はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

トビの一族

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津軽の縄文文化

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 「火のないところに煙は立たず」と言いますが、津軽に偽書が生まれ、それが一時的にせよそれなりの信頼を得られた背景には、やはりそれなりの土壌が必要なはずです。偽書を生み出すだけであれば、いくらでも可能でしょう。しかし、それが信頼を得られたという部分が問題なのです。専門家をして「これはあり得る」と思わしめる土壌があったのでしょう。津軽においてその土壌を想像するのはさほどに苦労しません。何故なら、津軽は国内有数の縄文文化の環境に包まれているからです。
 特に、遮光器型土偶を擁する縄文文化の一大ブランド、「亀ヶ岡文化圏」などは縄文時代を考察する上で極めて重要な指標ともなっております。
 また、青森市の遺跡になりますが、縄文文化に都市は存在しなかったという定説をくつがえした「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」があります。この遺跡に至っては、弥生最大級の「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」に匹敵する規模の都市だということもわかっております。もっと言うならば、遺跡規模が同レベルだからと言って、同規模の都市だったなどと単純に考えることはナンセンスです。なにしろ三内丸山は縄文時代の遺跡です。吉野ヶ里遺跡よりもはるかに古い都市なのです。
 例えば、江戸時代の江戸は人口100万人だったと言われておりますが、現在私が住んでいる仙台の人口も100万人強です。それをもって東京と仙台が同規模だなどとは口が避けても言えません。あくまで時間軸を想定に入れた相対性という視点を忘れてはならないのです。
 もちろん、三内丸山の全域が、同一時代に現在の遺跡規模ほどの繁栄があったとは言えません。長い時間にわたってそこに繰り返し都市が重複展開したと思われるからです。しかし、それはそれで、そのような都市性の強い文化が定着していた証拠でもありますから、現在でいう国家のかたちかどうかは別としても、縄文時代に既になんらかのルールに基づいた統一規格なり文化なりが存在していたことは間違いないと思います。
 しかも縄文文化とは交易の文化です。ということはどこかに相手側も存在していたということになります。事実、本来青森にはないはずの出土品なども多々見受けられます。

衝撃的な木造駅駅舎
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三内丸山遺跡
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 それにしても、三内丸山遺跡の資料館には、なんの衒(てら)いもなくクジラやイルカ、サメの骨が出土品として展示されてありますが、よく考えたらこれはかなり驚くべきことではないでしょうか。当時の技術で一体どうやって捕獲したのでしょう。石鏃と貧相な船しかなかったと思われる時代に、どうやって海上であの巨大な生き物と格闘し、そして仕留め、陸揚げしたのでしょう。ヘミングウェイの『老人と海』もびっくりです。
 どうしても気になり、学芸員(?)に質問してみたのですが、わからないとのことでした。変な質問に、実に困った顔をされておりました。学芸員さん、すみませんでした(笑)。

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毎度です。
俺も十年前に三内丸山に観光で行きましたです。
そん時は考えもしなかったですが、確かに、当時の技術で鯨漁て物凄いことでんなぁ・・・。

2009/6/4(木) 午後 9:43 [ タガメ太郎 ]

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不思議ですよね。
一体どんな技を使えば、当時の心もとない船に乗って、あの巨大な生き物を仕留められたのでしょう。ひと暴れされただけで簡単に沈没させられそうですが・・・。
単に偶然浜に打ち上げられたものなのでしょうかね。

2009/6/4(木) 午後 10:51 今野政明


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