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今朝の『河北新報』朝刊を見て、一気に目が覚めました。 なんと「応神天皇陵」の前方部に巨大土壇があったそうではないですか。とにかく、ニュースが旬の内に備忘録も兼ねてあわてて記事にしておく次第です。 『東京新聞』のサイトに掲載されていた当該記事をそのままコピーさせていただきますので、ご覧ください。 ――引用―― 「応神陵」前方部に土壇 血縁者埋葬か、異例の構造 日本で二番目に大きく宮内庁が応神天皇陵に指定している前方後円墳、誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市、五世紀前半)の前方部頂上に巨大な方形の土壇があることが十九日、二〇〇八年に墳丘を立ち入り調査した研究者らの証言で分かった。 通常は古墳の主を葬る後円部上にあり、聖域を示す結界や祭壇との説が有力。“埋葬施設の目印”ともいわれ、同古墳では後円部の天皇だけでなく、前方部にも血縁者ら重要人物を埋葬した可能性が高いとみられる。 日本考古学協会などは二十四日、同庁の許可を得て内壕(ないごう)の土手を調査するが、墳丘本体への立ち入りは認められていない。 関係者によると、宮内庁陵墓管理委員会(考古学者ら八人)が〇八年秋、整備計画検討のため専門家として初めて墳丘内を立ち入り調査。 内容は非公表だが、委員の河上邦彦神戸山手大教授(考古学)によると、前方部の先端寄りに土を盛って築いた壇があった。保存状態は極めて良く、未盗掘の可能性もあるという。後円部には神社の施設が置かれた時期があり、土壇の有無などは確認できなかった。 共同通信社の依頼で、産業技術総合研究所の寒川旭招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)が、明治−大正時代に旧宮内省が作成した測量図を解析。底面の一辺約四十メートル、上面の一辺二十メートル以上、高さ約八メートルと推算した。 同様の方形壇は邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)の後継者・壱与(いよ)(台与(とよ)とも)の墓説もある西殿塚古墳(奈良県)や、銅鏡八十一枚が出土した桜井茶臼山古墳(同県)などにあるが、今回が最大。最新の研究では、当時の古墳に複数の人を埋葬した場合、大半がきょうだいと判明している。 宮内庁は大型前方後円墳の大半を陵墓などに指定し調査を制限しており土壇の存在は墳丘の内部を考える重要な手掛かりとなる。 ◆天皇陵では異例 高橋克寿花園大教授(考古学)の話 方形の土壇は、結界や祖先の霊を降ろすための特別な囲い込みではないか。土壇の規模からみて、誉田御廟山古墳では前方部にも本格的な埋葬施設があった可能性が高い。前方部はもともと後円部に対する儀礼の場や参道と考えられており、天皇陵としては異例の構造だ。五世紀は外交、軍事面で優位に立った大和王権が全国統一に乗り出す「倭(わ)の五王」時代。天皇の力が強大になり、男系社会が成立する。前方部には皇位を継がなかった天皇の兄弟で、対になって活躍したような人物を葬ったのではないか。 記事タイトルを目にした瞬間、まず私の脳裏をかけめぐったのは、「これは神功皇后しかいないだろう」ということでした。
なにしろ、応神天皇と言えば母親である神功皇后を無視して考えるわけにはいきません。そしてこの母子をセットで祀る八幡信仰は、言わずもがな、我が国で最も絶対数の多い神社ネットワークの一つでもあるのです。 ところがどうでしょう。記事にはその方向への勘繰りが一切ありません。正直なところ、拍子抜けしております。タブーなのか、全く的外れなのか・・・。もちろん、私の寝起きの直感が議論のテーマとして成り立つためには、そもそもこの巨大古墳が本当に応神天皇陵である必要がありますが・・・。 さて、何故議論になり得ないのかを考えた場合に、しいてあげれるそのヒントがこの記事の中にありました。恥ずかしながら今朝初めて知ったのですが、「最新の研究では、当時の古墳に複数の人を埋葬した場合、大半がきょうだいと判明している」のだそうです。 その判明の顛末がわからないので、今のところ賛否を保留しておくしかありませんが、これはこれで面白い研究成果だと胸躍っております。 何故なら、その場合引用記事の末尾の花園大教授の高橋克寿さんの見解「前方部には皇位を継がなかった天皇の兄弟で対になって活躍したような人物を葬ったのではないか」に私も賛同したいからです。 言うまでも無く、そこに私がイメージしているのは、第一子の「祭祀天皇」と第二子の「いわゆる天皇」の兄弟です。 とりあえず、なんの精査もしていない私の寝起きのインスピレーション的記事につき、支離滅裂な部分を感じられても何卒ご容赦ください。 |
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神功皇后も同時に埋葬されたとすると本来の神功皇后の墳墓から移されたということになりますし、神功皇后のために作ったのが実は応神天皇陵ということにならば埋葬位置に違和感を感じますね。ともあれ2人が一緒に埋葬されてもおかしくない濃厚な関係を感じるのは私も同感です。
2011/3/2(水) 午後 7:06 [ いときん ]
いときんさん、ありがとうございます。
そのとおりですね。それを考えないで安直に思いつきで書きました。ただ、そもそも天皇陵の比定がどこまで信用できるものかについては相変わらず疑問を感じますし、神功皇后陵が『続日本紀』の記事ですでに誤りが指摘されていることも気になりますけどね。
2011/3/2(水) 午後 8:39