はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 秋田氏の本姓は安倍であるわけですが、その安倍姓は言わずもがな、中央の古代氏族の阿倍臣ではなく、前九年の役で戦死した安倍貞任と同系、奥州の安倍氏です。これを私は宮城県南を中心に興った丈部(はせつかべ)系アベと同系であろうと疑っているわけですが、丈部(はせつかべ)とは、中央の古代氏族アベ氏の「馳せ使いの部民」を指す呼称でした。
 しかし、丈部などの部民なり俘囚なりが、必ずしも蝦夷であったかというと、どうもそうでもなさそうです。俘囚と呼ばれた者の中には、本来朝廷側の前線部隊として戦列に加わりながらも敗れ、蝦夷に囚われ、そのまま賊地で帰化した者も少なからず存在したというからです。
 例えば『続日本紀』には次のような記録があります。

――引用:宇治谷孟さん全現代語訳『続日本紀(講談社)』――
 (神護景雲三年)十一月二十五日 陸奥国牡鹿(おじか)郡の俘囚(帰順した蝦夷)、少初位上・勳七等の大伴押人(おおともべのおしひと)が次のように言上した。
 伝え聞くところによりますと、押人らの先祖はもと紀伊国名草(なくさ)郡片岡里の人ということです。昔、先祖の大伴部直(あたい)が蝦夷征伐の時、陸奥国小田郡島田村に至り、住みつきました。その後、子孫は蝦夷の捕虜となり、数代を経て俘囚とされました。幸い尊い朝廷が天下を治められるめぐり合わせとなり、すぐれた武威が辺境を制圧しているのを頼みとして、あの蝦夷の地を抜け出てから、すでに久しく天皇の徳化のもとにある民となっています。そこで俘囚の名を除き、調庸を納める公民になることを申請します、と。
これを許した。
〜中略〜
 (宝亀元年夏四月一日)陸奥国の黒川・賀美(かみ)など十一郡の俘囚(ふしゅう)三千九百二十人が、次のように言上した。
 「私どもの父祖はもともと天皇の民でありましたが、蝦夷にかどわかされて、卑しい蝦夷と同じ身分になりました。今はすでに敵(蝦夷)を殺して、帰順し、子孫も増えております。どうか俘囚の名を除いて、調庸を納めさせていただくようお願いします」と。
この申請を許可した。

 このように支配層の蝦夷が官軍に敗れると、部民らはそのまま国家公認の蝦夷地開拓民的扱いで陸奥なり出羽なりに残っていたわけですが、やがて彼らは被差別民の烙印とも言える例えば丈部などのような“部”がつく呼称を嫌いました。
 そこで彼らは自分達と囚われの蝦夷とをはっきり区別してもらうため、例えば丈部氏であれば自分達の管理者の姓でもある安倍氏を名乗ることを嘆願し、それは認められたのです。つまり、彼らは安倍姓を許されたことで、蝦夷の烙印を消してもらったのです。
 そのような流れを見るに、もしかすると奥州安倍氏は本当に中央の安倍氏であった可能性もなきにしもあらずではないか、と私は想像しております。
 これは丈部系安倍氏に限らず、毛野氏に対する吉弥候部(きみこべ)――君子部――や、大伴氏に対する大伴部なども同様で、部民が王民への改称を求めるのは東北地方がおおよそヤマト化した時期のいわば社会現象でもあったようです。勝手ながらこれを「部民解放運動」とでも名付けておきますが、『続日本紀』の神護景雲三年三月十三日の条では、その“申請人”として「大国造道嶋宿禰嶋足(しまたり)」の名があります。
 部民解放運動のトップであった道嶋宿禰嶋足は、蝦夷としては極めて異例ながら中央官僚として大出世を遂げた人物です。宿禰姓を賜っていることもさることながら、『続日本紀』の神護景雲元年十二月には、彼のためだけにとしか思えない陸奥国オリジナルの“大”国造なるものが制定されたようで、あえて同族下位の道嶋宿禰三山の国造任命が併記されているところから、嶋足の大国造が明確に国造を上回る立場であることを際立たせます。よほど朝廷の覚えめでたい傑物であったのでしょう。
 道嶋氏は、元々古代有力氏族「和邇(わに)氏」の部民と考えられる「丸子(わにこ・まるこ・まりこ)」氏であったわけですが、『続日本紀』によれば天平勝宝五(753)年に一族の英傑達が次々「牡鹿連(おしかむらじ)」の氏姓を賜っている記録が見受けられます。少し私の興味を惹きつけているのは、丸子牛麻呂や丸子豊嶋ら24人が牡鹿連の氏姓を賜った同年6月8日の条です。この二週間足らず前の5月25日、渤海使(ぼっかいし)の輔国大将(ほこくたいしょう)「慕施蒙(ぼしもう)」は、朝廷を拝して貢物とともに次のように奏上しております。

 「渤海王は日本に君臨しておられる神聖な天皇の朝廷に申し上げます。王は天皇より、なすべきことのご命令を賜らなくなって、既に十余年になります。このため慕施蒙ら七十五人を遣わし、国の贈物をもたせて朝廷に献上申し上げます」――宇治谷孟さん全現代語訳『続日本紀(講談社)』より――

 これによって慕施蒙らは地位に応じて位階を授けられ録を賜ったということですが、時の帝であった「孝謙(こうけん)天皇――称徳(しょうとく)女帝――」は、次のような言葉を彼に浴びせながら印を押した文書を渡しております。

――引用:同書――
 天皇は敬(つつし)んで渤海王にたずねる。朕は徳は薄いが、つつしんで天子の地位をお受けし、人民を育て養い、国のすみずみまで照らし治めている。王は海外の僻地に住し、遠く日本に使いを派遣し入朝させられた。王の真心はまことに明らかで朕はこれを深くほめたたえる。しかしもたらした書状を見ると、王は臣と称してはいない。そこで高麗(こうらい)の旧(ふる)い記録を調べると、渤海が国を平定した日の奏上文では、次のように言っている。
「日本と渤海は血族なら兄弟にあたり、義の上では君臣の関係にあります。そのためある時には援兵をお願いしたり、あるいは天皇のご即位をお祝いしたりしています。朝廷に参上する不変の儀式をととのえ、忠誠の真心をあらわします」と。
 それ故先代の聖武(しょうむ)朝において、その貞節をほめて王の使いに特別な恩恵をもってもてなした。王の栄(は)えある運命は、日毎に隆盛となり絶えることがない。思うにこの上表文のことを、承知しておられるであろうが、こまかに説明するまでもないであろう。これにより先回の来朝の後に、渤海に使を遣わし勅書を送った。それなのにどうして今回の来朝に重ねて上表がないのであろうか。礼をもって行動することは両国とも同様である。王はよくよくこのことを思うように。夏の末でまだ暑さは甚だきびしいが、お変わりないだろうか。使人らは今還ろうとしている。朕はかねて思っていたことを指し示して、あわせて別紙のようなものを下賜する。

 これが件の6月8日の出来事です。
 つまり、丸子牛麻呂や丸子豊嶋が牡鹿連を賜ったこの6月8日、孝謙天皇は、渤海王が臣を名乗らずあくまで王を名乗り続けることへの不快感を露わにして苦言を呈しているのです。しかしこの苦言は、どこか、音信不通になったドラ息子がようやく連絡をよこし、腹ただしいながらも一応は安堵したかのような微妙な親心にも似たものを感じます。
 それに続いて同日すぐに牡鹿連の賜姓記録があります。
 これは、もちろん陸奥の産金にかかわる功績も考えられますが、もしかしたら国交が途絶えていた渤海国との仲を取り持ったのが彼らであったのでしょうか。
 ちなみに、その約2カ月後の8月25日の条に「陸奥国の人、大初位(おおそい)下の丸子嶋足に牡鹿連の姓を賜った」とあります。これによって、後に陸奥の大国造となる道嶋嶋足も「丸子姓」かつ「牡鹿連」であったことが明確になっております。
 さて、渤海国とは孝謙天皇の言葉からも推察できるとおり、高麗―高句麗―の流れを組むいわばフロンティア国家でした。
 高句麗はその半世紀以上前に既に唐・新羅に滅ぼされてしまったわけですが、亡国(?)の彼らは板挟にあえぎながら新興国家の独立を保っていたのです。
 丸子氏がその高句麗系渤海人とどのようなつながりがあったのかはわかりませんが、度々触れているとおり、高句麗系騎馬軍と同族であろう照井氏の聖地「栗原」を上流とする「伊治川」を通じて、その河口である「牡鹿」を領していた丸子氏が高句麗系の人々となんらかの密接な縁故をもっていたことは想像に難くありません。
 さて、前に私はこの道嶋氏が三春を含む安積郡――現:福島県郡山市周辺――というエリアに浅からぬ縁があることを示唆しておきました。安積郡にもこの丸子氏の影が濃厚なのです。それが後天的なものか否かはわかりませんが、現在でいう仙台湾を縄張りに活躍していただろう丸子氏が、阿武隈川を遡って磐城国造のエリアにほど近い安積の地に根付いていたとしてもなんら不思議ではありません。あるいはその逆のコースも十分考えられます。
イメージ 1
牡鹿半島から仙台湾を隔てて仙台市街と蔵王連峰を望む
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 なにはともあれ、丸子氏は間違いなく安積において一定の勢力を保っておりました。
 『日本後記』によれば、延暦十六(797)年の1月13日に、安積郡の人で外少初位上「丸子部古佐美(まるこべこさみ)」なる人物が「大伴安積連」を賜っております。
 ちなみに、その他にも何故か丸子氏が大伴姓を賜っている例はそれなりに目立って見受けられます。前に私は黒川郡――現:宮城県黒川郡――の「靭(ゆげい)大伴氏」をはじめとする陸奥土着の大伴氏について興味を示しておりましたが、ここにきてその素性について “丸子系大伴氏”を無視できなくなっております。なにしろ古代の黒川郡と牡鹿郡は、ほぼ隣接する位置関係にあるのです。

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