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▽了解可能性の乱用に警鐘 了解可能性の枠組を駆使すれば、どんな精神鑑定が出ても被告人の完全責任能力を認定できる。責任能力の認定は、裁判官の専権事項であることはすでに述べたが、それにしてもやりすぎというか、何が何でも完全責任能力を認定するという姿勢が露骨な判決が多い。どうしても無理な場合は、不本意ながら、心神こう弱を認め、限定責任能力とするといった感じだ。こうした傾向に警鐘をならす最高裁判決が2009年4月に出た。 ▽精神鑑定は尊重すべし その趣旨を、かみ砕いて言うと、「精神医学者の見解を、ことさらに無視するのは良くない。鑑定方法がいい加減でなければ、その結果を尊重しなければならない」というものだ。 これは2003年、傷害事件に関連して行われた精神鑑定の評価が問題になった裁判の上告審判決。元の雇い主を殴り、死なせたとして傷害致死罪に問われた男性について1審の東京地裁は、統合失調症による心神喪失だったとして無罪判決(求刑懲役5年)を言い渡した。検察の控訴に対して2審の東京高裁は、統合失調症だが、心神こう弱だったとして限定責任能力を認定し、逆転有罪判決(懲役3年)を出した。弁護側の上告に対し、最高裁は、2審を破棄し、裁判のやり直しを命じた。 ▽幻聴で傷害致死 事件の概要は以下の通り。被告人の男性は、幻聴で元の雇い主が男性の悪口を言っていると思い込み、作業所に押し掛け、雇い主を殴り、逃げる雇い主をさらに殴り、道路に転倒させた。その後、足蹴にしようとしたが、通行人が見ていることに気付き、逃走した。雇い主は病院に運ばれたが、約1週間後、くも膜下出血で死亡した。男性は、病院に搬送された雇い主が重体であることを新聞報道で知り、翌日に警察署に出頭した。 ▽二重見当識とは何か 起訴前の簡易鑑定は、男性の責任能力について「犯行時、統合失調症の幻覚妄想状態にあったが、本件行為に至る行動経過は合目的的であり、是非弁識能力と行動制御能力を喪失していたとは言い得ない」と述べ、心神こう弱だったと述べた。 裁判開始後に行われた本格鑑定は「被告人は犯行時、統合失調症の激しい幻視妄想状態にあり、心神喪失状態だった。犯行前後の行動が合理的に見えるのは『二重見当識(にじゅう・けんとうしき)』によって説明可能である」と述べた。 1審の無罪判決は、被告人が心神喪失だったという本格鑑定の結果を尊重したためであろう。本格鑑定が言及している二重見当識とは、同一の人物が、犯行時に統合失調症の幻視妄想状態にありながら、その前後においては普通の人と変わらない行動ができることを指す。正常と異常が同一人物の精神の中で、併存し、2つの見当識(オリエンテーション)を持つことができるという意味だ。通行人に気付かれて逃げたり、事件の報道を新聞で読んで出頭したことは二重見当識として見れば、心神喪失状態の継続ととみなすことができる。1審は、二重見当識という鑑定医の見方を採用した。(これらの行動は、了解可能性の枠組では、逆に責任能力の証明になる)。 ▽2審は心神こう弱と判定 2審は一転して、本格鑑定を退け、心神こう弱で限定責任能力を認定して有罪判決を出した。「自分の悪口を言っている相手を懲らしめてやろう」という動機は、了解可能であることや、犯行の模様を詳しく記憶していること、さらに自ら出頭したことなどを総合すると、ある程度は事理弁識能力があったとして限定責任能力を認定したのである。 ▽幻聴に起因する動機は了解可能か 最高裁は、2審の責任能力の判定の方法に疑問を呈した。(1)動機は幻聴によって生まれたもので、了解可能とは言えない(2)被告人は統合失調症にかかっており、心神喪失だったという鑑定を否定する説得力のある説明がない(3)犯行の模様を詳しく記憶していることや自ら出頭したことなどは二重見当識で説明できるが、これを否定する十分な理由を述べていない、などである。 ▽精神鑑定は尊重し、認定すべき 最高裁は、責任能力の判定に際して、精神鑑定を尊重するよう諭す一方、了解可能性の枠組を乱用しないように戒めたのである。最高裁判決は「専門家たる精神医学者の意見が証拠となっている場合には、鑑定人の公平さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのではない限り、その意見を十分に尊重し、認定すべきである」と述べた。 ▽差し戻し控訴審は心神こう弱で有罪判決 しかし、2審を差し戻された東京高裁は、本格鑑定を否定し「犯行時は統合失調症の影響があったが、自ら出頭するなど善悪を判断する能力が全くなかったわけではない。心神こう弱だった」 として限定責任能力を認定、控訴審判決よりやや減刑して懲役2年6月の実刑判決を言い渡した。高裁判決は「追加審理をしたところ鑑定結果に疑問が生じた。最高裁判決には拘束されない」と述べ、本格鑑定の結果を全面的に採用しなかったのである。 ▽了解可能性の枠組は不動 差し戻し裁判の東京高裁の対応は驚くべきものだ。最高裁が、精神鑑定を尊重せよ、と命じているのに、「鑑定結果に疑問が生じた」と述べて、これを軽視する姿勢を示している。本格鑑定の結果を尊重すれば、被告は、犯行の前後、一貫して心神喪失状態にあり、事理弁識能力がなく、行動制御能力もないという結論に落ち着く。したがって無罪にしなければならないが、高裁は了解可能性の枠組に固執し、これを精神鑑定の結果と相殺することによって限定責任能力を認定したのである。 精神鑑定医が心神喪失と診断しても、了解可能性の枠組を使えば、責任能力は認定できる。最高裁判決によっても、了解可能性の枠組による責任能力の認定方法は、不動である。責任能力が争点になった事件で検察があえて起訴したものは、精神鑑定の結果がどうあろうと、絶対に無罪にしないという執念のようなものを、私は、この判決に感じる。なぜなのか? ▽裁判官の意識 裁判官が責任能力を判定する際、精神鑑定に全面的に依拠すれば(つまり全面的に尊重すれば)、無罪判決、減刑判決が乱発され、それが判例として積み上がれば、少しでも責任能力に疑問がある大量殺傷事件の被告人に死刑判決を出すことはできなくなる。求刑が死刑でも限定責任能力となれば、無期懲役に減刑しなければならない。だからどんな小さな裁判でも「心神喪失で無罪」という判決は出さない。「心身こう弱で減刑」という判決もできるだけ出さない。これが、日本の裁判官の暗黙の了解になっているのではないか、というのが私の想像である。 2010年1月5日記 Copyrights (C) All Rights Reserved
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