学者と、そうではない精神医学者がいて、前者は検察が望む鑑定をし、後者は必ずしもそうしないというケースが目立つ)。 ▽犯行の態様による責任能力の認定 たとえば、ナイフで心臓を一突きして即死させたとか、首の動脈を狙って一回で切断し、出血死させたとか、特定個所を狙って致命傷を与えたというような犯行は、「意識の清明さ」があった証拠として、責任能力認定の理由になる。むちゃくちゃに凶器を振り回して殺したというようなケースとは一線を画し、責任能力があるから確実に人を殺傷する行為ができたと、とらえるのである。 ▽犯行後の行動による責任能力の認定 端的なのは犯行の隠ぺい工作。犯行現場から指紋、血痕を消したり、遺留物を完全撤去したり、アリバイを偽装したり、または殺した相手が生きているように装ったり、さまざまな策をろうして犯行を隠ぺいすること自体、善悪を区別できる正常な精神状態だったことの反映であり、その判断に従って自身の行動をコントロールしていたとみなし、責任能力の証明ととらえる。また、犯行後すぐに自首したり、第三者に犯行を告白したというような行為は、善悪の区別がつく能力があったとみなされ、責任能力が認定される。また、犯行の一部始終を記憶していることも、責任能力の証明となる。 ▽社会に与えた衝撃性(処罰感情) 責任能力を認定するもう一つ枠組は「社会に与えた衝撃性」である。遺族を含む社会の処罰感情と言い換えても良い。これは、精神医学の診断基準ではなく、本来、責任能力を認定する理由にはならない。責任能力認定の隠された枠組ともいうべきもので、正確に言うと、「責任能力を認定しなければならない理由」である。 ▽土浦連続殺傷事件の場合 たとえば、茨城県土浦市で起きた連続殺傷事件(2人死亡、7人負傷)で、殺人などの罪に問われた金川真大(かながわ・まさひろ)被告に対し、水戸地裁は2009年12月18日、完全責任能力を認定し、死刑判決を言い渡した。 金川被告が多数の人を無差別に殺傷した動機は「死刑になるため」とされた。了解可能とは言えない異常なケースである。当然、責任能力が争点になったが、裁判所は、責任能力はあったとする精神鑑定を採用し、完全責任能力を認定して求刑通り死刑判決を言い渡した。 裁判長は、量刑理由の中で次のように述べた。「本件はわが国の犯罪史上でもまれな凶悪重大事案である。まことに理不尽であり、社会に大きな衝撃を与えたのは当然である。このような無差別連続殺人は、殺人事件の中でも最も重く処罰されるべき1類型といわなければならない」。 ▽はじめに完全責任能力ありき この量刑理由に「はじめに完全責任能力ありき」という裁判所の思考が表れている。裁判開始直後から裁判所は、金川被告の完全責任能力を認定し、極刑を科すと決めていたのではないか。私は量刑理由を読んで、直観的にそう思った。 「何としても有罪にしなければならない。そのためには完全責任能力を認定しなければならない。そのためには、責任能力に疑問を出すような精神鑑定が出ては困る」。私の推測だが、裁判官たちの間には、こんな思惑がめぐっていたのではないか。精神科医は「金川被告は自己愛性人格障害で完全責任能力があった」と死刑判決を後押しするような鑑定結果を出した。これを受けて、死刑判決が出されたのである。 ▽理想的パターンとは 精神科医が被告人の完全責任能力を認定しない場合、裁判官が死刑判決を出すことは難しい。難しいけれど、了解可能性による責任能力の認定によって完全責任能力があったと認定することも、やろうと思えば十分可能だ。が、できれば、精神医学的にも完全責任能力があったというお墨付きをもらい、かつ、了解可能性の枠組によって法的に完全責任能力を認定して、死刑判決を出したいのである。土浦連続殺傷事件は完璧にこのパターンにはまった。検察、裁判所にとって理想的に裁判が進み、死刑判決となった。 ▽刑事政策的な配慮 多数の死傷者が出て、社会的に大きな衝撃を与えた事件への対応は、そうでなかった事件と根本的に違う。検察は、事件がどんなに異常でも、被告人がどんなに異常な人格でも、必ず起訴する。責任能力が争点になった場合は、検察が指名した精神医者によって、「責任能力に問題はなかった」という鑑定が出される。「はじめに完全責任能力ありき」だ。(その意味で、渋谷バラバラ事件の裁判において、歌織被告の精神状態について検察、弁護側の双方から責任能力に疑問を投げかける鑑定が出たことはきわめて異例である)。 裁判所は、検察が証拠として提出した精神鑑定を受けて必ず被告人を有罪にする。多くの場合、死刑判決を出す。社会的に大きな衝撃を与えた事件については、被告人の完全責任能力を認定し、「絶対に無罪にしない」という刑事政策的な考慮が働くのだ。これに関しては検察と裁判所は、一体である。 ▽はじめに死刑判決ありき 検察が土浦連続殺傷事件の被告人を心身喪失で不起訴することなど論外。裁判所としても心神こう弱による限定責任能力で無期懲役に減刑する選択肢は最初からなかった。裁判官がこんなことを判決文に書くわけはない。裁判官に直接聞いたら「馬鹿げた推測だ」と一笑に付すだろう。しかし、土浦連続殺傷事件の量刑理由の行間に、その思いが、にじみ出ている。判決は「このような無差別連続殺人は、殺人事件の中でも最も重く処罰されるべき1類型といわなければならない」と述べているが、これこそ「はじめに死刑判決ありき」の判断があったことの証明ではないか。これまでの大量殺人の異常事件の判決は、ほとんどこのパターンだ。起訴した時に、事実上、死刑が決まっているのである。 (脚注1)風祭元 「精神鑑定の事件簿」 日本評論社 2006年 74ページに次の一節がある。「わが国では、アルコール、覚せい剤、有機溶剤などの化学物質依存に基づいて起こった精神異常状態は原則として刑事責任能力の減退または喪失を認めないという慣例が、近年は司法官と精神科医との間で合意されている。これは「原因において自由な行為」という考え方によるもので、犯行時の精神異常の原因となった化学物質を、異常な精神状態を起こしうることをあらかじめ承知のうえで自由意思で摂取したのであるから、その結果起こった触法行為には完全責任能力を認めるべきであるという法理である」 2010年1月2日記 Copyrights (C) All Rights Reserved
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