はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 そもそも、薬師寺は何故“薬師”なのでしょうか。
 そんなことは本尊が薬師如来だからに決まっているではないか、という答えが返ってきそうですが、私が気になるのは、何故その本尊に――例えば釈迦如来ではなく――薬師如来が選ばれたのか、ということです。
 縁起上では、持統天皇が病に伏したおりに、天武天皇が病気平癒を祈願し発願したから、ということになっておりますので、その意味で薬師如来を本尊にした、というのは極めて自然で矛盾もないのですが、これが藤原京を代表するような“限りなく私寺的要素をもった公共事業”であったことが私を迷わせるのです。「愛の寺」というのは微笑ましくて実によろしいのですが、これだけ大きいものを発願するには、それなりに世論が納得するような理由も必要かと思います。例えば後の東大寺や法華寺を初めとする国分寺(尼寺)も、実際には聖武天皇が、自分の呪われた血に悩み苦しんでいる光明皇后のことを思いやり、それこそ“愛”の気持ちから発願した部分もあると思うのですが、それでも一応は「国家鎮護」なり「滅罪」なり大義名分を持ち合わせておりました。
 もちろん薬師寺は東大寺を初めとする諸国国分寺ほどの大きなプロジェクトでもありませんし、まして藤原京時代のそれは平城京のそれほどは大きくもなかったのでしょうが、それでも首都の限りある一等地の、極めて貴重な一ブロックまるごとを割いて豪華極まりない伽藍と仏像を配する、実に贅沢な公共事業なのです。 
 ひとつ思い当たるとすれば、前に、陸奥国分寺の地に現在は薬師堂が祀られている件について触れました。私は薬師如来が持つ意味というものは、現在私達が考えるようなその言葉どおりの医学的な仏様というよりも、本地垂迹に基づく「少彦名(すくなひこな)」の神様が持つ“国土開拓”の意味合いが含まれていたのではないかと思うのです。
 少彦名は「大国主(おおくにぬし)」と共に日本の国土開拓に活躍したことになっている、いわば先住民族を代表するような神様です。それであれば、藤原京にしても平城京にしても、京を建設する際に重要視されることは納得できると思うのです。
 ましてや、藤原京は、日本最大級の祟り神「大物主(おおものぬし)」が三輪山から常に睨みを利かせている場所に展開しております。この大物主の正体については、少彦名であるとか大国主であるとか、はたまた「饒速日(にぎはやひ)」であるとか、とにかくいろいろと取り沙汰されておりますが、いずれも先住民族の雄であったことは間違いないでしょう。その地に京を開こうとする為政者が、そのような神様を意識しなかったわけはありませんので、私は薬師如来にはそのような思惑も仮託されていたものと考えます。

三輪山
イメージ 1
三輪山から望む藤原京方面(畝傍山手前あたり)
イメージ 2


 後年の東大寺や国分寺の建立趣旨から思うのですが、聖武天皇と光明皇后にもその基本的な意志――寺院建立による先住信仰慰撫の精神――は受け継がれたのではないでしょうか。

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