はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

はてノ鹽竈夜話:暇話

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青葉城の夜に想ふ

 先日、夜の青葉城―仙臺城―を訪れる機会がありました。
 夜に訪れるのは初めてでしたが、藩祖伊達政宗公の騎馬像がライトアップされており、驚きました。
 地震被害からの復旧を終えた石垣がライトアップされている風景は日常的に目にしておりましたが、本丸内部の騎馬像まで照らされていたとは知りませんでした。夏休み期間限定のささやかなイベントなのでしょうか・・・。
 そういえば、付近の「八木山動物公園」については、三日間限定ながら夜の動物の様子を見られるようにする旨の記事が、先日の『河北新報』に掲載されておりました。
 その誌上で見たキリンとシマウマのライトアップ写真は実に幻想的で、おそらくその絵に魅せられた方も少なくないことでしょう。
 案の定、当日は大勢の家族連れやアベックが入口に行列を成しておりました。
 ありていに申しまして、出来れば私もこの目で観ておきとうございました。

 一方、私が訪れた青葉城は静かなものでした。

 ライトアップされた政宗公の後ろ姿などは、そこはかとなく哀愁が漂います。
イメージ 1

 その背中に、同じく我が仙台の偉大なる詩人「土井晩翠」作詞の名曲、『荒城の月』の情景が重なります。

 〽春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝わけいでし むかしの光今いづこ
 
 なんて素晴らしい詩でしょう。「滝廉太郎」の切ないメロディもまたいい・・・。
 芸術についてド素人の私が言うのもなんですが、いつの日かこの歌をテーマにじっくりと時間をかけて一枚の絵を描いてみたいと思うのです。
 この歌は時の移り変わりの描写が肝だろうと感じておりますが、いざその表現となると、思い浮かびません。
 結局、単純に二枚の絵が必要かもしれない、などと考えております。
 一枚は、大広間で盃を交わしながら談笑する武将たちのシルエットで、もう一枚は同じ構図ながらそこに武将の姿はなく、無造作に置かれた盃が松の枝の間をぬって差し込む月の光に照らされて影を落としている絵です。モノトーンを原則として、水墨画の技能があったならば、それで左右一双の屏風を拵えたいくらいです。

 荒城の月と言えば、30年ほど前までは、仙台駅前の「丸光百貨店」の屋上において、10時、12時、15時、17時にこの曲のサイレンが鳴り、市内のほぼ全域に響き渡っておりました。まさに仙台市民の郷愁に響く音の風景でありました。厳密には、サイレンそのものは21時にも流れておりましたが、何故かその回だけは『この道』が流れておりました。理由についてはわかりません。

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 ところで、暗闇に目が慣れてくると、仙台市街の夜景を眺めている仲睦まじいアベックの姿もちらほらと我が網膜に映りこみ、今ここは自分の居場所ではないことに気づくのでした。
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 それはともかく、久しぶりに青葉城を訪れて、ここに「白水稲荷大神」が祀られていることを思い出しました。
 現地の説明板にも記されておりますが、この神様は政宗が青葉城を築く以前からの屋敷神のようです。

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 『台原のあゆみ(台原地区町内会連合会)』所載の三原良吉さんによる「白水稲荷神社縁起考」によれば、仙台市青葉区台原の同名「白水稲荷神社」は、青葉城のそれが遷されたものと伝わっているようですが、なにしろ、以前取り上げたように、台原の同名社は「小萩物語」の一つの震源地でもありました。
 念のため補足しておきますと、「小萩物語」とは、奥州藤原三代秀衡の三男「和泉三郎忠衡」の遺児にまつわる伝説です。この伝説は、以前触れたように大きく二系統に分類されることが藤原相之助の論稿から推察し得ます。
 すなわち、加美郡の「清水寺」の文書に書き残されたものと、今触れた仙台市青葉区台原の「白水稲荷」の別当によってにじり書きされたメモによって知られるものとがあるのです。
 特に後者は、福島県いわき市の「白水阿弥陀堂」に由来する「徳尼(とくに)御前」の伝説が混濁したものと思われます。
 徳尼御前は、奥州藤原初代清衡、あるいは二代基衡の娘と言われており、嫁ぎ先の夫岩城何某の亡き後、その菩提を弔うために故郷平泉の金色堂を模した白水阿弥陀堂を建立した人物と伝えられております。
 奥州藤原氏の滅亡後、徳尼御前の縁故を引く白水阿弥陀堂の尼らの一部は八乙女尼ヶ澤―現:仙台市泉区南光台天ヶ沢地区―に落ち延びてきたらしいのですが、この地を選んだ理由は、この地が奥州藤原三代秀衡の右腕「信夫荘司佐藤基治」に縁ある地であったからと思われます。彼女たちは小萩物語に添えて滅ぼされた平泉の恨み節を語り継いでいったのでしょう。
 いずれ、前九年の役の際、石城の勢力が安倍氏に加担していたこと、そして白水阿弥陀堂にみられるように岩城氏が奥州藤原氏の娘を娶っていることなどを鑑みるならば、陸奥全域における石城勢力の存在感が侮れないものであったことは間違いありません。
 少なくとも五世紀から六世紀の仙台平野においては、石城(いわき)―現:福島県いわき市周辺―の人々が大きく関わっていたらしいと考えているわけですが、青葉城や台原の白水稲荷信仰の成立自体がそれを示唆するものかもしれない、とあらためて思うのでした。

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