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ここ最近、折からの運動不足に加えて歴史探索が減ってきていることもあって、如実に体重が増加しております。 これまでの人生ではじめてBMIの計算上いわゆる「肥満」の域に達していることに気づいたわけですが、青少年期には必死に体重増加をはかってもなかなか太れなかった私が、まさかこうも簡単に体重が増えていくとは夢にも思いませんでした。 なにより、数値上の問題もさることながら、疲れやすさや腰痛も無視できなくなってきているので、さすがに意識して歩くことにしました。 さて、どこを歩こうか・・・。 すぐに浮かんだのは、七北田川(ななきたがわ)―冠川(かむりがわ)―の堤防でした。私の歴史探索の原点ともいえる岩切から福室にかけての七北田川、その堤防に沿って整備された遊歩道の景色には心身ともに癒されます。 七北田川というキーワードが思い浮かんだ時、ふと、いにしえの冠川の流路でもある多賀城市八幡(やはた)の砂押川沿いの遊歩道を歩いてみるのも良いかもしれない、と閃きました。 結局多賀城に向かうことにした私は、途中「多賀城跡あやめまつり」のノボリに目を奪われました。 これまで数えきれないほど多賀城を訪れている私ですので、路傍のあやめ園が例年のこの時期に華やかに彩られている風景も、とりあえず通りすがりには眺めておりました。 せっかくだからこの機会に立ち寄ってみよう――。 というわけで、生まれて初めて旬のあやめ園をゆっくり歩くことにしました。 梅雨時の花、というと、私は真っ先に紫陽花が頭に浮かぶのですが、かつて、飛び込み営業やポスティングをしていた頃、鬱々とした長雨に傘をさせども濡れそぼちつつ、チラシだけは濡らすまいと憂鬱な思いをひきずりながら歩き続けた私にとって、民家の庭先に咲く鮮やかな紫陽花はせめてもの癒しでした。曇天の薄暗い風景にひときわ輝いてみえたのは、多分に私の心理状態によるところが大きかったのでしょうが、心なしか、あやめの青紫にもそれに通ずる感覚を覚えました。 天候にもそこそこ恵まれたこの日、あやめを撮影していて思ったことは、単にこの花を美しく撮りたいと思うのなら、むしろ雨露がしたたる鬱々とした曇天の方が向いていたのかもしれない、ということでした。 しかしそういう日であったならおそらく外出する気にもならなかったわけで、私はこの場を歩いてはいなかったことでしょう。なんとも皮肉なものです。 あやめ園を後にして、JR仙石線の多賀城駅前に立ってみた私は、その変貌ぶりに驚きました。 この地に自分の足で立ったのはいつ以来でしょうか。七ヶ浜町方面への路線バスが出ているこの駅前ですが、30年ほど前に同町に住まわれていた大学教授を訪れた時以来であると思います。 仙石線の立体交差化に伴う周辺街区の区画整理や、もしかしたら東日本大震災での被災も関係したのでしょうか、かつての田舎じみたものからは一変して、だいぶ都会的な雰囲気になっておりました。 多賀城政庁をイメージしたものと思しき駅舎もなかなか洒落ております。 駅前広場に建てられてモニュメントは、多賀城碑の覆屋(おおいや)をモチーフとしているものらしく、多賀城市内を襲った津波の最大の高さ6メートルに合わせてあるようです。 かつて多賀城を壊滅させた貞観の大津波は、冠川を遡上した海嘯であったと思われますが、先の東日本大震災においてもやはりこの川を遡った海嘯が多賀城市内を呑み込みました。
いにしえの冠川たる砂押川沿いを歩いていると、どうしてもそのことを考えてしまうわけですが、同時に、奈良期における国内三大都市の一角を支えていたのもこの川であったのだ、と感慨深くなってくるのでありました。 |
冠川紀行
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