はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

畿内探索 聖徳太子編

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祟る鷹の暗号

 豊前国――福岡県と大分県にまたがるエリア――でかつて行われていたという八幡宮最大の神事である「放生会(ほうじょうえ)」では、秦氏の本拠地である「香春(かわら)岳」で採掘された銅で作られたご神体――神鏡――を、香春の採銅所にある「古宮(元宮)八幡宮」から宇佐の「和間浜(わまのはま)」の浮殿まで15日間かけて巡幸させたといいます。大和岩雄さんはこの巡幸のエリアがほぼ秦王国のエリアだったのだろうとしておりました。「古宮(元宮)八幡宮」が「古宮(元宮)」と呼ばれるのは、「宇佐神宮」に対してこちらが元祖であるという意味を含めた呼び名でしょう。
 おもしろいのは、「和気清麻呂(わけのきよまろ)」が豊前国国司であった頃――つまり道鏡の八幡神託事件の頃――、宇佐神宮では、大宮司としての「大神(おおが)氏」と小宮司としての「宇佐氏」、禰宜(ねぎ)としての「辛島(からしま)氏――秦氏――」というように役割が定められていたというのですが、通常、序列としては禰宜よりも宮司が上であるべきものが、宇佐神宮では禰宜の位階が大宮司を上回り、しかも大神氏の子孫が禰宜になることは禁じられていたといいます。巫女的な役割の禰宜は辛島氏のみが継承できたというのです。それは、降神秘儀や託宣が伝統的に辛島氏の役割であったからです。
 ただ、“八幡”宮としてはそうなのでしょうが、『日本書紀』の「神武天皇即位記」には既に「莵狭(うさ)国造」の“祖”としての「莵狭津彦・莵狭津媛」の記述がある以上、元々「秦氏の香春岳」とは異質の「宇佐――莵狭――氏の聖地」があり、このエリアが朝廷の掌握下に入った時期に初めてそこに秦氏の「八幡(やはた)の神」も融合されたのではないかと私は思います。それが宇佐神宮の三宮祭祀――三柱の神様を祀る事――の始原なのではないでしょうか。
 いずれ、大神氏は中央からパイプ役として派遣されてきた存在でしょうから、大和さんは辛島氏の祭祀こそが最も古い形態であったとされているようですが、私は日本書紀にも記載がある宇佐――莵狭――氏の信仰が本来どのようなものだったのかも、別な意味で気になるところです。
 それはともかく、私は前回触れた「祟峻天皇の御代に祟った鷹」が気になっております。何故祟峻天皇の御代に鷹が祟ったのか、その頃に何があったのか、私はいつもように山川出版社の『日本史総合図録』の年表を見てみたのですが、残念ながら推古天皇以前の時系列がよく読み取れませんでした。
 そこで、田村圓澄さんの『聖徳太子(中公新書)』の巻末にあった年譜と、『日本書紀(岩波書店)』に目を通してみました。
 大きな動きとしては、高句麗に圧迫されている百済救援名目の「任那(みまな)――朝鮮の伽耶国に扶植されていたヤマト自治区・いわば古代の満州・リトルヤマト(?)――」再建にからみ、筑紫地方に紀・巨勢・大伴・葛城といったそうそうたる主力軍2万の軍勢――物部守屋討伐オールスターズ――が派遣されていたことくらいでした。これはそのままその直後の祟峻天皇殺害という前代未聞のクーデターのために蘇我馬子が軍勢を隔離したともとれそうですが、祟峻天皇が怨霊化したのだとすれば、そのタタリは当然崩御後のはずでしょうから、存命中の「祟峻天皇の御代」には関係なさそうです。
 ここでふと気づいた当たり前のことは、怨霊化するためには、当然その少し前にその原因があるわけですから、それが必ずしも祟峻天皇の御代にあるとは限らないわけです。となれば、その直近のそれらしい事件に注目すべきです。すると、目立つものでは物部守屋の敗死があります。ただ、守屋に関しては陥れられたというよりは露呈化した戦争での敗北ですので、今ひとつ怨霊化する迫力には欠ける気がします。
 更に私は「用明天皇」と「敏達(びだつ)天皇」の崩御についても考えてみました。もちろんこの二人の崩御に関して、怨霊化するような原因はどこにも書いておりません。
 ただ、この両名の崩御には、記録には現れない不可解な何かが潜んでいるような気がするのです。
 まず、用明天皇は在位期間がわずか2年と短すぎることが気になります。もちろんそのような事は往々にしてあることなのですが、なにしろ皇位継承の混乱期だけに気になります。
 また敏達天皇については、6年間も殯(もがり)の期間があった上で、何故か母の「石姫(いわひめ)」に合葬されていることが気になります。そのことについて田村圓澄さんは、
「欽明天皇の后の石姫の陵墓が磯長に設けられ、そこへ敏達天皇が合葬されたのは、敏達天皇の后の炊屋姫、および蘇我馬子の計らいであった。」
としておりましたが、不自然に思うのは私だけなのでしょうか。百歩譲っても、殯の期間が間違っているか、それとも陵墓そのものが間違っているのか、そのどちらかのような気がします。もちろん秦氏との関連を考えるにはもう少し検証が必要ですが、私としては守屋及びこの両天皇の崩御がなんらかのカギを握っていると考えたいところです。

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