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多賀城時代、現在の栗原市には、伊治城という対エミシ戦略の前衛基地がありました。 これはそのまま読めば「いじ」なのですが、出土された木簡に「此治」という文字が発見されたことなどから「これはる」あるいは「これはり」と呼ばれていたことが定説となっております。 ウェブ百科事典ウィキペディアで「栗原郡」を検索すると次のように説明されておりました。 ――引用―― 神護景雲元年(767年)に当時の陸奥国最北の城として伊治城が築かれた後に置かれた。郡名として史料に伊治郡と上治郡、出土木簡に此治郡があり、上治は此治の誤字で、此治が伊治と同音異字(「これはる」または「これはり」)とする説が有力である。この郡名が後に栗原に変化したと考えられる。 *木簡は漆紙文書の誤り? しかし私は少々違う説をとります。これではクリハラという言葉に全く意味がありません。私はクリハラという地名にこそ大変大きな意味を含んでいると考えているのです。 ウィキペディアが採用している説は、郡としての栗原が、伊治城に遅れて設置されたことにとらわれて生みだされたのではないでしょうか。私はクリハラという地名は「伊治城」設置以前から存在していたものと考えております。 その時期は、おそらく7世紀末から8世紀初頭、西暦685年から700年代前半にかけてであろうと想定しております。 たしかに「伊治」という地名は、元からあったと考えられます。 それは付近に「伊豆(いず)沼」があること、また、この地を流れる「迫(はさま)川」の古名が“イジ川”であったこと――『矢本町史』――、ついでにその“イジ川”の河口が、上毛野田道が蝦夷制圧に失敗して戦死した伊寺水門(いじのみなと)比定地であったことからもほぼ確実です。 ただし、伊豆地名は全国あちらこちらにあります。そしてあたりまえですが、朝廷は全国組織です。 したがって、朝廷からすれば混乱しないように他国の伊豆とは区別して呼びたいはずです。「○○の伊豆」と底地を特定させる枕詞が必要であったと思われます。 つまり、私は“クリハラの伊豆”と呼ばれていた可能性がかなり高いのではないかと考えております。 例えば、旧国鉄――現JR――は、他地域との重複を避けるために、宮城県であれば「陸前○○駅」というように頭に「陸前」という広義の地名を冠しておりましたが、つまりはそれと同じ理屈です。 当初「栗原の伊豆→伊治」と呼ばれていたものが、やがて「伊治」と書くだけで「クリハラ――コレハリ・コレハル――」と読むようになったとも考えられますし、あるいは当初から伊治城の呼称について通称のクリハラ城が一般化していたのかもしれません。 例えば、「会津若松城」は通称の「鶴ヶ城」がまかり通っておりますが、もしかしたら、それをもって未来の人間が「会津若松と書いてツルガと呼ぶのではないか」というレベルの話に過ぎないのかもしれません。 いずれにせよ、私は伊治よりも広域圏を指すクリハラなる地名が、8世紀半ばには既に一般化していたものと考えるのです。 さて、奈良県高市郡明日香村にも「栗原」という地名があります。 その地名の始まりについて『日本書紀』の雄略天皇十四年三月の条に次のような記述があります――宇治谷孟さん全現代語訳『日本書記(講談社)』より――。 ――引用―― 臣連に命じて、呉の使いを迎えさせた。その呉人を檜隈野(ひのくまのの)に住まわせた。それで呉原と名付けた。 奈良県の「栗原」は「呉原(くれはら)」が変遷したものなのです。 ちなみに、ここに出てくる「呉」は、『日本古代試論(大和書房)』の大和岩雄さんによれば中国の「呉」ではなく、高句麗の「句麗(くれ)」のことで、当時、高麗、百済などの扶余系朝鮮人は「呉人」と称していたのだそうです。 この檜隈野の地は「東漢(やまとのあや)氏」の本拠地でもあり、彼らは騎兵戦を得意とする扶余系朝鮮人、もっと言えば高句麗系の渡来人でした。このことはアテルイの穏やかな降伏の理由を推察する上で大変重要だと思いますので頭の片隅にでも入れておいていただければと思います。 ※平成24年1月26日追記
「伊豆」を表すとされる「伊治」ないし「此治」については、「此治の眞名井」との関係も並行して検証しなければならないと考え始めております。 |
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ほっほー!! 又勉強になりました。コレハリがクリハラ・・栗原となったのですか!!
伊治城跡へ自転車で行ってみましたが、なにも無く看板だけがお寺の前にあった印象しかありません。。栗原の伊豆ですか!?
2010/4/21(水) 午後 2:36
ロッソさん、ありがとうございます。
伊治城の場所は、たしかまだ推定地の域を出ず、明確にはされてていなかったと記憶しております。
たとえその場所に何もなくてもいいのです。
その場所に身を置いて悠久の物語に思いをはせることに意味があるのです。
福山雅治さんの「桜坂」がヒットしたとき、なんてことのないその場所に身を置いて歌の世界に浸っていた人たちがいっぱいいたそうではないですか。
ちがうか・・・(笑)。
2010/4/21(水) 午後 7:01