丸山徹の裁判員制度徹底解明

司法、法律について実践的知識満載

あなたに死刑判決が、くだせるか

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

判決とメディア報道

あなたに死刑判決が下せるか


 ▽ハイプロファイル・ケース
 

 裁判官は裁判において新聞、テレビなどの報道に左右されず、証拠と証言を客観的に判断し、公平な判断をするとされている。大方の裁判では、そうだろう。しかし、一部の著名な裁判では、そうではないところがある。著名な裁判とは、メディアが大々的に報道し、多くの人は関心を持つ裁判である。これを英語で、High Profile Case(ハイプロファイル・ケース)という。



 日米を問わず著名芸能人が重大犯罪の被告や被害者になった裁判は派手に報道される。芸能人ではなくても連続殺人、猟奇殺人などの特異なケースは、微に入り細に入り、報道される。足利事件の再審裁判のようなシリアスな裁判も、その衝撃性でメディアの関心を喚起する。このような裁判は、司法システムの見直しを迫るほどの大きな影響力があり、真のハイプロファイル・ケースといえるだろう。


 ▽メディアはやりたい放題


 アメリカでも日本でも、裁判官や陪審員(裁判員)に予断を与えるような報道はしてはならないとされている。これを偏見報道というが、アメリカでは事実上、何の規制もない。メディアはやりたい放題、何でも報道する。タブロイド紙は、逮捕、起訴時に、有罪と決めつけたような報道をしたり、公判中も被告人を犯人視するような記事を書いたりする。


 

 名誉棄損で訴えられるというリスクはあるが、リスクを侵しても、どんどん書き、放映する。言論・報道の自由を定めた合衆国憲法修正第1条によって、基本的に権力がメディアの報道を規制することはできないからだ。日本も同様だ。裁判員制度の発足時、メディアは偏見報道の自粛を決めたが、形ばかりの内容で、報道姿勢は、以前と比べて実質的に変わらない。


 ▽ショー化するハイプロファイル・ケース


 新聞やテレビなど一般の報道裁判がワイドショーで取り上げられるとハイプロファイル化がエスカレートする。裁判がショーになるのである。アメリカでは、裁判専門のチャンネルがあり、24時間、裁判の報道をしている。著名裁判の報道では、法廷の中にカメラが入り、実況中継されることもある。日本では、裁判が実況中継されることは当面ありそうにないが、在京テレビを中心に著名裁判を面白おかしく伝えるワイドショーがいくつもあり、それぞれ派手さやスクープを競って、センセーショナルに伝える。


 裁判官は、こうしたメディアの報道をどのように受け止めているのだろうか。先入観を持たないためにあえて事件について新聞記事を読むことや、テレビを見ることを自粛しているのだろうか。否である。ほとんどの裁判官は、自分が担当した裁判の報道を詳細にわたって、綿密にチェックしている。特に新聞はすべてチェックしている。自分の判決がどう評価されているか、気になるからだ。


 ▽裁判官はメディアの報道に関心


 ちなみに事件の報道に最も関心を持っているのは警察官、次に検察官だが、裁判官も彼らに劣らず強い関心を持っている。新聞やテレビで大きく報道される裁判はほんの一握りだ。ほとんどの裁判は、ベタ記事にすらならず、無視される。新聞の一面トップや社会面トップを飾る裁判は、きわめて少なく、そうした裁判に関わることができる裁判官は、ほんの一握り。ハイプロファイル・ケースの裁判に関わることができるのは、一部の「幸運な」裁判官なのである。ハイプロファイル・ケースは、場合によっては、これまでの判例を大きく変える争点を含んでいることもある。さらに、死刑判断や憲法問題が、からんでくれば、いやがうえにも報道はヒートアップし、質、量ともに最大級になる。


 多くの裁判官は、地味な事件の裁判を粛々と行い、ハイプロファイル・ケースを一生に一度も経験することなく退官していく。だからハイプロファイル・ケースにあたった裁判官はメディアを意識して裁判を行い、判決を出すのである。メディアは、だれが判決を書くのか注目する。その過程で、裁判官は、メディアがつくる「ムード」や「世論」に影響を受ける。

 ▽メディアの報道に影響される裁判官


 「裁判官はどんな偏見報道にさらされても、事件を客観的に見る訓練を受けているし、修業も積んでいるので、メディアの報道に惑わされることはない」と多くの裁判官は言うだろう。それが彼らのプロとしてのプライドである。しかし事実は違うのではないか、と私は思う。


 たとえば、闇サイト事件の死刑判決は、「1人殺害は無期懲役」という従来の判例に従えば全員無期懲役である。が、共犯3人のうち2人に死刑判決が言い渡された。これは、死刑を求める「世論」を受けた判決である。「世論」をあおったのはメディアである。判決は、それを意識し、「異例」の死刑判決を出した。結果的に「世論」に屈した形になったが、判決を書いた裁判官は「1人殺害でも死刑判決を出すことはできる」と反論するだろう。


2人殺害で違う判決の理由は?


 ならば、杉並区親子殺害事件で2人を殺した大学生が無期懲役になった一方、あきるの市資産家姉弟殺害事件で2人を殺した主犯が死刑判決を受けたのは、なぜなのか。後者は多額の現金を狙った冷酷無比で計画的な殺人であり、情状は見いだせない。死刑相当である。前者は、侵入盗崩れの犯行で、気付かれたと思い、寝ている老人を殺し、さらに帰宅した息子を殺した。大学生は、ナイフマニアで、老人の心臓を一刺し、ほぼ即死させている。帰宅した息子をやり過ごして逃げることもできたのに、目撃者を残さないという狙いで、殺した。日ごろから、人を刺す訓練をしているような異常な男だ。永山基準を素直に適用すれば、死刑であろう。しかし、「まだ若く、更生の可能性がある」という理由で、無期懲役になった。


 ▽メディアの報道で判決は変わる


 両者は、死刑相当のケースだが、ひとつ違いがある。姉弟殺害事件は、世間の深い同情を誘い、メディアが、姉弟の悲劇性と犯人の残虐性を繰り返し、繰り返し報道した。一方、杉並親子殺害事件は、発生当初は大きく報道されたが、裁判当時は、ほぼ忘れられていた。結果、姉弟殺害事件については死刑を求める世論が醸成され、親子殺害事件については、世論は形成されなかった。


 メディアの報道で、判決が変わる。これは私の個人的印象である。裁判官は絶対に認めないだろうが、先の二例の違いを合理的に説明しようとすれば、その要素を勘案せざるをえない。中津川一家殺害事件も同じだ。メディアが大きく報道していれば、判決は死刑になっていたのではないか。判決当時、同事件は全国的な関心事とならず、ローカルニュース扱いされた。事件は衝撃的だが、メディアが飛び付くような「ドラマ」がなかった。だから派手に報道されることもなかった。これによって、死刑判決を出したくない裁判官が、へ理屈をつけて無期懲役にした、というのが私の受け止め方である。

           5月13日記

           All Rights Reserved Copyrights ©

死刑判決の基準はない

第6章 あなたに死刑判決が下せるか?



 ▽死刑と無期懲役刑の基準はない


 死刑は裁判官の恣意的な判断によって下されている。複数の人を残虐に殺した同種の事件でも、ある被告は死刑になり、ある被告は、無期懲役になる。特に、最近はそれが激しい。死刑と無期懲役刑の境がどこにあるのか、どこに線がひかれているのか。あるようでない。ないようである。複雑怪奇、魑魅魍魎ともいえる。が、詰まるところ、そんなものはないのである。
 

 もともと人間のやることに完璧を期待することはできないが、人の生死にかかわる判断の基準を「人間のやることだから、完全ではない」と言って、済ますことが、できるのだろうか。


 ▽裁判官は死刑判決を出したくない


 私の印象では、多くの裁判官は死刑判決を出したくないと思っている。死刑が国家による合法的殺人であるとすれば、それに関与するトップは事実上、裁判官である。裁判官が執行を決定し、法務大臣がゴーサインを出し、刑務官が執行する。できれば、この一連の「殺人」にかかわりたくないというのは、裁判官のホンネであろう。(そのホンネは法務大臣、刑務官にも共通する)。


 だから、裁判官は死刑求刑事件で、一生懸命、減刑理由を探すのである。死刑から無期懲役に減刑した1審判決を読むと、裁判官が被告を死刑にしない理由が、だらだらと並べられているが、私には、「弁解」や「弁明」に思える。その行間には「この被告には本来死刑を言い渡すべきだが、私は死刑判決を出したくないので出さない」という思いが透けて見える。


 何らかの情状があれば、それを理由にできるだけ死刑を回避しようとする。減刑理由は何でも良い。先にあげた中津川一家殺人事件のように、へ理屈でも何でもいい。もっともらしい理由があれば、それを根拠に減刑し、死刑から罪一等を減じて、無期懲役とするのである。
 

 5人を殺した完全責任能力の被告に死刑判決を出さないというなら、どんなケースも無期懲役にできるだろう。


 ▽死刑判決は全員一致


 死刑にするか、しないかは、裁判官次第である。通常の死刑求刑裁判は、裁判官3人の合議制で行われ、2人以上の同意で判決が決まる。多くの場合、死刑判決で3人の判断が分かれることはない。裁判長が下す判断にほかの2人が同意するという形になる。
 
 つまり、全員一致で決まる。死刑判決を出す場合、1人でも反対がいるのはまずいので、死刑判決は常に全員一致だ。全員一致でなければ死刑判決は出さないのが慣例である。これ自体、合理的な慣例である。なぜなら、3人の合議制で行う死刑判断に2人の同意しか得られないということは、3分の1、約30%の疑問があるということになる。30%の疑問は十分に「合理的な疑い」に相当する。


 ▽境目は、情状の評価


 この疑問には、2種類ある。ひとつは、検察の立証に関する疑問。もうひとつは、情状に関する疑問。前者であれば、死刑判決は絶対に出せない。無期懲役に減刑にするか、無罪判決もありうる。検察の立証に問題がないとすれば、あとは、被告にとって有利な情状どう評価するかという問題に帰着する。多くの死刑求刑裁判で、死刑になるか無期懲役になるかの境目は、情状をめぐる判断である。


 ▽有利な情状を最大限評価


 死刑を出したくない裁判官は、被告にとって有利な情状を最大限評価して、無期懲役に減刑する。厳格な裁判官は、少々の情状など考慮せず、死刑判決を出す。情状が死刑を回避するに値するものであるかどうかの判断は、人によって、つまり、裁判官によって違うのである。
 

 しかし、日本の刑法に最高刑として死刑の規定がある以上、死刑にしない理由は、それ相応のものでなければならない。これまで積み上がってきた判例から大きく逸脱することはできない。


 ▽失笑を買う判決


 「将来、被告は悔悟の念を示すだろう」、「時間が立てば遺族の処罰感情も薄れるだろう」などという理由で、一家5人を自己利欲目的で、残虐に殺した男を死刑から無期懲役に減刑するという判決は、本来、あり得ないはずである。そんないい加減な理由で、死刑を回避した判決は、過去になかった。なぜ司法界から失笑を買うようなこんな判決が出るのか。それには、それなりの理由がある。


 3月10日記
 
All Rights Reserved Copyrights ©

第6章 あなたに死刑判決が下せるか


死刑と無期懲役は紙一重


 以下は、2009年の一審求刑死刑、判決無期懲役裁判の一覧である。先の一審死刑判決一覧と比較すると、減刑理由がきわめて不可解なものがある。死刑になるか、ならないかは、紙一重だ。担当する裁判官によって、事件の評価が異なり、それによって、死刑になるか、ならないかが決まる。死刑判決が恣意的に下されている現状が、ここにはっきり表れている。



中津川一家殺害事件(長男、実母ら5人殺害)岐阜地裁
被告・原平
減刑理由など 完全責任能力(検察側の精神鑑定採用)。一家心中であり、私利私欲の犯行ではない。遺族は死刑を望んでいない。極刑をもって臨むにはちゅうちょが残る。終生自らが手にかけた家族の冥福を祈り、残された人生を全うすることこそ真の償いになる。(検察控訴・2審名古屋高裁でも無期懲役判決=2010年1月26日)。


江東区女性バラバラ事件(1人殺害)(東京地裁)
被告・星島貴徳
殺害方法は執拗ではなく、冷酷だが残虐極まりないとまではいえず、殺人と死体損壊・遺棄に計画性もない。殺害された被害者が1人の場合、ほかの判断要素で相当強い悪質性が必要。量刑の傾向を踏まえると死刑は重すぎる。前科もなく、逮捕後は犯行の詳細を自供し、悔いている。矯正不可能とまではいえない。終生、被害者の冥福を祈らせ、贖罪に当たらせることが相当。(検察が控訴せず刑確定)。

闇サイト事件(1人殺害)(名古屋地裁)
被告・川岸健治
事件の早期解決、次の犯行を阻止したことを評価。検察控訴。


会社役員強盗殺人事件(2人殺害)(宇都宮地裁栃木支部)
主犯の林大平被告に死刑求刑。被害者の男性は被告人に著しい経済的、精神的苦痛を与え続けた。被害者にも責められるべき要因があった。控訴棄却で刑確定。



杉並区親子殺害強盗事件(2人殺害)東京地裁
被告・志村裕史
完全責任能力。計画的犯行ではなかった。若年(犯行時22歳)で改善更生の可能性がないとはいえない。被告控訴。2010年6月の東京高裁判決は一審支持。被告は控訴するも、2010年7月9日に上告を取り下げ、無期懲役が確定。


女性2人殺害事件(東京地裁)
被告・野崎浩
検察は、最初の殺人を立証できなかった。被告人は死体遺棄罪で3年6月服役、8年後の2度目の殺人を立件検察が死刑求めて控訴 2度にわたり殺人を犯したが、矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない。


 ▽心中は殺人ではないのか


 死刑から無期懲役に減刑されたケースで最も不可解なのは、中津川一家殺害事件である。被告は、日頃折り合いの悪い実母(当時85歳)を殺し、殺人者の子供として生きるのは不憫という理由で、長男(同33歳)、長女(当時30歳)、長女の子供2人(同2歳と生後3週間)を殺した。自分は自殺を果たせなかったのに、何の落ち度もない自分の子供と孫を平然と絞殺したのである。その常軌を逸した行為は、責任能力の不能を示唆するが、判決は、完全責任能力を認めた上で、被告の犯行は心中であったから、死刑にする必要はないという一審の減刑理由を追認した。


 肉親、近親者、近しい人を巻き添えにして殺す、いわゆる、心中は同じ殺人罪でも刑が軽くなる。両者が合意の下に、一方が他方を殺し、自分も死ぬつもりで死にきれなかったというなら減刑にも一理ある。しかし、一方が、相手の意思を無視して自分本位で相手を殺し、自分だけ生き残るという心中崩れは、殺人と変わりないし、むしろ、通常の殺人よりたちが悪い。(法律的には犯意、犯情が悪いという)。このケースを、心中というカテゴリーに入れるとしても、明らかに後者なので、到底、減刑の理由にはならない。


 ▽主観的には心中事件?


 私の考えでは、そもそも、中津川一家殺人事件は、心中のカテゴリーに入らない。なぜなら、長女とその子供は、被告と同居していなかったからだ。長女は結婚し、夫と子供とともに別の場所に一家を構えて暮らしていた。被告の家と近かったとはいえ、日常生活は全く別だったのである。したがって実母と長男を殺した後、わざわざ、長女の家まで行って、3人を殺すという行為は、心中ではなく、明確な殺人である。その動機は、自分勝手、私利私欲そのものある。


 しかし判決は「思い詰めての自殺を前提とした犯行で、被告の主観的には一家心中の事案。酌量の余地を認めた一審判決はあながち不当とはいえない」と述べ、心中であることを減刑理由とした。法律家は、被告の主観を超えて客観的に犯行を分析し、事実を認定するべきなのに、これでは、「被告がそう思っているのなら、それが正しい」と言っているのと同じではないか。「主観的には心中だった」という事実認定は、法律家にあるまじきいい加減な認定である。論理的に破たんしているだけではなく、法律家としての倫理も放棄した、拙劣、最低の判決だ。「主観的には○○だった」と言えば、何でも通ってしまう。法律家の判決とは思えない、ひどい論理である。



 ▽処罰感情は死刑理由にはならないのか?


 一審では遺族が、死刑を望んでいないことが、無期懲役への減刑理由の一つとされたが、控訴審では、被告の長女の夫が、死刑を望むという態度に転じた。被告の反省の態度が感じられないというのがその理由だ。しかし判決は「被告の態度次第では緩和の余地があり、現時点での感情をよりどころにして死刑を選択するのは相当ではない」と述べた。


 これも驚くべき没論理である。遺族の処罰感情は、将来弱まる可能性はあるが、可能性を死刑回避の理由にするなら、あらゆる遺族や社会の処罰感情は、封殺されてしまう。「現時点での感情をよりどころにして死刑を選択するのは相当ではない」といいながら、では、何をよりどころにするのか、ということに判決は、何も触れていない。社会的に衝撃を与えた他の大量殺人事件の死刑判決では、死刑を科すひとつの理由に処罰感情を挙げているのに、この判決は、それが死刑判決の理由にはならないと言っているのである。

 

 もし、それを死刑回避の理由として正面に掲げてていれば、この判決は、歴史的判決になっていたかもしれない。単なる応報感情(目には目をという報復感情)は、死刑の理由から排除するべきだという考えを展開した上で、上記の理由を述べるなら、私には、それなりに納得できるものがあるし、画期的であっただろう。しかし、この判決において、それは、普遍な死刑回避の理由としてではなく、この事件に限って一回的な理由として挙げられているにすぎず、その取り上げられかたも唐突で、意味不明である。


 2010年1月11日記 

    Copyrights (C) All Rights Reserved




 







 






 

2009年の1審死刑判決

第6章 あなたに死刑判決が下せるか


09年の裁判員裁判に死刑求刑事件なし

09年の裁判員裁判は50地裁(8支部を含む)で138件行われ、被告人142人のうち110人に実刑判決が言い渡された。この中に全面的に無罪を争った事件はなかった。部分的に無罪を争った事件は1件あったが、結局、有罪と認定された。裁判員裁判で裁かれた死刑求刑事件はなく、死刑判決もなかった。最も重い刑は、本欄でも取り上げた和歌山地裁の強盗殺人事件の無期懲役刑。したがって09年にあった死刑判決は、すべて裁判官による裁判(3人の合議制)である。

 2009年には合計14件の死刑求刑事件があり、このうち8件9人に死刑判決、6件6人に無期懲役刑が言い渡された。以下に掲げたのは、2009年に1審(地裁)で下された死刑判決の一覧である。


大阪・強盗殺人2人殺害(大阪地裁)
被告人 加賀山領治
量刑理由 身勝手な動機。不合理な弁解。更生不可能。確定的殺意があった。強盗致傷罪前科。

坂出・祖母孫姉妹3人殺害(高松地裁)
被告人 川崎政則
量刑理由 身勝手な動機。計画的で残忍極まりない。幼児殺害には人間性のかけらもない。完全責任能力。(広汎性発達障害ではない)。

交際女性ら2人殺害(神戸地裁姫路支部)
被告人 高柳和也
量刑理由 ハンマーで殴り殺し、遺体を解体して海中に投機したのは凶暴、残忍、非道。更生の可能性は乏しい。

闇サイト1事件1人殺害(名古屋地裁)
被告人 神田司 堀慶末
量刑理由 利欲目的の動機に酌量の余地なし。無慈悲で残虐な犯行。社会の安全への脅威。(共犯の川岸健治は自首減刑で無期懲役)。

あきるの市資産家姉弟殺人(東京地裁立川支部)
被告人 沖倉和雄
量刑理由 冷酷非道で残忍この上ない犯行を主導。共犯は従犯として、仮釈放なしの無期懲役刑。

親族ら7人殺害(神戸地裁)
被告人 藤城康孝
量刑理由 冷酷、残忍で史上まれに見る凶悪な犯罪。完全責任能力(情緒不安定性の人格障害。検察側の鑑定採用)。

個室ビデオ店放火殺人=16人死亡(大阪地裁)
被告人 小川和宏
量刑理由 自殺目的で放火したのは身勝手極まりなく、犯行は残虐。反省もなく最大限の非難に値する。

土浦連続殺傷=2人死亡、7人負傷(水戸地裁)
被告人 金川真大
量刑理由 死刑になるために人を殺したという動機は身勝手、酌量の余地なし。犯罪史上でもまれな凶悪重大事案。極めて残忍、計画的で、無差別殺人への強固な意思がみえる。社会に与えた衝撃も大きい。更生の可能性は乏しい。完全責任能力。(自己愛性人格障害)。


 ▽死刑判決の共通点


 いずれも凶悪、残虐で極悪非道の犯行である。闇サイト事件を除いて、いずれも2人以上を殺害している。犯行の態様も残虐、執拗であり、社会的に大きな衝撃を与えた事件であったことも共通している。精神状態が問題とされたケースでは、精神鑑定で完全責任能力があったとされたことも共通点だ。

責任能力の判定方法(4)

?H1>第6章 あなたに死刑判決が下せるか

 ▽了解可能性の乱用に警鐘


 了解可能性の枠組を駆使すれば、どんな精神鑑定が出ても被告人の完全責任能力を認定できる。責任能力の認定は、裁判官の専権事項であることはすでに述べたが、それにしてもやりすぎというか、何が何でも完全責任能力を認定するという姿勢が露骨な判決が多い。どうしても無理な場合は、不本意ながら、心神こう弱を認め、限定責任能力とするといった感じだ。こうした傾向に警鐘をならす最高裁判決が2009年4月に出た。

 ▽精神鑑定は尊重すべし


 その趣旨を、かみ砕いて言うと、「精神医学者の見解を、ことさらに無視するのは良くない。鑑定方法がいい加減でなければ、その結果を尊重しなければならない」というものだ。

 これは2003年、傷害事件に関連して行われた精神鑑定の評価が問題になった裁判の上告審判決。元の雇い主を殴り、死なせたとして傷害致死罪に問われた男性について1審の東京地裁は、統合失調症による心神喪失だったとして無罪判決(求刑懲役5年)を言い渡した。検察の控訴に対して2審の東京高裁は、統合失調症だが、心神こう弱だったとして限定責任能力を認定し、逆転有罪判決(懲役3年)を出した。弁護側の上告に対し、最高裁は、2審を破棄し、裁判のやり直しを命じた。


 ▽幻聴で傷害致死


 事件の概要は以下の通り。被告人の男性は、幻聴で元の雇い主が男性の悪口を言っていると思い込み、作業所に押し掛け、雇い主を殴り、逃げる雇い主をさらに殴り、道路に転倒させた。その後、足蹴にしようとしたが、通行人が見ていることに気付き、逃走した。雇い主は病院に運ばれたが、約1週間後、くも膜下出血で死亡した。男性は、病院に搬送された雇い主が重体であることを新聞報道で知り、翌日に警察署に出頭した。


 ▽二重見当識とは何か


 起訴前の簡易鑑定は、男性の責任能力について「犯行時、統合失調症の幻覚妄想状態にあったが、本件行為に至る行動経過は合目的的であり、是非弁識能力と行動制御能力を喪失していたとは言い得ない」と述べ、心神こう弱だったと述べた。


 裁判開始後に行われた本格鑑定は「被告人は犯行時、統合失調症の激しい幻視妄想状態にあり、心神喪失状態だった。犯行前後の行動が合理的に見えるのは『二重見当識(にじゅう・けんとうしき)』によって説明可能である」と述べた。


 1審の無罪判決は、被告人が心神喪失だったという本格鑑定の結果を尊重したためであろう。本格鑑定が言及している二重見当識とは、同一の人物が、犯行時に統合失調症の幻視妄想状態にありながら、その前後においては普通の人と変わらない行動ができることを指す。正常と異常が同一人物の精神の中で、併存し、2つの見当識(オリエンテーション)を持つことができるという意味だ。通行人に気付かれて逃げたり、事件の報道を新聞で読んで出頭したことは二重見当識として見れば、心神喪失状態の継続ととみなすことができる。1審は、二重見当識という鑑定医の見方を採用した。(これらの行動は、了解可能性の枠組では、逆に責任能力の証明になる)。


 ▽2審は心神こう弱と判定


 2審は一転して、本格鑑定を退け、心神こう弱で限定責任能力を認定して有罪判決を出した。「自分の悪口を言っている相手を懲らしめてやろう」という動機は、了解可能であることや、犯行の模様を詳しく記憶していること、さらに自ら出頭したことなどを総合すると、ある程度は事理弁識能力があったとして限定責任能力を認定したのである。


 ▽幻聴に起因する動機は了解可能か


 最高裁は、2審の責任能力の判定の方法に疑問を呈した。(1)動機は幻聴によって生まれたもので、了解可能とは言えない(2)被告人は統合失調症にかかっており、心神喪失だったという鑑定を否定する説得力のある説明がない(3)犯行の模様を詳しく記憶していることや自ら出頭したことなどは二重見当識で説明できるが、これを否定する十分な理由を述べていない、などである。


 ▽精神鑑定は尊重し、認定すべき


 最高裁は、責任能力の判定に際して、精神鑑定を尊重するよう諭す一方、了解可能性の枠組を乱用しないように戒めたのである。最高裁判決は「専門家たる精神医学者の意見が証拠となっている場合には、鑑定人の公平さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのではない限り、その意見を十分に尊重し、認定すべきである」と述べた。


 ▽差し戻し控訴審は心神こう弱で有罪判決


 しかし、2審を差し戻された東京高裁は、本格鑑定を否定し「犯行時は統合失調症の影響があったが、自ら出頭するなど善悪を判断する能力が全くなかったわけではない。心神こう弱だった」 として限定責任能力を認定、控訴審判決よりやや減刑して懲役2年6月の実刑判決を言い渡した。高裁判決は「追加審理をしたところ鑑定結果に疑問が生じた。最高裁判決には拘束されない」と述べ、本格鑑定の結果を全面的に採用しなかったのである。


 ▽了解可能性の枠組は不動


 差し戻し裁判の東京高裁の対応は驚くべきものだ。最高裁が、精神鑑定を尊重せよ、と命じているのに、「鑑定結果に疑問が生じた」と述べて、これを軽視する姿勢を示している。本格鑑定の結果を尊重すれば、被告は、犯行の前後、一貫して心神喪失状態にあり、事理弁識能力がなく、行動制御能力もないという結論に落ち着く。したがって無罪にしなければならないが、高裁は了解可能性の枠組に固執し、これを精神鑑定の結果と相殺することによって限定責任能力を認定したのである。


 精神鑑定医が心神喪失と診断しても、了解可能性の枠組を使えば、責任能力は認定できる。最高裁判決によっても、了解可能性の枠組による責任能力の認定方法は、不動である。責任能力が争点になった事件で検察があえて起訴したものは、精神鑑定の結果がどうあろうと、絶対に無罪にしないという執念のようなものを、私は、この判決に感じる。なぜなのか?


 ▽裁判官の意識


 裁判官が責任能力を判定する際、精神鑑定に全面的に依拠すれば(つまり全面的に尊重すれば)、無罪判決、減刑判決が乱発され、それが判例として積み上がれば、少しでも責任能力に疑問がある大量殺傷事件の被告人に死刑判決を出すことはできなくなる。求刑が死刑でも限定責任能力となれば、無期懲役に減刑しなければならない。だからどんな小さな裁判でも「心神喪失で無罪」という判決は出さない。「心身こう弱で減刑」という判決もできるだけ出さない。これが、日本の裁判官の暗黙の了解になっているのではないか、というのが私の想像である。

 2010年1月5日記

   Copyrights (C)   All Rights Reserved

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事