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「お仏様(ほとけさま)」というと、私達は死者のことと考えてしまいます。本来違う意味を指すことをわかってはいるのですが、「死んだ人」という直接的な生々しい表現を避けたい本能が働いてしまうからなのでしょう。日本人の心の根っこにはどこか霊魂に対する恐れのような感情もあるようで、それらを忌み敬う気持ちも込めて「お仏様」と呼ぶのでしょう。
お仏様の元祖は、「ゴーダマ・シッダールタ」という実在した人物です。彼は「釈迦(しゃか)族」というインドの一種族の人物であり、釈迦族の“牟尼(むに)――聖人――”という意味で、後世の人間から「釈迦牟尼(しゃかむに)」とも呼ばれました。そして私達は、お釈迦様と言えばこの釈迦牟尼、すなわちゴーダマ・シッダールタなる人物のことを指して呼ぶようになるのです。その場合、単に物理的な個人のみを指すわけではなく、悟りを開いた仏様であるという一面も含めて呼んでおります。 数年前、田中真紀子さんが「お釈迦になる」という言葉を使って“失言”として責められたことがありました。本来の意味であればとても素晴らしい褒め言葉と言ってもよろしい表現だと思うのですが、これが失言扱いになるというのは、いつのまにか私達日本人の間で「お釈迦様→仏様→死者→働かないもの→使えないもの」というような俗な変遷が定着してしまったからなのでしょう。ちなみに、お釈迦様は決して死んで悟りを開いたわけではありません。お釈迦様は生きながらにして世の無常の悟りを開き、今に伝わる仏教の基本を創ったのです。また、今仏教と書きましたが、仏教と呼ぶようになったのはキリスト教などと比較した“宗教”という概念が定着してからの分類上のことであって、その前は仏法(ぶっぽう)などと呼ばれており、さらに言うならば、ゴーダマ・シッダールタ自身は自分の開いた悟りをもって、それで仏教――という宗教――を開いたなどとは微塵も思っておりませんでした。 ゴーダマ・シッダールタは、王子として生まれており、おそらくは何不自由なく生活していたことでしょうが、世の中全ての普遍的な苦しみを考え、悩みました。彼はこれらの苦しみを、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみ、すなわち「生・老・病・死」という四つの苦しみと、愛する人といずれは別れなければならない苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」、嫌な人間と出会わなければならない苦しみ「怨憎会苦(おんぞうえく)」、欲しいものが手に入らない苦しみ「求不得苦(ぐふとくく)」、暑さ寒さなど身体感覚で感じる苦しみ「五陰盛苦(ごおんじょうく)」を合わせた八つの苦しみで表現しました。これを「四苦八苦(しくはっく)」といいます。 ゴーダマは自分の中にくすぶる何かを得るために、何不自由のない王家をあえて飛び出し、苦行に身を置きました。しかし、結局は身を削るばかりで6年を経てもなにひとつ見えるものもなく、身体は衰弱し、瀕死の状態に陥ってしまったのです。 そんなとき、瀕死のゴーダマを救った娘がおりました。その娘は名を「スジャータ」といい、衰弱したゴーダマに乳粥を与えました。苦行のみでは悟りを得られないことを知った彼は、付近の川で沐浴をしました。そしてようやく心身ともに回復したゴーダマは、心落ち着かせて付近の菩提樹(ぼだいじゅ)の下に坐し、いよいよ悟りを開くことになったといいます。 |
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