はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

鹽竈神社の謎 検証編

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 さて、私は苅田・柴田――宮城県南――のいわゆる丈部(はせつかべ)系安倍氏と奥六郡の酋長一族の安倍氏は同一系譜であると確信しているわけですが、その理由をいくつかの伝承や論稿を紹介して補強してまいります。
 まず、宮城県南に散見される安倍氏の伝承や、いわき市と北茨城の神社伝承からは、両エリアの勢力、つまり丈部系――国造裔族――勢力が、前九年の役の際、奥六郡の安倍氏に加担していたことを十分に想像させます。  
 このことだけでも十分な気は致しますが、更に続けましょう。
 『封内風土記』は、安倍宗任が宮城県亘理郡の鳥の海で生まれたのだとする伝承について触れております。前にも触れた内容ですが、その時点では原典がわからず曖昧でした。その後の調査で、『封内風土記』によるものであったことがわかりましたので、明記しておきます。

――引用――
鳥海浦。長二千間。横三百間。或五百間許。
〜中略〜
土人言鳥海彌三郎産于斯地。故有比名也。然彼羽州鳥海山下人。後人附会傳之耳。

 この風土記の筆者は、亘理郡“鳥の海”の人達が「鳥海弥三郎――安部宗任――はここで生まれたから鳥海と名づけられた」としていることに対し、「彼は羽州の鳥海山麓の人であり、付会である」と一蹴しております。
 ちなみに、鳥海弥三郎とは家任のことではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。家任こそは鳥海山麓で活躍した人物で、宗任投降後になんらかの事情でこの名を継承したとも考えられるようです。しかし、家任の活躍時期を照らし合わせると、それこそ亘理の鳥の海出身ということは考えにくく、この場合やはり宗任と考える方が自然なようです。
 この風土記の筆者に対し、姉崎岩蔵さんは『鳥海山史(国書刊行会)』や『由利郡中世史考(矢島公民館)』の紙上で猛烈に異を唱えております。例えば『由利郡中世史考(矢島公民館)』では次のように語っております。

――引用――
この文の作者は、歴史的に検証することもなく、彼(鳥海弥三郎)は羽州鳥海山下の人と片付け、この古伝は誤で、鳥海弥三郎の出生地とするのは後人のこじつけだと付け加えているのは、主客顛倒もはなはだしいと云わねばならない。土人の古伝が正しいことが改めて考えられるのである。
 鳥海弥三郎の名は後世代々襲名されたようであるが、安倍宗任が鳥海山下で生まれたということは、何れの書にも記されていないばかりか、安倍氏の勢力の中心が陸奥国にあったことは史上明らかなことによっても、単に鳥海山の山名を元にして誤って考えたものというべきである。
〜中略〜
 鳥海の浦で宗任が生まれたかどうかは簡単に決めることは出来ないが、ここは由利維平とも関係のある土地であることなどから考えると、安倍氏の勢力範囲は奥六郡だけではなかったようである。
 安倍氏の勢力の中心は次第に北進して、頼時の盛時には磐井郡花巻を根拠としていたことが見える。
〜中略〜
宗任の鳥海は地名によったにしても、宮城県の鳥の海の浦は他と異なり、安倍宗任が鳥海の浦で生まれたという古伝があるので、その出生地に基づいて出来た名称と考えるのである。従って岩手県にある鳥海や、鳥海柵の地名は、そこに宗任の拠点が出来たことから二次的に発生したものと考える。

関連地概略図
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安倍宗任出生伝承がある鳥の海
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 そもそも、奥六郡の酋長安倍頼時の娘達は、何故、宮城県北ではなく、朝廷側の本拠地多賀城までもはるかに飛び越えてその先を支配していた藤原経清や平永衡といった宮城県南の官人と結ばれることが出来たのでしょうか。政略結婚だとすれば、衣川どころか、阿武隈川までも越えて勢力を拡張したようなものでしょう。この前段階で朝廷側は多賀城挟撃の危険性を感じなかったのでしょうか。そんなわけはないでしょう。衣川を越えただけで全面戦争に持ち込む朝廷が、そんな危険な姻戚関係を未然に防がなかったのは、その段階では極めて自然なことであったからと思われます。安倍氏が亘理・伊具周辺に根付いていたからこそ、宗任もこの地で生まれ、経清や永衡らのこのような婚姻が自然発生的に行われたのではないでしょうか。
 もうひとつの傍証を掲げておきましょう。
 福岡県宗像市大島にある「安昌院――安晶院――」の住職であった安川浄生さんの著書『安倍宗任(みどりや佛壇店出版部)』では、安倍氏の末裔を称する大田九洲男家の伝承の項で、『太宰管内誌』の記述から次のようなくだりを紹介しております。

――引用――
「祚田は上座郡佐田村にあって深山幽谷の内にある。佐田村には安倍貞任の子孫と称する家がある。或る書物に、佐田村には安倍貞任の子孫がいて、貞任から後、十三代を現人神に祝い木像十三がある。第十三を孫太郎専当といって、今の庄屋はその子孫である。およそ村中に安倍姓を名のる者十四家がある。また安倍一族の産土神(うぶすながみ)といって、松島大明神を祀る。
〜以下省略〜

 九州に流されたのは鳥海三郎宗任ですから、この“貞任”というのは間違いでしょう。
 それにしても、祚田やら佐田やらという地名は瀬織津姫の枕詞「さくなだり」に通ずる語感があり少々気になっておりますが、それはともかく、安倍氏の産土神を「松島大明神」と伝えていることは重要です。松島(大)明神とは、文字通り陸奥国の塩竈と一体的な縄文以来の塩の聖地「松島」の地主神です。
 また、この安川さんが住職を務める「安昌院――安晶院――」にも、宗任がこの地で亡くなったとする伝承とその墓と伝えられるものがあるようですが、このように安倍宗任と密接な関係にある安川さんは次のように付け加えます。

――引用――
 管内誌の引用にある松島大明神を産土神とするという一文であるが、実は筑前大島説の中にも、この書物には触れていないが、宗任が祀ったとされる松島大明神が、海岸の小さな小島の中に今なお残っている。

 筑前大島とは、安川さんの安昌院がある場所です。つまり安川さんの手元にある伝承がそう語っているということです。
 いかがでしょうか。奥六郡――衣川より北――を本拠地にしていたはずの安倍氏の雄、鳥海三郎宗任が、源頼義・義家親子に敗れて遠く筑紫の地にまで流され、望郷の念にかられながらに祀った産土神が衣川よりはるかに南、朝廷側の中枢多賀城にほど近い松島の地主神、“松島大明神”なのです。
 朝廷との摩擦がそれほどでもない頃、安倍氏は現在の宮城県内全域でのびのびと生活していたことと思われます。

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