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東北地方から日本史を眺めていきます。

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牡鹿の中枢はいずこ

 『続日本紀』の天平宝字四(760)年正月の条に「陸奥国牡鹿郡では、大河(北上川)をまたぎ、高くけわしい峰を越えて、桃生柵をつくり、賊の急所である地点を奪った――宇治谷孟さん全現代語訳『続日本紀(講談社)』――」とあります。
 これは、現在の宮城県石巻市桃生(ものう)を舞台にした記事なのでしょうが、これによって桃生が蝦夷の巣窟であり、かつ牡鹿(おしか)郡の管轄下にあったことがわかります。古代、石巻市エリアはすっぽりと牡鹿郡に含まれていたようです。
 宮城県民が「牡鹿」と聞くと、通常「牡鹿半島」のあたりをイメージしてしまうのですが、古代はそれよりもずっと広く、少なくとも現在の石巻市――平成の大合併以前:石巻市、河北町、雄勝町、河南町、桃生町、北上町、牡鹿町――に、お隣の東松島市――同:矢本町、鳴瀬町――までを含んだエリアと考える必要があります。
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 牡鹿郡は、陸奥国大国造「牡鹿連(おしかのむらじ)――道嶋(みちしま)――嶋足(しまたり)」の本拠地であり直轄領でもありましたから、言いかえれば多賀城に次ぐ陸奥国の“準国府”所在地的なエリアであったと言ってもいいでしょう。となれば気になるのはその政治施設の具体的な所在地です。
 前述のとおり、桃生柵は牡鹿郡自体が膨張した果てに生まれたものであり、したがって現在痕跡を確認できる桃生城政庁は比較的新しいものと言えるので、それよりも手前――以南――のエリアに更に古い政治施設があったものと考えるのが自然です。
 『矢本町史』によれば、諸氏の論考により候補がいくつかあるのですが、一つの有力な候補として、地元で「鰐山(わにやま)」と呼ばれている石巻市中心部の丘陵があります。現在そのような地名は見受けられませんが、当該地周辺を散歩すると「鰐山親交会」という町内会の名称にその名残を確認できます。この鰐山がいわゆる和邇(わに)氏と関係があったのかどうかはわかりませんが、この地を支配していた牡鹿連――道嶋氏――の素性が「丸子(わにこ)氏」すなわち和邇氏の部民と思われる以上、私は「関係があった」と考えます。
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 しかし鰐山丘陵と呼べる範囲は、JR仙石線石巻駅前に立つと正面に目に飛び込んでくる羽黒山から、はたまた北上川河口の目印になる日和山に至るまでの広範に渡るもので、ピンポイントな位置については異論があります。
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石巻駅前から羽黒山を望む
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羽黒山から日和山方面を望む
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北上川の中州から日和山を望む

 『矢本町史』は、『石巻市史』や『稲井町史』が主張する「牡鹿柵鰐山丘陵説」に対し、丘陵上に城柵あるいは官衙的施設の遺跡がみられないことを挙げながら「丸子(わにこ)氏という牡鹿郡の有力豪族の群(ぐん)居が柵の構築に関係したとするもので、類推による地名考証にとどまっており、具体的な論証はしていない」と牽制しております。
 ここでミソなのは、これが『矢本町史』であることです。矢本町とは先に触れた現在の東松島市に含まれるのですが、当然同町史の立場からすれば矢本町内にその中心的役割を担ったものを比定したい、という思惑はあることでしょう。
 しかし、それを差し引いても同町史が強気になれるだけの根拠があります。『矢本町史』は次のように語ります。

――引用――
昭和四十六年には耕作者によって「舎人(とねり)」とへら書きした高台付杯が発見され、郡司関係の遺構のあった可能性が強まってきた。舎人については別節でふれるように、地方の郡司階層に結び付くものであり、郡司一族の居住地はまた郡衙に近接する場合が多いようなので、郡司居館跡が推定される星場遺跡付近に、牡鹿郡衙と附属官衙施設の存在が考えられてくるわけである。
〜中略〜
 西南方の松島丘陵には矢本耕土に東面して矢本横穴古墳群がある。土器や武具、装身具を豊富に副葬し、「大舎人」墨書土器などを出土しているところをみると、牡鹿郡でもトップクラスの郡司階級の墳墓群がそこにあった可能性が大きい。星場遺跡出土の「舎人」との密接な関連性が考えられる。
〜中略〜
律令牡鹿郡の郡衙所在地はおそらく郡域の変更があった時期にも、まず星場を移動することはなかったであろう。
 矢本の地は、奈良時代初頭ごろから平安時代中期ごろまでにかけて、一環して律令牡鹿郡の中心だったわけである

 この他にも、『石巻の歴史』には「春(日部)」の文字が見えるヘラ書き須恵器が矢本の赤井遺跡から発見されているという記事があります。和邇氏が春日ブランドを用いていたことは前に触れたとおりですが、これも見逃せません。
 したがって現在では、東松島市エリアが牡鹿郡の中枢であったとするのは最も主流の考え方と言ってもよろしいでしょう。
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 一方で『全訂・年表による 石巻の歴史(ヤマト屋書店)』の千葉賢一さんは「何百年もの間牡鹿柵が同じ場所にあったのかどうかは、これからの調査によってはっきりするでしょう」としており、たしかに今後に注目したいところです。何故なら私としては、考古学的成果のそれはそれとして、“鰐山”という呼称が伝え残されていた以上、『矢本町史』がやや否定気味に語る「類推による地名考証」という思考法を、「安易に切り捨てるべきではない」と考えているからです。
「地名は立派な遺跡である」
というのが私の持論です。

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なるほど…こうした考証の一コマが「稲バウアー」だったのですね♪

「鰐山」一帯はかなり回りました。が,めぼしいものは発見できずにいます。
で…破壊された年月を追ってみましたが,分かりませんでした(調べきってないのかもしれませんが,記録がないんです)。

8世紀の河川流路を想像すると…鰐山?と思えます。
おんちゃんなら…やっぱり矢本の滝山丘陵にしますねぇ。。。それに,不思議な祠が点々と遺されてます。

2010/7/15(木) 午後 9:44 おんちゃん

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おんちゃんさん、ありがとうございます。

稲バウアー、わかっていただけましたか(笑)!
滝山丘陵・・・たしかにプンプン匂いますね。

何かで見た記憶がありますが、そもそもこのあたりは半分入江だったのでしょうか。だとすれば大塩の地名にも名残を感じます。

2010/7/15(木) 午後 10:43 今野政明

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8世紀は,寒冷期に入ってますので,海岸線は今より後退してたと思われます。野蒜の猿田彦神社や七ヶ浜の鼻節神社の謂れから,海岸線を想像(妄想)できるかと。。。

もうひとつは広渕沼とそこからの流路です。。
広渕沼の「人魚伝説」は江戸時代のものと思われますが,それ以前の不思議があったはずで,それが天変地異なのか古い記憶なのか。。。
どちらにしても,遺されている神域を繋いでいくという手法をとりたいと思います。
貴兄の記事が頼りです。これからもよろしくお願いします。

2010/7/17(土) 午前 0:36 おんちゃん

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おんちゃんさん、ありがとうございます。

なるほど、8世紀はそのような時期ですね。

一方でこんな話もあります。
仙台市宮城野区小鶴在住の昭和ヒトケタ生れのご婦人曰く、子供の頃、津波が来るといって燕沢の丘陵地に批難訓練をしていたそうです。多賀城を壊滅させた貞観大地震津波の言い伝えでしょうか、それにしても昭和の現代(?)に、かつ“小鶴で”ですよ!
まあ、川を遡るボア現象なのでしょうが、かつてはかなり内陸まで簡単に海があふれてきていたことを想像させられております。
広淵沼の人魚伝説・・・。人魚がよく言われるように海獣類のことだとすればそのような妄想も更に膨らみますね。
おもしろいお話を教えていただきました、ありがとうございます。

2010/7/17(土) 午前 5:50 今野政明

はじめまして、偶然、このブログを見つけ、興味深く拝見させてもらいました。
私は、鰐山の上にある石巻高校の出身ですが、鰐山丘陵の略である「鰐陵」(がくりょう)という言葉が石高では、よく使われています。(鰐陵魂とか、鰐陵会館など)

校章は葛西氏の家紋の三つ柏です。

話は変わりますが、鰐山(日和山)から北上川を挟んで向こう岸に牧山があります。

ここは、かつて魔鬼一族と呼ばれた豪族がいたから「まき山」と名前がついています。

この魔鬼一族を退治したのが、坂上田村麻呂で、牧山には、坂上田村麻呂の名が刻まれてある石碑があり、この事は、石巻市の全小学校の副教材になっている『石巻の歴史』にも書かれています。

田村麻呂の父の苅田麻呂と丸子嶋足が同年代(高橋克己さんの本程度の知識ですが…)だとすれば、北上川を挟んでいるとは言え、魔鬼と呼ばれた豪族の本拠地の目と鼻の先に牡鹿郡の中心地を置かないのではないか?

とふと思いました。
(石巻市出身、在住なので、鰐山が牡鹿郡の中心地になっていたと信じたい…)

日本史の知識のほとんどない者の戯れ言ですみませんm(_ _)m

2010/7/30(金) 午前 5:19 [ ts_*ab* ]

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ts*ab*さん、ありがとうございます。

牧山について触れた記事もありますので、よろしければご覧になってみていただければ幸いです。

書庫「亀の風土記:宮城県」
『宮城県石巻市――奥州三観音:牧山(まぎやま)』
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/23593999.html

牧山についてはもう一段思うところがあり、近いうちにあらためて触れるつもりですので、ぜひおつきあいください。

私見では、牡鹿郡の中心は何度か移転したのではないかと考えているので、鰐山もあいかわらず有力候補だとは思っておりますよ。
このいかにもな地名はやはり見過ごせません(笑)。

今後ともよろしくお願い致します。

2010/7/30(金) 午前 5:39 今野政明

こちらこそ、よろしくお願い致します。

早速、牧山の記事を拝見させてもらいました。

『伊治の魔鬼』非常に興味深いです。

今まで、石巻の地名の由来は、住吉公園の雄島の近くにある『巻石』と呼ばれる岩から石巻と名付けられたと、よく聞いたりしてましたが、実際、その岩を見ても「何でこんな物が地名になるの!?」とか「逆さに読む理由は!?」とか昔から違和感ばかりでした。

『伊治の魔鬼』が由来と言われた方がよっぽど説得力があり、地元民としてある種の感動さえ覚えました。

2010/7/31(土) 午前 5:13 [ ts_*ab* ]

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ts*ab*さん、早速お読みいただき、ありがとうございます。

巻石で思い出しましたが、そういえば昔石巻のことをロックンロールとかローリングストーンズなどと英訳しませんでしたか(笑)?

それはともかく、マギについて、なまっていたものが頑なにそのままの発音で云々と書きましたが、栗原について考えているうちに、やや異なる解釈が頭の中で有力になってきております。大筋はそう変わりませんが、近いうちに記事で触れようと思います。

2010/7/31(土) 午前 6:11 今野政明

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