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こんにちは。 胸に沁み入ります。なんか「侘」とした物悲しげな感動がジーンと来ましたわ。
2011/4/2(土) 午後 3:37 [ aruru ]
yam**akita*e*oさん、ありがとうございます。 この志津川――南三陸町――という町は、石巻市や気仙沼市といった全国区の漁業都市からほどよく離れ、独自の圏域を形成していたそこそこ大きな町です。震災後の津波映像でもよく放映されていたので、きっと目に触れていらっしゃることと思います。あの映像を見る限り、一部の鉄筋コンクリート建造物以外は町全体がほぼ壊滅していたようでしたね・・・。 一昨日の『河北新報――仙台の地方紙――』朝刊に、津波被災地のビフォア&アフターの航空写真が掲載されていたのですが、八幡川防潮水門はまるで開き戸の蝶番よろしく一方だけが辛うじて本土とつながっている体でした。モアイ像や蒸気機関車はそのすぐ傍の公園にあったのですが・・・・・・。
2011/4/3(日) 午前 3:01
モアイの島に住んどります。6年前に志津川の彼にも逢いに行きました。 ワシも、彼がどうなったのか気になります…
2011/4/5(火) 午前 8:00 [ PAIHE?A ]
PAIHE〓Aさん、ありがとうございます。 イースター島にお住まいということですか?いろいろな意味で驚きました。このモアイ像の消息がわかり次第、この場、あるいはあらためて記事にするかしてお知らせしますね。
2011/4/5(火) 午前 9:42
モアイは津波で顔が取れました。 http://kirokueiga.seesaa.net/upload/detail/js/IMG_0802-thumbnail2.jpg.html
2011/4/18(月) 午前 1:04 [ ムチャリブレ ]
mucyalibre777さん、情報ありがとうございます。 それにしても・・・これは・・・。
2011/4/18(月) 午前 6:46
PAIHE〓Aさん、御覧になられましたでしょうか? むごいことになっております・・・。
2011/4/18(月) 午前 6:47
情報ありがとうございます。 痛々しいですね、2005年に撮った現地の写真と見比べて、愕然としています…
2011/4/18(月) 午後 1:02 [ PAIHE?A ]
コンドルも台座だけ残して消えてしまったようですね。 両者共、津波をきっかけにこの地に現れて、津波と共に去って行ってしまったのですね。 テレビや新聞の映像、画像で見る限り、志津川の市街地はほぼ消滅してしまっております。その中にあって、せめてもの痕跡が残っていることは幸いと呼ぶべきなのでしょうか。犠牲者の中には、このまま無縁仏となられてしまう方も少なくないと思われます。もし、このむごい痕跡が保存されるならば、そうした方の慰霊碑として、いえ、犠牲者全ての慰霊碑として、また、遺族の方が故人と対話する場所になっていって欲しいと思います。そして、この痛々しさが、復興を遂げた未来の三陸人、いえ、全国民への警鐘の役割を果たしてくれることと思います。 あらためまして、犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2011/4/18(月) 午後 3:46
今度損壊したモアイ像のかわりに、イースター島の石材を使用して造られた新しいモアイ像がチリから贈られるそうですね。 チリの皆様に感謝し、未来永劫大切にしたいものです。 私は長崎の人間ですが、いつの日か必ず、チリへの感謝の気持ちと宮城をはじめとする東北地方の平穏への祈り、そして犠牲者のご冥福をお祈りに参ります。
2012/8/22(水) 午前 1:15 [ ひさっぷ ]
ひさっぷさん、ありがとうございます。 新しいモアイ像の件は知りませんでした。それはありがたいお話ですね。 私は逆に長崎を訪ねたいと思っております。ハウステンボスには行ったことがあるのですが、それ以外はろくに散策しておりません。 たしか長崎には原爆資料館があるのですよね。 今般の原発事故で、国民全員が放射能の恐怖に他人事ではなくなった今、長崎や広島が原爆の悲劇とどう向き合い、どう立ち直っていったのかを学ぶ必要があると感じております。 20年以上前に広島の平和記念資料館には行ったことがあるのですが、そのときはまだどこか他人事でした。これからは我が事として真剣に受け止めていかなければならないと思っております。
2012/8/22(水) 午前 6:44
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こんにちは。
胸に沁み入ります。なんか「侘」とした物悲しげな感動がジーンと来ましたわ。
2011/4/2(土) 午後 3:37 [ aruru ]
yam**akita*e*oさん、ありがとうございます。
この志津川――南三陸町――という町は、石巻市や気仙沼市といった全国区の漁業都市からほどよく離れ、独自の圏域を形成していたそこそこ大きな町です。震災後の津波映像でもよく放映されていたので、きっと目に触れていらっしゃることと思います。あの映像を見る限り、一部の鉄筋コンクリート建造物以外は町全体がほぼ壊滅していたようでしたね・・・。
一昨日の『河北新報――仙台の地方紙――』朝刊に、津波被災地のビフォア&アフターの航空写真が掲載されていたのですが、八幡川防潮水門はまるで開き戸の蝶番よろしく一方だけが辛うじて本土とつながっている体でした。モアイ像や蒸気機関車はそのすぐ傍の公園にあったのですが・・・・・・。
2011/4/3(日) 午前 3:01
モアイの島に住んどります。6年前に志津川の彼にも逢いに行きました。
ワシも、彼がどうなったのか気になります…
2011/4/5(火) 午前 8:00 [ PAIHE?A ]
PAIHE〓Aさん、ありがとうございます。
イースター島にお住まいということですか?いろいろな意味で驚きました。このモアイ像の消息がわかり次第、この場、あるいはあらためて記事にするかしてお知らせしますね。
2011/4/5(火) 午前 9:42
モアイは津波で顔が取れました。
http://kirokueiga.seesaa.net/upload/detail/js/IMG_0802-thumbnail2.jpg.html
2011/4/18(月) 午前 1:04 [ ムチャリブレ ]
mucyalibre777さん、情報ありがとうございます。
それにしても・・・これは・・・。
2011/4/18(月) 午前 6:46
PAIHE〓Aさん、御覧になられましたでしょうか?
むごいことになっております・・・。
2011/4/18(月) 午前 6:47
情報ありがとうございます。
痛々しいですね、2005年に撮った現地の写真と見比べて、愕然としています…
2011/4/18(月) 午後 1:02 [ PAIHE?A ]
コンドルも台座だけ残して消えてしまったようですね。
両者共、津波をきっかけにこの地に現れて、津波と共に去って行ってしまったのですね。
テレビや新聞の映像、画像で見る限り、志津川の市街地はほぼ消滅してしまっております。その中にあって、せめてもの痕跡が残っていることは幸いと呼ぶべきなのでしょうか。犠牲者の中には、このまま無縁仏となられてしまう方も少なくないと思われます。もし、このむごい痕跡が保存されるならば、そうした方の慰霊碑として、いえ、犠牲者全ての慰霊碑として、また、遺族の方が故人と対話する場所になっていって欲しいと思います。そして、この痛々しさが、復興を遂げた未来の三陸人、いえ、全国民への警鐘の役割を果たしてくれることと思います。
あらためまして、犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2011/4/18(月) 午後 3:46
今度損壊したモアイ像のかわりに、イースター島の石材を使用して造られた新しいモアイ像がチリから贈られるそうですね。
チリの皆様に感謝し、未来永劫大切にしたいものです。
私は長崎の人間ですが、いつの日か必ず、チリへの感謝の気持ちと宮城をはじめとする東北地方の平穏への祈り、そして犠牲者のご冥福をお祈りに参ります。
2012/8/22(水) 午前 1:15 [ ひさっぷ ]
ひさっぷさん、ありがとうございます。
新しいモアイ像の件は知りませんでした。それはありがたいお話ですね。
私は逆に長崎を訪ねたいと思っております。ハウステンボスには行ったことがあるのですが、それ以外はろくに散策しておりません。
たしか長崎には原爆資料館があるのですよね。
今般の原発事故で、国民全員が放射能の恐怖に他人事ではなくなった今、長崎や広島が原爆の悲劇とどう向き合い、どう立ち直っていったのかを学ぶ必要があると感じております。
20年以上前に広島の平和記念資料館には行ったことがあるのですが、そのときはまだどこか他人事でした。これからは我が事として真剣に受け止めていかなければならないと思っております。
2012/8/22(水) 午前 6:44