はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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 鹽竈神社の右宮一禰宜を担っていた新太夫家小野氏が同社に関わり始めた時期は、比較的容易に絞り込めます。鹽竈神社の元宮司である古川左京さんが編纂した『鹽竈神社史』所収「書上」の春日家系譜を六代目まで簡略に列記すると次のようになります。

 先祖 小野朝臣有季
 ニ代 小野朝臣忠季
 三代 小野朝臣成季
 四代 當職 季次
 五代 眞道
 六代 守眞

 まず、四代「季次」のところに「當職」とあるので、この人物の時から右宮一禰宜として鹽竈神社に関わったことがわかります。
 また、六代「守眞」について、次のような補記がなされております。

「右守眞儀、文治二年 宮内太夫源朝臣御花押之文書、守眞源藤禰宜之事と、被相載候」

 つまり、「宮内太夫源朝臣」の花押が押された文治二(1186)年付文書に「守眞源藤禰宜之事」とあるのは六代「守眞」のことである、と書いてあります。これにより文治二(1186)年における右宮一禰宜は六代「守眞」であったことがわかります。
 文治二(1186)年といえば、その前年の文治元(1185)年に壇ノ浦で平家が滅び、平家、源氏、奥州藤原氏による束の間の三強鼎立が崩れた時代、奥州藤原氏は三代秀衡の時代です。
 実際、秀衡の公文所が「竹城保司」に宛てた文治二(1186)年付けの下文も残っており、内容としては、松島の「高城」の「保」と思しき「竹城保」からの祭料徴収権らしきものを「守眞」すなわち右宮一禰宜に与えることを示しているようです。
 鹽竈神社と奥州藤原氏の関係としては、文治三(1187)年に和泉三郎忠衡が寄進した「文治の鐡燈」が今尚境内に残っており、その崇敬の厚さを窺い知ることも出来るのですが、この竹城保に関する下文を見る限り、少なくとも文治二(1186)年には、国府のお膝元である鹽竈神社にも、奥州藤原氏のだいぶ踏み込んだ管掌権が及んでいたことがわかります。
イメージ 1
イメージ 2

 小野氏として初めて鹽竈神社に関わったと考えられる四代「季次」は、その「守眞」のニ代前ですので、仮に全て直系父子で継承されていれば奥州藤原氏初代「清衡」の世代に相当すると考えられます。
 もちろん、新太夫家以外・以前にも小野氏が多賀国府周辺において繁栄していたと想像するに難くありません。なにしろ、歴代の「陸奥守(むつのかみ)」だけでも、弘仁二(811)年には「小野岑守(みねもり)」、承和九(842)年には「小野篁(たかむら)」、同十三(846)年には「小野興道(おきみち)」の名が挙がります。
 先に触れた利府森郷の「春日神社」も、承和十(843)年に陸奥按察使「藤原富士麻呂」が勧請したとは伝わっておりますが、その旧鎮座地名が「小野田」であったことを鑑みると、むしろ小野岑守あるいは小野篁に縁深いものと思われますし、少なくともその底地は元々小野氏の管掌下にあったと捉えざるを得ません。
 小野氏が鹽竈神社に関わった事情として、先の古川左京さんは、「蓋し右宮一禰宜が何等かの事情にて断絶せしにより此の氏代わりて新大夫となりしものなるべし」としております。世代推測を重ねてまとめるならば、奥州藤原氏登場に前後して、旧来の右宮一禰宜が断絶し、代わりに小野氏が“當職”についたと考えられるわけです。
 断絶したと思われる旧来の右宮一禰宜は何者であったのでしょうか。また、何故その記録がないのでしょうか。
 古川さんは、「鹽竈大神=六所明神」説(≒総社説)を掲げており、社家を確認出来る史料上で左右両宮に各々一禰宜から三禰宜の合わせて六禰宜が存在していたことはその名残であるとされておりました。したがって、小野氏の前任者が居て然るべきという発想は、古川さんにとって崩すことの出来ない、いわば信念にも似た“前提条件”になります。
 しかし「六所明神は比較的新しいもの」と考える私は、その前提に縛られる必要がありません。したがって、むしろ、小野氏が関わるまでは右宮そのものがなかったのではないか、とさえ考えるのです。
 あくまで想像に過ぎませんが、鹽竈神社は、古来安太夫家が単独で祭祀していたものが、「前九年の役」による安倍氏滅亡の煽りを受けて、一族断絶に近い状態に陥り、祭祀も一時衰微してしまったのではないか、と考えるのです。安太夫家が、もし安倍貞任系譜と近しい関係にあったならば、十分考えられる事です。
 つまり、新太夫家は、安太夫家が機能不全に陥ってしまったことを重く受け止められたが故に、あらためて中央あるいは国府から派遣されたものであったのではないか、と考えているのです。
 安太夫家の古記録は、『鹽竈神社史』所収の阿倍家系譜略に「拙者家ニも古記文等所持仕候申之處、慶安年中焼失仕候由申傳候」とあって、その喪失時期は慶安年中(1648〜1652)、すなわち仙台二代藩主伊達忠宗の頃で、原因は一応「焼失」であるとされております。しかし、私は先の理由によって、実際には前九年の役の戦後まもない頃に既に大部が喪失していたのではないか、と想像するのです。
 その後、安倍氏の意識を継承する奥州藤原氏が最高権力者になったことは、安太夫家にとっても追い風になったと思われ、中央からの小野氏の派遣に際して自分達が鹽竈神社創建以来の禰宜であることを主張し、それがある程度受け入れられたが故に左宮一禰宜として命脈を保つことが出来たのではないでしょうか。
 実際に安太夫家は、『日本總國風土記』に「推古ニ年七月、始奉圭田神事被相行、神家巫戸等有之候由」とあるのは自分達の事であるとして、「上古ヨリ拙者先祖も其節ヨリ奉祠仕候事ト奉存候」と、“創立当時からの禰宜”であることを主張しております。※ただし同風土記は『鹽竈神社史料』の「偽書と認むるもの」に名を連ねております。
 いずれこのことは、新太夫家にとっては大なり小なりコンプレックスになっていたのではないでしょうか。実質の権勢として優位であったとはいえ、“祭祀”という特に伝統の本質が求められる分野におけるこの如何ともしがたい事実は、誠であろうとする新太夫家の良心に引っかかっていたのではないかと思うのです。
 したがって、ワニ系と思しき鼻節神社が「鼻節明神こそ鹽竈大神」と主張しているのは、実際の権勢はともかく鹽竈祭祀の伝統的部分で安太夫家に譲らざるを得ない新太夫家に、ワニつながりの鼻節神社が、ある種の阿(おもね)りをも兼ねて迎合そして便乗し、ワニ氏族としては遠い昔から陸奥国に根付いて良民に貢献してきたことを主張してみたものではないのでしょうか。
 そもそも鹽竈神社に阿倍氏が関わることになったのは、「長髄彦の墓がそこにある」という伝承が相当古くからあったからではないか、と想像しております。少なくとも安倍氏は長髄彦一族の系譜を自称していたわけですから、その縁で朝廷から鹽竈祭祀に任ぜられたものと想像するのです。なにしろ日本史上最大級の怨霊候補であり、その鎮魂を担うのはやはり血縁者が一番でしょう。
 あるいは、もし伝承ではなく事実としてこの地に「長髄彦」の墓があったのであれば、朝廷から派遣されるまでもなく、安倍氏は自ずからこの地で供養し続けていたに違いありません。

 ここで私の脳裏に警笛を鳴らすのは、安倍氏は消滅したワニ氏本宗家そのものではないか、という私自らの論です。
 ただ、そこに踏み込むと、そもそもの私の想像に更に想像を上塗りし続けることとなり、その厚さがだいぶ増してしまうので、本稿は一旦締めて、別稿を割いてそのあたりのことを気ままに語ってみたいと思います。

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鹽竈神社と小野氏との関わりを興味深く読ませて頂きました。又、奥州藤原氏との時代背景等も俄か歴史探究者の私には分かり易かったです。
しかし小野篁は多賀城に派遣されなかった!?竹駒神社も???と司馬遼太郎の「街道をゆく」で読みましたが・・・
でも、とても参考になりました。ありがとうございます(_ _)

2012/11/6(火) 午前 5:52 M.ROSSO

ロッソさん、ありがとうございます(携帯からなので、いつもの顔文字が・・・(T_T))

そうですね、篁に限らず、「守」は現地に来てないと考えておく方が自然かもしれませんね。原則「遥任」でしょうし。
ただ、京にいながらでも、現地の果実だけは間違いなく得ていたでしょうから、小野田という地名の所は、小野氏の荘園的性格が強かったでしょうし、春日神社の勧進時期からみても、篁ら、小野氏に上納されるべくして農作業が為されていたように思えております。
したがって、そこで祀られている春日神社も、藤原氏の氏神というより、和邇氏の氏神としての性格の方が色濃く感じられると思った次第でございます。

2012/11/6(火) 午前 7:25 今野政明


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