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先月の上旬に我が家の愛犬(パピヨン♂)が天国に逝った。
主人の連れ子で主人以外に気を許さず、後妻の私は噛みつかれたり吠えられたりと色々あったが
いざその瞬間を迎えてみると、何とも言い難い喪失感に襲われる。
彼が我が家にやって来たのは比較的最近で、去年のクリスマス明けだった。
息子は「わんちゃんわんちゃん」と言って家に犬が来たことを無邪気に喜び、
生後4か月の娘は動き回る毛むくじゃらをガラス越しに不思議そうに眺めていた。
しかしその時にはもう彼の片目は殆ど見えていなくて
少し認知症の気もあってか最愛の主人のこともよく判らなくなっていたように思う。
ただそうは言っても大好きな主人と再び生活を共にできる喜びに加え、
騒がしくはあるが遊び相手になってくれる幼い子どもたちと接することで
彼は我が家に来てから少しずつ元気を取り戻していったかのように見えた。
そして彼がやって来て約半年。
暑い暑い夏を目前に、彼は死んだ。
節電を強いられる今夏、この老体で果たして乗り切られるかどうか案じていた矢先の出来事だった。
その日の朝、彼は朝ごはんを持って来た主人に対し
もう立つことができないはずの足で立ち、主人に応じた。
そしてその姿に何かを感じ取った主人は、たくさん、たくさん彼を撫でてあげた。
主人が再び彼の様子を見にベランダに出て行った時、既に彼の息はなかった。
「家族に負担がかからないよう、暑くなって大変になる前に逝ってくれたのかもしれない」
主人がそう少しこぼした。
介護犬の世話は確かに大変で、どこかに行くにしても預かってくれるところもなかなかなく、
今夏家族で実家へ帰省するにもペットホテルと交渉しなければならないはずだった。
そしてそのペットホテルの宿泊費と葬儀代が計らずも同じで、
それはまるでそのお金で自分を弔ってくれと彼が言っているかのように主人には思えたらしい。
憶測の域を出るはずもないが、そう思わずにはいられないペットロスの哀しみ、
そしてそう思うことによって愛犬と心を通わせられた気持ちになることで遺族は救われる。
翌日、息子は幼稚園を早退させ、彼の遺体とともに家族4人で動物の葬儀場に向かった。
小さな祭壇の前で彼が生前大好きだった開封したての牛乳を口に含ませてあげ
息子が育てた小さなマリーゴールドの花を飾って最期のお別れをした。
ペット霊園にて。安らかな眠りにつくには自然豊かなこのような場所は最適なのかもしれない。
小一時間後、遺体は骨となって戻り、小さな骨壺に納めて家に持ち帰った。
陽の良く当たる出窓の一角にそれと彼の写真を安置しているのだが、
先日、息子が家族みんなの名前(らしきもの)を書いてくれるというのでお願いしたら
愛犬のことも忘れずに名前を書いて「○○、どうぞ!」と骨壺の前に置いたのには感動した。
一緒にいた時間は短かったが、息子の心の中に彼の存在が確かに根付いていることを実感し
いつか一緒にいたことを忘れてしまっても、それが彼の心の成長の糧になることを予見させる一コマであった。
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