はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 『日本書紀』は、出雲の国譲り神話を次のように語っております――宇治谷孟さん訳『全現代語訳 日本書紀(講談社学術文庫)』より――。

――引用――
 武甕槌(たけみかづち)神が進んでいわれるのに、「どうして経津主(ふつぬし)神だけが丈夫(ますらお)で、自分は丈夫ではないのだ」と。その語気が大変激しかったので、経津主神にそえて、共に葦原中国に向かわされた。
 二柱の神は、出雲の国の五十狭(いたさ)の小汀(おはま)に降られて、十握(とつか)の剣をぬいて、倒(さか)さまに大地につき立てて、その先に膝を立てて座り、大己貴(おおあなむち)神に尋ねていわれるのに、「高皇産霊尊が皇孫を降らせ、この地に君臨しようと思っておられる。そこでわれら二人を平定に遣わされた。お前の心はどうか、お譲りするか、否か」と。そのとき大己貴神は答えて、「私の子どもに相談してご返事いたしましょう」といわれた。このときその子事代主(ことしろぬし)神は、出雲の美保の崎にいって、釣りをたのしんでおられた。あるいは鳥を射ちに行っていたともいう。そこで熊野の諸手船(もろたふね:多くの手で漕ぐ早船か)に、使いの稲背脛(いなせはぎ:諾否を問う足)をのせてやった。そして高皇産霊尊の仰せを事代主神に伝え、その返事を尋ねた。そのとき事代主は使者に語って、「今回の天神(あまつかみ)の仰せごとに、父上は抵抗されぬのがよろしいでしょう。私も仰せに逆らうことはしません」といわれた。そして波の上に幾重もの青柴垣(あおふしがき)をつくり、船の側板を踏んで、海中に退去してしまわれた。

 『日本書紀』では、この後すぐに大己貴(おおあなむち)――大国主――は国を譲ります。
 しかし『古事記』では微妙にニュアンスが異なります。『古事記』では、事代主は「その船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して」隠れたようです。つまり“逆手”というなにやら不気味な呪法を施しながら自殺したようなのです。そしてその後、事代主の兄弟にあたる建御名方(たけみなかた)――日本書紀では健御名方――は断乎たる抵抗の姿勢を示します。
 さて、私は、出雲に出向いたからには、この事代主入水の地も一目見ておきたく美保崎に向いました。
 米子に宿をとっていたので、境港市街の美保湾沿岸、国道431号を北上しました。このあたりを弓ヶ浜というのでしょうか、実に松並木が美しい海岸線で快適なドライブを楽しめました。この平坦な海岸線を抜けると、一転して岬めぐりの様相を呈してくるのですが、海岸までせまる断崖を岬の先端に向かって走り続けているうちに、「事代主神はおそらく闘ったんだろうな・・・」という思いが芽生えてきました。 記紀では事代主は美保崎で釣りなり鳥狩なりをしていたとされております。しかし、時は侵略者に国譲りを強要されている最中なのです。しかも事代主は父から重大な判断の結論を求められる程の重要人物なのです。その彼が、この緊急事態に鳥狩や釣りに興じているものでしょうか。この現代でも断崖がせまる海岸線の先にある美保で入水したというのであれば、事代主は追い詰められて敗走してこの地に辿り着いたのでしょう。
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 そのようなことを思い、感慨深く美保神社を参拝しておりますと、一人の老紳士に話しかけられました。他に誰もいなかったということもあるのでしょうが、氏は私に質問してきました。

「ここはなんという神様が祀られているのですか」

 はて、どうしたものか・・・。私は多少のいぶかしさを感じました。何故なら、ここまでたどりつく道中を思えば、あえて観光客がこの地にいるということは、たいていこの美保神社を目指してやってきたはずと思われるからで、であれば、ここがどのような地であるかを認識し、興味があったからやってきたのではないのだろうか・・・。なにしろ、私も一人の観光客であり、むしろ私がいろいろ質問したいくらいの立場なのです。もしかしたら、私が常識的に答えれば「ところがそれは違うんだな」などと、誇らしげに裏話でもお披露目してくれるのかもしれない、そんな期待が芽生えました。

「私は事代主の神様が祀られていると思って訪れたのですが・・・」

と、多少不安げなふりをして答え、ここが事代主お隠れの地であることも含めてお話をしました。すると氏は満足そうな表情で礼をして去ってしまいました。どうやら純粋に質問していたようです。私は自分も観光客の分際で観光案内をしてしまいました。いや、もしかしたら事代主神が化現して私を試していたのでしょうか(笑)。
 ところで、境内に妙な新聞記事が掲示されておりました。“手締め”が島根県発祥であるというのです。その記事によりますと、事代主の逆手は決して呪いではなく、「了解」したときの「手打ち」であるというのです。少なくとも美保神社の関係者はそう考えているのだそうです。
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 では、何故わざわざ手を逆さまにしたのでしょう・・・。

閉じる コメント(6)

いやあ!老人に変装するって大変だあ、もうやりたくない(笑)

2009/10/14(水) 午後 0:49 [ - ]

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え!そうだったんですか!

ルゴサさんって若かったんですか!(笑)

2009/10/14(水) 午後 2:06 今野政明

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実は10日にサンライズ出雲で米子へいきまして、鬼太郎列車(リニューアルのセレモニーしてました)で境港までいってきました。
米子、安来、松江・・・。いいところです。

2009/10/18(日) 午前 1:25 [ COZY ]

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COZYさん、おはようございます。
行かれましたか。私は宿こそ米子にとったものの、米子そのものはよく観ておりません。
松江市街も車で通過したに過ぎないのですが、黄昏時の宍道湖畔の雰囲気にとても惹かれましたね。次回行く機会があれば、少しゆっくり散策してみたいと思いました。

2009/10/18(日) 午前 6:05 今野政明

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宍道湖の夕暮れは小泉八雲も愛した風景です。
僕が訪れた日は、ちょうど水燈路まつりでして、お堀端に幻想的な雰囲気が演出されていました。
松江から広島に抜ける途中、三戸屋(さんとや)という地域をとおりました。大国主の奥方スセリヒメノミコトの墓所があるとか何とか聞いたような記憶があります。
中国山地の喉元に食い込むような地域で、一面の杉山でした。もしかしてスセリヒメは鉱物採取民族の出自かな、と推測しつつzzzな旅でした。

2009/10/19(月) 午後 10:56 [ cozy ]

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cozyさんこんばんは。
あれ?cozyさんはCOZYさんですよね(笑)。

小泉八雲の愛した風景ですか・・・。なにやら、自分自身が高尚に思えてきました。

まあ、少なくとも出雲と製鉄は切り離せない関係でもあるでしょうから、スセリヒメにしても当然にその気配はあるのでしょうね。

それにしても、出雲にもいろいろ派閥的なものがあるようで、私が訪れた松江市内の某所では、国造家と大社の関係についてなかなか気になる話なども耳にしました。まあ、それを私に語った方は、観光客を捕まえてはそんな話を説明して松江市側からよく説教されているらしいですが(笑)。でも私としては大変楽しく聞かせていただきました。

2009/10/20(火) 午前 0:14 今野政明


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