はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

宇佐にまつわる話

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称徳女帝激昂の理由

 結論から言えば、道鏡に皇位を譲る大義名分となるはずだった宇佐八幡からの神託は、神社側から裏切られました。いえ、厳密には宇佐氏が裏切ったわけではなく、八幡神を奉ずる辛嶋氏――秦氏――の“無言の抵抗”にあいました。
 宇佐神宮は一枚岩ではないのです。辛嶋氏、大神氏、宇佐氏の三つの顔のうち、実は意外にも宇佐氏の影は薄いものでした。
 宇佐内部の権力闘争は、八幡大菩薩で一躍朝廷の覚えがめでたくなった辛嶋氏と、やはり東大寺の大仏開眼をきっかけに出世(?)しておきながら、神道家としての誇りも捨てていない大神氏の争いになっておりましたが、『続日本紀』によれば天平勝宝六年(754)十一月に、「薬師寺の僧行信(ぎょうしん)と、八幡神宮の主神・大神朝臣多麻呂らは、共同して人を呪い殺そうとする呪法を行った」とあり、その罪により大神朝臣杜女(もりめ)と多麻呂が、各々日向国と多褹島――種子島――に配流され、それ以来、大神氏は衰えていました。時期にして、称徳女帝の一度目の天皇時代――孝謙天皇時代――以来ということになります。
 つまり、称徳女帝と道鏡の活躍時代、宇佐の権力闘争は辛嶋氏の一人勝ち状態になっていたのです。
 それでは、称徳女帝は最重要な決定事項の神託を、辛嶋氏に仰ごうとしていたのでしょうか。いえ、そんなはずはありません。宇佐が特別であった理由は、本来あくまで宇佐氏の存在にあったはずで、称徳女帝としては、その宇佐氏からの神託を得たかったのだと思います。そして宇佐氏としても、ここで天皇家と結べば、一気に辛嶋・大神両氏を出しぬき、形勢逆転になる可能性もあるわけです。この流れを敏感に察したのが落ち目の大神氏でありました。この気運に便乗して逆転劇を試みようとしたようです。
 こういった宇佐内部の確執を考慮しなければ、宇佐神宮が発した一貫しない神託の理由は見えてこないと私は考えます。
 今となれば、宇佐といえば“八幡信仰の本場”というイメージですが、それはこの時代の天皇家への関わりによって定着したものです。
 “八幡”の概念は辛嶋氏――秦氏――がもたらしたものと思われますが、いつしか宇佐神宮としての権威が八幡に起因しているような印象になってしまったがため、本来独自の歴史だけでも十分に天皇家に物申せるはずの宇佐氏までが、“元祖八幡”を自らの歴史に取り込もうという本末転倒な事態が起きてしまったように思えます。

 八幡神託事件のきっかけは、大宰主神習宜阿蘇麻呂(すげあそまろ)が「道鏡をして帝位に即(つ)かしむれば、天下太平ならん」という八幡神の言葉を道鏡に伝えたことに始まりました。一般的には、阿蘇麻呂が道鏡に媚びて神託を捏造したとされておりますが、はたしてそうなのでしょうか。
 谷川健一さんは『四天王寺の鷹(河出書房新社)』のなかで、次のように語ります。

――引用――
 道鏡を天位につかせようという神託を奏したのは習宜阿蘇麻呂ひとりの行為とは考えにくい。彼の上司に弓削道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人がいた。弓削浄人と気脈を通じた上での行動であったのは間違いない。
 しかしそれだけでも不十分である。阿曾麻呂や浄人の意を迎えて神託を下す者がなくては叶うまい。それは宇佐神宮の神職団のほかにはない。

 この宇佐神職団とは、その後の顛末からみるに少なくとも辛嶋氏ではあり得ません。これは、斜陽化にあった大神氏か宇佐氏のいずれか、あるいは両者であったと考えるのが自然でしょう。
 谷川さんもどちらかというと道鏡を“悪”という前提で述べているので、私の考えとは少々ニュアンスが異なるのですが、私は称徳女帝と宇佐氏の間のはかりごとに大神氏が便乗して一口買ったものではないか、と考えております。だからこそ、その後「和気清麻呂(わけのきよまろ)」が筋書きと違う神託を持ちかえった時に、称徳女帝は激昂したのではないでしょうか。

閉じる コメント(19)

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成程。宇佐神宮は全然一枚岩じゃなかったんですね。

本当は「出来レース」としての神託だったハズなのに、和気清麻呂の言葉を聞いた天皇は愕然としたでしょうね。
清麻呂の姉は天皇の女官としてすごく近くにいた人ですし…。

2009/9/26(土) 午後 11:22 卯喜多ドラみ

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卯喜多さん、こんばんは。
『託宣集』(だったかな?)には宇佐公池守が、和気清麻呂に対して神託を下した――実際には明確には下してなかったようですが――辛島勝与曾女について“偽託癖”がある旨を告発するような記述もあります。宇佐氏の責任逃れととることもできますが、内部の相克を露骨に感じますね。

2009/9/26(土) 午後 11:40 今野政明

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そうなんですか。
今の宇佐神宮行ったら、「天下の大事を私たちが防ぎました」アピールがスゴイことになっているんですけどね。
道鏡とか、称徳天皇とかの評価が変わったら、あの絵はどうなるのかなあ…なんて思ってしまいます。

2009/9/29(火) 午前 1:35 卯喜多ドラみ

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卯喜多さん、ありがとうございます。
そんなアピールをしているのですか。実に微妙ですね(笑)。
なるほど、道鏡や称徳女帝の評価が変わったら困ってしまうでしょうね。
昔、「足を揃えて乗れる」という触れ込みで新発売した某社の原付自転車は、「スクーターではありません」と盛んにアピールしていたのですが、その数年後にやってきたスクーターブームの際「日本初のスクーター」とうたっていたことを思い出しました(笑)。

2009/9/29(火) 午前 6:32 今野政明

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日向へ配流された大神朝臣杜女の足跡が判りません。
ご教示頂ければありがたいです。
当地鹿児島を頼ってきていれば展開が面白いのですが

2009/10/11(日) 午後 0:15 [ nick ]

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nickさん、ありがとうございます。鹿児島にお住まいなのですね。
なにしろ、私は東北人ゆえ、残念ながら九州の事情についてはさほどに掘り下げられておりません。杜女の足跡についても日向以降のことは全くわからないのが正直なところです。
ただ、気になっているのは、そちらには鹿児島神社という神社があるのでしょうか?平安時代後期から「正八幡宮」を称していると聞きます。面白いのは、それに対し宇佐側は否定するでもなく、“どっちも本物”みたいな弱きな主張をしていらっしゃるそうで。このことから少なくとも辛島氏については鹿児島神社に移ったのだろうな、と想像しております。
大神氏はどうなのでしょう・・・。むしろnickさんにお伺いしたいくらいです。

2009/10/11(日) 午後 9:05 今野政明

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こんばんわ。早速のご回答ありがとうございます。
寺社関係は、「寺社探訪」に
鹿児島神社(現、鹿児島神宮)は鹿児島神宮(正八幡)に掲載して
あります。
===>>鹿児島神宮、鹿児島神社、及び分社・勧請社

また「ホツマタエ」伝承との関連も記載してあります。
===>>大穴持神社

2009/10/11(日) 午後 10:41 [ nick ]

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nickさん、情報ありがとうございます。立派なHPを展開していらしたのですね。ありがたく読ませていただこうと思います。
ところで、知人から興味深い情報を得ました。杜女はどうも宮崎県の高千穂方面に流れた痕跡があるようです。ご参考まで。

2009/10/12(月) 午前 0:02 今野政明

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「大神朝臣杜女 高千穂」でサーチしたら自分のサイトが。
これでは。。ちょっと図書館で調べてみましょう。
郷土史があるかな?それが問題。。

もし「出自」が判明したらご教示下さい。

2009/10/12(月) 午前 8:16 [ nick ]

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nickさん、こんばんは。
知人からの情報によりますと、高千穂・日之影の各町史にも記載があるようです。どうも高千穂神社には浅からぬ縁があるようですので、そちらで取材されるのがお勧めかもしれません。なにしろその知人に言わせれば、比較的近年まで山々を越えて杜女の墓参りのような神事まで行われていたようですから・・・。

2009/10/12(月) 午後 9:28 今野政明

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今野さんこんばんわ。
南北朝の頃、あの辺りは大神氏が勢力を広げていたようですね。
今朝、図書館に出懸けたら、休みでした。
歴史民俗館はオープンしていましたが、、
明日、再度出懸けます。
私も宮崎は疎い。神社関連で追っかけているのですが
そろそろ高千穂を掲載しないといけませんね。

2009/10/12(月) 午後 9:41 [ nick ]

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なるほど、こちらから見ると宮崎も鹿児島も隣県同士で似通ったエリアに思えるのですが、たしかに私が住む宮城県と隣の岩手・山形・福島などの歴史については疎い部分が多いのも事実ですので、nickさんのコメントも実感としてわかります。
ちなみに、私は何故か閉館日の図書館を訪れる常習犯です。ゴキブリ以下の学習能力のようです(笑)。

2009/10/12(月) 午後 11:35 今野政明

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おはようございます。実は北宮崎と大分に「鹿児島神宮の勧請社」が
あるのですよ。
この辺りは鉱物資源の宝庫です。
結構、興味津々の場所ではありますが、車の無い私には遠い。
不思議ですね。東北と南九州で盛り上がるとは。。笑。

2009/10/13(火) 午前 7:07 [ nick ]

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この「和気清麻呂」は当地に配流された関係で
寺社探訪の「和気神社」に少々掲載しています。

2009/10/13(火) 午前 7:19 [ nick ]

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nickさん、こんばんは。
鉱物資源の宝庫ですか。ますますもって辛島氏の影を濃厚に感じてきます。本文でも触れているとおり、私は宇佐と八幡は本来別物と考えております。八幡はやはり辛島氏――秦氏――が持ち込んできたものと考えますので、それを念頭においたとき、鹿児島神社に伝わるという“正八幡”が妙に真実味を帯びてくるのです。

2009/10/13(火) 午後 10:27 今野政明

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こんばんわ。
説法集を読んでいたら今になってしまいました。

そのバックデーターを踏まえて展開されたらと思います。
多分、ご存知と思いますが、大分歴史辞典はお勧めですよ。
私は宇佐まではなかなか手が廻らない。
当地は廃仏毀釈で史資料が散逸しているので
大分のそれをかなり読んでますが、
鹿児島神宮の歴史も大半は「宇佐神宮史」が参照です。笑。

2009/10/14(水) 午前 0:36 [ nick ]

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nickさん、ありがとうございます。

最近、わりと遠方――例えば畿内――まで出向くことも多いのですが、さすがになかなか九州には行けず、それで九州のことを語るのは申し訳ないとすら思っております(笑)。いつの日か、ちゃんと自分の目で確認したいとも念願しております。
九州のうらやましいところは、東北と違っていわゆる正史にも主舞台として登場していることですね。東北に比べれば断然史料が多いように見えますよ。東北はやはり外国だったのだろな、とつくづく感じます。

2009/10/14(水) 午前 11:08 今野政明

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2006年からの宇佐神宮の宮司問題も、何か勘ぐってしまいます(^^;

2015/9/15(火) 午前 11:31 [ nya*_sa*n_d**u ]

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nya*_sa*n_d**uさん、ありがとうございます。

詳しくはわかりませんが、いろいろとあったようですね。

2015/9/15(火) 午後 0:26 今野政明


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