はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

冠川紀行

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 関東甲信越地方では梅雨が明けたと発表されました。
 仙台はこれからが梅雨本番だと聞きますが、ここのところは夏のような暑い日が続いております。
 散歩に目覚めた私は、炎天下対策にコンビニエンスストアで購入した帽子をかぶり、JR東北線の国府多賀城駅に立っておりました。

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 現在は仙台市宮城野区蒲生に注ぐ七北田川(ななきたがわ)―冠川(かむりがわ)―ですが、江戸時代に流路を変えられるまでは多賀城市新田付近から左に折れて東流し、下流については多賀城市八幡(やはた)から七ヶ浜町湊浜に注ぐ、ほぼ現在の砂押川の流路であったのだといいます。
 しかし、砂押川に至るまでの流路についてはやや混乱が見受けられます。
 例えば、先に拙記事「冠川の甲羅干し現場」に引用した『仙台市史』所載の図において、「通史編2古代中世」のそれと「通史編3近世1」のそれとでは齟齬があります。
 すなわち、前者は冠川稲荷より下流側、後者は上流側において現在の七北田川流路と別れております。

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『仙台市史通史編2古代中世』所載の図

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『仙台市史通史編3近世1』所載の図

 なにかスッキリしないままでいた私は、『多賀城市史』所載の「多賀城市付近の地形区分」の図に着目しました。

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 NHKの『ブラタモリ』の中で、タモリさんは時折「土地が記憶している」旨の発言を繰り出されますが、「けだし名言」だと思います。いみじくも、自然堤防の展開をみればおおよそは推測できそうです。
 加えて、もうひとつ私が注目したのは「袋」という地名です。おそらくそのあたりに水の滞留するスポットがあったのでしょう。付随して流路の蛇行も推察されます。
 それらを鑑み、私が想定した流路はこうです。

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 まず、新田浄水場あたりから現存する用水堀のルートとなり、それが岩切駅から南下してくる道筋と接するあたりから市民農園付近を並行する用水堀にシフトし、自然堤防の隙間をぬって山王小学校方面に流れていたのではないでしょうか。
 その後、現在田園地帯となっている自然堤防に囲まれた後背湿地に解放されると、やや暴れ川気味に東流し、対岸の自然堤防の隙間をぬって砂押川に抜け出ていたのではないでしょうか。

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 あやめまつりの駐車場に車を置いた私は、国府多賀城駅から岩切駅までを鉄路で移動し、そこから自らの想定に基づいて歩き始めました。

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震災が生んだ奇跡のハイブリッド気動車には乗り損ねました。

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新田浄水場と水神碑
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堰と用水堀への取水口
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用水堀のある風景
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山王小学校と田園地帯
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三陸自動車道と仙台臨海鉄道と砂押川
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 開発された一面の水田地帯にあって、さすがに自然堤防の起伏を五感で体感することは出来ませんでしたが、国府多賀城駅まで戻ってきた私のスマホの万歩計は久しぶりに10,000歩を超えておりました。
 本来の目的が「歩くこと」でありますので、ここは満足しておくべきでしょう。

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