はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 本日は「塩竈みなと祭り」です。
 鹽竈神社の神輿は荒れ神輿――日本三大荒れ神輿?なんだとか――として有名です。
 押木耿介さんの『鹽竈神社(学生社)』には次のように書いてあります。

――引用――
〜高い所から神輿を見下すことは、大神の怒りにふれるといいつたえられていた。
 古老の話によれば、神輿渡御の当日は二階に寝かしてある病人すら階下に移したという。

 この一文を見ただけでも鹽竈大神が祟り神であることを想像できます。

 5〜6年前、本業で塩竈に出向いたある日、私はなにかと疲れておりました。時間に余裕があったこともあり、鹽竈神社に立ち寄り少し休憩することにしました。
 とりあえず財布の中の5円玉1枚をお賽銭として、特に何を意識するわけでなく、正面にある左右宮の拝殿にご挨拶をしました。
 その後、志波彦神社境内前のベンチに腰をおろし、もう財布には小銭もなく、心の中で「志波彦の神様すみません、お賽銭がないから勘弁してください」とお詫びしながら、つい、うとうとと眠りこけてしまっていたようでした。
 ふと目が覚めると、私の周りを鳩の大群が取り囲んでおり、お迎えが来たのかと思い、驚きました。疲労と寝起き(?)で思考能力が著しく低下していたせいか「志波彦様の祟りか・・・」と観念しました。

鳩に襲撃(?)されたベンチ
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 職場に戻り、私はその話に尾ひれをつけて過剰なジェスチャーをまじえて面白おかしく話していると、そんな馬鹿話を右から左へ受け流した塩竈出身のSさんが私にポツリと「どこから参拝したの?」の一言を浴びせました。Sさんはおそらく「祟り」というキーワードに反応したのでしょう。
 Sさんのお父様は鹽竈神社への崇敬が篤いらしく、子供のころから参拝する順番には厳しかったようです。「まず真っ先に別宮に参らなければだめだ」と、こだわっていたようでした。
 Sさんの一言以来、私は鹽竈神社にとりつかれてしまいました。当初は軽い気持ちで調べ始めたわけですが、調べるほどに不可思議な事実が次々現れ、益々謎に包まれ、おおげさではなく「これはもしかすると相当やばいネタなのでは・・・」と気づき、今に至っております。
 その過程において当然ながら思い当たる文献には徹底してあたりました。
 特に山下三次さんの『鹽竈神社史料』は貴重で、そこに掲載されている諸先輩方々の論稿にはしっかり目を通しました。
 また、この史料集には、わざわざ論外と断定している“偽書”リストがありましたが、これらこそが怪しいとにらみ、当然そこにあった『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎだいせいぎょう)――以下「大成経」――』にも目をつけました。
 したがって、私が大成経なる文書に目を付けたのは、本来伊達綱村のネタとは無縁だったはずなのです。
 ところが、江戸時代の知識階級に大成経ブームを巻き起こした火付け役「潮音道海」という僧は、一方で黄檗宗の一宗派を立ち上げた開祖でもあることを知りました。
 何を隠そう、鹽竈神社中興の英雄、伊達綱村はその黄檗宗の徒なのです。無関係なわけがありません。
 綱村は黄檗宗を通して、一体どんな鹽竈神社像を見つけたのでしょうか。綱村は何を思ってあの不可解な社殿配置を構築し、元禄縁起を制定したのでしょうか。

 まだ混沌としておりますが、私はあきらかに“何かに気付き始めている”ことを実感しております。
間違っているのかもしれませんが、少なくとも私の頭のパズルの全貌が見え始めているのです。

 とりあえず、幕府による大成経の焚書・発禁に至るまでの顛末から眺めてみたいと思います。それを眺めることによって、まずは大成経に含まれたタブー性を垣間見ることが出来ると思うからです。

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コメントは差し控えさせていただいておりますが(なぜなら私はすぐに脱線するので。しかし、脱線させておきながら、本筋話も気になるのです)、楽しく読ませてもらっております。
みなとまつり行かれたのですか?
私は断念してしまいました(>_<)
そういえば・・・知人F氏から聞いた話ですが・・・。高いところからみなとまつりの写真を撮ろうとしたのだそうです。いけないことだとわかりつつ。そうしましたら・・・結局一枚も写っていなかったのだとか。心理的な圧迫感で操作を誤ったのか、はたまた目に見えない外圧が働いたのか、そのときのことはあまり覚えていないそうで未だにわからないそうです(^^)

2009/7/20(月) 午後 11:42 [ - ] 返信する

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シュミさん、こんばんは。
実はみなと祭りには行っておりません。
今朝ほど、単に今回の本文に入れる適当な被写体が何かないかなあと思って朝一番に出向いたら、神輿が露出していたので、初めて祭りの日であることを知りました。
むしろ混雑する前に帰宅し、記事を仕上げた次第です(笑)。

それにしても、まるで怪奇現象ですね!
涼しい顔して神輿の写真を撮ってきた私は、また鳩の大群に襲われるかもしれないですね。

ちなみに数年前、私は三輪山の大神神社で拝殿前に変わった杉を見つけ、それを撮影しようと思ったのはずなのに、なぜか撮らずに帰ってきてしまいました。
後で『大神神社(学生社)』に目を通すと、それは「巳さんの神杉」と言うらしく、撮影すると身内に不幸が起きるんだそうです。実際に何枚も賽銭箱に写真が返納されているんだそうです。
実に危のうございました!

2009/7/21(火) 午前 0:25 今野政明 返信する

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まつり前の御輿ですから、まだ神様は乗ってはいないのではないかと(笑)。きっと鳩にはおそわれないと思いますよ(^^)

写真ってやはりいけないのでしょうかね?
何となくですが写真を撮る行為自体よりも、配慮のない行為に神様が怒るのかもしれないな〜なんて思います(^^) なんてまじめに言ってみたりして。

2009/7/21(火) 午前 0:38 [ - ] 返信する

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昔、写真を撮られると魂を抜かれるなどと冗談で言ったりしておりましたが、最近その手の話はめっきり聞きませんね。

神様に対してに限らず、配慮というものは大切ですよね。

2009/7/21(火) 午前 0:51 今野政明 返信する

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厳密に言うと、潮音禅師の派(黒滝派=存続)はむしろ吉成の臨済院のほう。
大年寺は鉄牛禅師の派(長松派=存続)です。
綱村さんははじめ臨済院に墓所を求めましたがのちに当時の住職・鳳山禅師を遠ざけて大年寺の香国禅師に帰依しています。(吉村公による覚書より)
この辺の宗旨換えについて、鹽竈さんとは関連しない説を仮想していましたが、なにかつながりがあるかもしれません。 削除

2009/7/21(火) 午前 1:54 [ COZY ] 返信する

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COZYさん、おはようございます。

>鳳山禅師を遠ざけて大年寺の香国禅師に帰依しています。

そこについて、その時期的なものを見ても、私は大成経焚書事件があったからだと考えております。潮音和尚は将軍綱吉の母の帰依があったことによって辛うじて罪状が減ぜられたとはいえ、国家的な犯罪者になったわけですからね。

2009/7/21(火) 午前 6:24 今野政明 返信する

僕は今野政明著作の偽書が出版されたら二冊買います…

2009/7/21(火) 午後 0:20 [ - ] 返信する

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ルゴサさん、それでは初版限定でウチのカメさんのはがれた甲羅プレゼントキャンペーンでも考えておきます(笑)。

私が偽書を作るとしたら、仮に本当に聖徳太子が書いたものを発見しても「私が書きました!」と偽って、激しく史料価値を落としてしまうかもしれません(笑)。

2009/7/21(火) 午後 7:47 今野政明 返信する

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