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楠木正成の懸念どおり、足利尊氏の回復力は驚異的で、またたくまに西日本の武士らの支持を集めておりました。 その頃、新田義貞は、播磨国で白旗城に籠城する赤松円心を攻めておりましたが、なかなか落とすことが出来ず手を焼いておりました。 義貞はこんなところで手こずっている場合ではないのです。義貞が本来やるべきことは、弱った尊氏を追い、確実に仕留めることであったはずでした。これは足利軍の時間稼ぎで、義貞はまんまと挑発に乗って無駄な時間を労してしまったのです。 結果論ですが、義貞は赤松円心など無視してひたすら尊氏を追うべきだったのです。 そしていよいよ足利軍は九州・中国・四国の10万にも及ぶ連合軍を率い、数ヶ月前の奥州軍の如く西日本から溢れ出してきました。新田義貞の軍は持ちこたえられず、すぐに離散するハメになりました。 ところが、ここにまたしても孤軍奮闘するわずか700騎ほどの勢力がありました。 もちろん楠木正成です。正成は既に命を捨てにかかっておりました。なにしろ、10万もの相手に6時間も奮戦したというのです。 本来正成は、後醍醐天皇に“京を離れて比叡山に逃れてもらう”戦略を提案していたようです。消費都市である京におびき寄せれば、相手が大軍であるほどすぐに兵糧不足に陥ると想定したからです。 しかし、これも却下されました。天皇が京を離れることなど出来ないというのがその理由です。 そこで、正成は播磨国まで出向き、尊氏軍を迎え撃ったのです。世に有名な「湊川の戦い」です。 結局、正成の命運はここに尽きることになってしまったのです。 尊氏は、正成を賢才武略の勇士と評し、殺してしまうことにだいぶ躊躇したといいます。正成の死後にあってもその思いを引きずったようで、その首を丁重に家族の元に届けたといいます。 一方の正成もそんな尊氏を高く評価しておりました。武士をまとめられるのは尊氏をおいて他にいないということを、敵ながらにして認めていたのです。 そこには、敵同士とは言え、お互いにわかりあえる友情がありました。鎌倉末期から南北朝の混乱を通じて、決して美しくない醜いドロドロとした世情の中で、この二人の友情は唯一一服の清涼剤のような感動を呼び起こされる人間ドラマと言えるのではないでしょうか。 正成を倒した後、足利側は、かつて天皇になりながら後醍醐天皇の復活とともに上皇とされ、事実上廃されていた「光厳(こうごん)上皇」をあらためて持ちあげ、その弟「豊仁(とよひと)親王」を天皇として即位させるように要請しました。 そしてそれは実現されました。「光明(こうみょう)天皇」の誕生です。ここに遂に二人の天皇が並立してしまいました。これにより、いよいよ「南北朝時代」が到来したのです。 危機一髪の後醍醐天皇は、繰り返し北畠顕家に対し命令を出しました。奥州軍を率いて京を北朝側――尊氏軍――から奪還すべく要請したのでした。 奥州情勢も不安定な状況の中で、霊山に立て籠もる顕家は渋々上洛することとなりました。今回の進軍は、前回とは勢いが全く違います。準備不足の感もあり、兵糧の備えに欠けた遠征軍は質もだいぶ落ちたようで、「草木の一本も無かりけり」などと伝えられたように、道中かなり住民を苦しめることになったようです。
しかも、今回は足利軍の巧みな戦略によって、新田義貞軍は加賀・越前方面で釘付けにされており、北畠顕家の奥州軍と合流できないように仕組まれたようです。 迷走した奥州軍は、顕家の戦死と同時に自然消滅することになりました。 やがて、新田義貞も「犬死」と酷評されるような空しい戦死を遂げ、後醍醐天皇の敗色はほぼ確実となりました。 義貞の死を確認した北朝の光明天皇は、ついに足利尊氏を「征夷大将軍」に任命することになりました。 しかし、転んでもただでは起きないのが後醍醐天皇で、顕家の代わりに、顕家の弟「顕信(あきのぶ)」を陸奥介・鎮守府将軍に任命して、ここから結城・伊達ら南朝方奥州軍の舞台は地元府中――多賀国府近辺――の奪回戦にとって代わることになります。 |
多賀国府「府中争奪戦」
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初めまして。たまたま宇佐氏関連の調べものをしていて、立ち寄らせていただきました。
いっぺんには読めそうもないくらい興味深い記事がありましたので、ファン登録させていただきました。
昨秋に塩竃神社に行ったんですが、その後から南北朝をブログで書き出しまして、多賀城行かなかったのに後悔しまくりました…。
どの分野も楽しみにしています。
2009/3/27(金) 午前 2:06
卯喜多さん、コメントありがとうございます。
鹽竈神社にいらっしゃったのですか。宇佐関連を調べていらっしゃったとのことですから、ただの参拝ではなさそうですね(笑)。私の最大のテーマはタイトルにもあるとおり鹽竈神社です。今現在、一見無関係な記事を書き連ねておりますが、私の中ではつながっております。
かなり独自の仮説(妄想)も入れてまいりますが、一応定説と紛らわしくならないように区別を心がけますので、是非これからもおつきあいお願い致します。
2009/3/27(金) 午後 7:44