はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

花淵家のこと

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 阿川沼の畔に鎮座する「諏訪神社」―。
 この神社が阿川沼と密接であろうことは察するに難くありませんが、とりあえず『宮城懸神社名鑑(宮城県神社庁)』を引くと、「創祀年月不詳。古く菖蒲田浜の村鎮守として尊崇されてきた〜」とのことで、祭神は「建御名方神」と至極妥当なところでありました。
 『七ヶ浜町誌』にも祭神は「建御名方富命(たけみなかたとみのみこと。大国主命の第二子)」とあり、次のような説明が記されてありました。

―引用―
 阿川沼にのぞむ丘の上で、老松古杉生い茂り、神気襟に迫るものがあったが、惜しむらくは最近樹木は伐採された。
 古い昔は狩猟神として、武家時代には武神として信仰されている。祭日には神輿渡御・相撲の奉納を例とし、以前は近郷近在から力自慢の若者が集まり、飛び入り相撲もあって大いに賑わったが、今日ではその事もなく、奉納相撲さえ中止することがあるようである。

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 町誌は昭和四十二年の発行でありますが、その時点で既に「神気襟に迫る樹木」が伐採されていたとのことで、残念な気がしております。

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 それでも、半世紀の時がそれなりの神々しさを取り戻しているようにも見えました。

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 「古い昔は狩猟神として〜」という部分からすると、本来は蝦夷の神であったのか、などと思わされますが、相撲については国譲りの際の建御名方富命に因むのか、あるいは同じ出雲系の野見宿禰(のみのすくね)に由来するものなのか、いずれ信州の諏訪大社などでもみられる特徴なので、素直に諏訪神が祀られているものと信じてもよさそうです。
 しかし、古くは創祀年月どころか、祭神も詳らかではなかったようです。
 『封内風土記』の記すところは相変わらずの「不詳何時勧請」であり、それを受けてのことでしょう、かつての『七ヶ浜村誌』所載の『宮城郡塩釜村支村菖蒲田浜村誌』にも、「祭神詳らかならず」とあります。
 もちろん、社名が「諏訪神社」なのだから、祭神が「建御名方富(たけみなかたとみ)命」ということになんら疑問を挟む余地もないのかもしれません。
 しかし、同じ宮城郡の西方、「愛子(あやし)―現:仙台市青葉区上愛子―」に鎮座する國分荘三十三ヶ村総鎮守の「諏訪神社」の例を鑑みると、もう一段深読みしておいてもよさそうな気もしてくるのです。
 愛子の諏訪神社は、現在でこそ「建御名方命」を祭神に掲げておりますが―宮城県神社庁HP―、昭和三年発行の『宮城郡誌』においては「白幡大神(中宮)黒鳩大神(左宮)禰度大神(右宮)住吉大神」の四柱が祭神であり、いわゆる「諏訪神」たる「タケミナカタトミ」や「ヤサカトメ」の名がありませんでした。
 これは何を意味するのか―。
 宮城県神社庁のホームページによれば、元々、延暦年中に氏子一統山神として崇め奉られたものが、「源頼朝」の奥州征伐戦勝祈願の報賽の為に「伊沢四郎家景―留守家の祖―」によって社殿を建立され、その際に諏訪社と改称されたとのことです。
 ということは、元々祀られた神々にいわゆる諏訪神が含まれていなかったことも考えられますから、祭神にタケミナカタトミやヤサカトメの名が見えなくてもある意味当然といえば当然なのかもしれません。
 しかし、諏訪社と改称されてから700年あまりも経た昭和三年に至って、尚、諏訪神が祭神とされていない、というのはやや異質な感じもします。
 それに対する私なりの回答は以前触れました。
 おそらく愛子の諏訪神社は、本来「志波(しわ)神社」であったのではないのでしょうか。
 何故なら、志波神こそが往古より陸奥國分荘の産土神であっただろうと考えられるからです。
 仙臺藩祖「伊達政宗」は、木ノ下―仙台市若林区―の陸奥國分寺境内にある「白山神社」を仙台の総産土神と定めたわけですが、この白山神社は、陸奥國分寺の創建以前から勧請されていたと伝えられており、何を隠そう、往昔は志波彦神社であったとも言われているのです。
 そういった事情を鑑み、愛子の諏訪神社も志波神社であったのではなかろうか、と思い至ったわけです。
 特に、右宮の「禰度大神」は、「ねわたり」と訓むのか「みわたり」と訓むのか、いずれ「ニワタリ大神」のことと思われます。
 國分氏の氏神と伝わる「仁和多利(にわたり)大権現」が変質した「二柱神社―仙台市泉区―」には、かつて境内社として「志波彦神の冠伝説」の「石留神社」が祀られておりました。
 また、本来は志波彦神社であったと言われる木ノ下白山神社は、國分氏の氏神と言われておりました。
 「國分氏の氏神」というキーワードを通して、志波彦神とニワタリ神は重なり合います。
 ある方は、「そもそも志波神社自体が、諏訪神社の訛ったものではなかろうか」、と言っておりましたが、東北人の私の感覚として、「し」が「す」に訛ることはあっても、「す」が「し」に訛るというのはなじめません。
 仮に、今後結局は志波神と諏訪神が同じ神を指すという結論に達したとしても、諏訪が訛って志波になったとする理屈とは別問題です。
 むしろ、特に宮城県内の「諏訪神社」については、ひとまず「志波神社」が訛って「諏訪神社」に変質した可能性こそを疑ってもいいのでは、というのが私の考えです。
 極論を言わせてもらうなら、私は古代の陸奥国になんらかの形でインドの「シヴァ神」が入りこみ、それが当地の産土神と習合し、「志波(しば)神」と当て字され崇敬されてきたのではなかろうかと勘繰っております。
 以前に語った記憶もありますが、一部のニワタリ神の由来の中に、“古代天竺(てんじく)云々”といったものが見受けられたことからの着想です。
 その勘繰りが妥当であった場合、仮に当地の元々の産土神が諏訪神であったのだとしても、志波の名の由来はあくまで「シヴァ」であり、「諏訪(すわ)」ではないと思うのです。
 もしかしたら、そもそも出雲の竜蛇信仰自体にシヴァ神が習合していた可能性もありますが、話が広がりすぎるのでやめておきます。
 何はともあれ、いずれの神も「蛇」と密接です。
 そして、いみじくも、阿川沼の主は大蛇でありました。

 ひとつ重要なことに触れておきます。

 阿川沼の畔の諏訪神社は、花淵氏が義理堅き報恩の大蛇を祀ったところとも伝えられているようです。

 花淵氏と鼻節神社を考えるうえで、かなり重視すべき伝説と私は思います。

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