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土着性のない神

 谷川健一さんは『四天王寺の鷹(河出書房新社)』の宇佐八幡神の特異性を語る項で次のように書きだしております。

――引用――
 日本の数多い神々の中で宇佐八幡神はきわだっている。記紀のどこにも名を記さない八幡神は、九州の一角から突如として中央に乗り出していく。そのきっかけは聖武天皇の大仏造立の悲願であった。聖武帝が河内大県郡の智識寺に行幸して大仏造立を思い立ったことは、すでに智識寺の盧遮那(るしゃな)仏を造立したという成果をもつ秦氏系と思われる渡来氏族の存在を決定づけ、その背後にある豊前の八幡神の立場をきわめて有利なものとした。
 日本の神々と仏教とは本来立場を異にする宗教である。そのために排仏または崇仏の論争や政争も起っている。しかし八幡神は仏教に帰依し仏教を擁護する姿勢を断乎として露骨に打出した。
 それに加えて宇佐八幡に伝統的に伝わっているシャマニズムを基調とした神託を存分に利用した。八幡神の行動はすべて神託によって決められた。朝廷もそれに従うほかなかった。神託は当時の政治情勢を見抜き、それにあわせて朝廷の意を迎える配慮がなされた。しかも八幡神がみずからの像を世に示すのはきわめて大胆で意表をつくものであった。大仏塗金の黄金が必ず国内に出ると託宣し、その預言を成就させた。また道境事件においても清麻呂は八幡神の神託を仰いだのであった。
 八幡神が中央志向のつよいことも神社としては異例である。

 宇佐八幡について語ることは、そのまま本地垂迹の原点を語ることにもなり得るということも含めてこの文に集約されていると思いましたので、少し長く引用しました。
 谷川さんはこの後に「八幡神に土着性がないことが中央政権に密着する志向性を可能にした」としているのですが、なるほどそれは往々にしてあり得ることです。
 例えばこの大仏造立から100年余りも遡った時代には、蘇我氏が中央集権を推進しておりました。そもそも蘇我氏自体も土着性に希薄で、支持地盤に乏しかったことがむしろ幸いし、足かせのない自由な立場となり、その中央集権の方針に徹することが出来たのでしした。
 おそらくは渡来系氏族であろう藤原氏――中臣氏――も自分達の支持地盤ハンディの克服法を、この蘇我氏の政策から気付かされたのではないか、と考えます。
 事実、藤原氏――中臣鎌足――は蘇我氏を内部で対立させて半分ずつ段階的に片付けていくという、あたかもスパイラルな弱体化作戦によって、その地位と功績を横取りした感があります。中央志向は、支持地盤の貧弱な渡来系氏族が勢力を拡大する王道であったのではないでしょうか。これは秦氏にも言えることで、宇佐八幡がその志向性を強めたのも同様の思想故と考えるのです。
 いや、むしろ秦氏こそがこの路線の元祖だったのかもしれません。それは必ずしも秦氏が前面に出て云々というものとは限らず、例えば、かつては蘇我氏にその手法を実践させていたのではないか、と想像するのです。私は、聖徳太子の事績とされているもののほとんどは、蘇我馬子と秦河勝のそれではなかったか、と疑っているわけですが、秦河勝は、実際には蘇我馬子のブレーンとして活躍していたのではないか、と勘繰るのです。『日本書紀』では蘇我氏から狙われる立場であったかのようなニュアンスが伝わってきますが、私は河勝を邪魔に思う存在があったとすれば、それはむしろ中臣氏ではなかったか、と考えております。
 それにしても、何故この大仏の守護神は伊勢神宮ではなく宇佐八幡だったのでしょう。あるいは最大級の神威をもつ“大物主”を祀る大神神社が平城京のすぐ近くにあるというのに、何故わざわざ九州の神様に頼ったのでしょうか。
 谷川さんは、文面を読んでいる限りでは、秦氏にその理由を見出そうとしております。
 ひとつには、大仏造立に関して事前に智識寺の盧遮那仏造立の実績があったこと、もうひとつには、日本の神と仏を習合させるなんらかの術を持っていたこと、それらが秦氏を頼らしめる要因として大きいということなのでしょう。

東大寺大仏殿
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 さて、宇佐神宮には3つの顔があるわけですが、この場合特に八幡神としての顔、しかしそれは俗に八幡神の祭神と呼ばれる“一の御殿”の応神天皇というよりも、秦氏が祀るその祖型らしき何か、になんらかの秘密が隠されていそうです。
 しかし、私は一方で、秦氏とは無関係と思われる“二の御殿”の比売神が頭から離れません。つまり『逆説の日本史(小学館)』の井沢元彦さんが提唱する「比売神=卑弥呼=天照大神」説が気になるのです。
 厳密にいえば、私は邪馬台国と大和は別物であろうと考えているため、全面的な賛同はしかねるのですが、しかし少なくとも「宇佐が天皇家の始祖の墓である」という井沢さんの着眼点には大きく納得させられるのです。それでこそ、宇佐が天皇家の重大な局面に口出しが出来ると言うものでしょう。そういう意味では、本来宇佐にはその場所でなけらばならない理由が存在するわけで、つまりは十分に土着性があると言え、朝廷が頼るのも、むしろその土着性故であろうかと私は思います。
 にもかかわらず谷川さんが言うように土着性を喪失しているかに見受けられるのは、それはあくまで辛嶋氏――秦氏――そのものの性格が乗り移ったからに他なりません。そこに何故秦氏が絡むのか、それは二次的な問題ではないかと考えるのです。
 ここに、おぼろげながらも私の脳裏を去来するものに触れておくならば、焚書・発禁となった『先代旧事本紀大成経――以下、大成経――』での“神”に対する考え方では、神――天照大神――は、本来は日の出日の入りを繰り返す太陽のように常に巡っているものとのことでした。それでこそ「あまねく照らす」意味に通じるものだということらしいのです。問題になった伊雑宮についても、『大成経』の主張ではそこが本場云々ではなく、あくまで最初に天降った場所というだけなのです。つまりそこに居続けるものではないので、そこに天照大神が鎮座するなどとは語っていないのです。このことから見ても『大成経』が伊雑宮の手によるものではないことがわかります。
 『大成経』が問題視されたもうひとつの大きな理由には、巡るべき天照大神を一箇所に固定してしまった伊勢神宮を断罪しかねない内容になってしまうから、という部分もあったのでしょう。
 ついでまでに、この『大成経』を知識人の間で一躍ベストセラーにのしあげた「潮音」の母方の姓が「波多野」であったことは、ここにきてまた気になりだします。

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