はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

志波彦神社と冠川伝説

[ リスト ]

国幣中社 志波彦神社

イメージ 1

イメージ 2

 宮城県塩竈市に鎮座する「志波彦(しわひこ)神社」の祭神は「志波彦大神」だといいます。
 この神は記紀には登場しません。それどころか私自身現時点で陸奥国以外では見かけたことがありません。陸奥のオリジナルな神様なのでしょうか。もしかしたら蝦夷の神様なのでしょうか。
 先に述べたようにその志波彦(しわひこ)神社が現在地(塩釜市一森山)に鎮座したのは比較的新しく、明治七(一八七四)年十二月五日のことです。元々は仙台市宮城野区岩切にありました。また、一説には岩切とは別な驚くべき場所に鎮座していたことも『仙台叢書』などの史料から確認できておりますが、ここでは深入りせずにおきます。
 志波彦神社が鹽竈神社境内地に遷座された理由は、中世以来衰微していたこの神社が明治四年に国幣中社に指定されたことと、その境内として岩切が甚だ狭隘であったためのようでございます。また、明治四年のこの時の御祭文に鹽竈神社境内に新宮御造営なる旨が奏上されたといいます。これを受け、さしあたり鹽竈神社別宮に遷されましたが、その後一向に造営の気配がなかったようで、いよいよ大正時代に入り大正十一(一九二二)年、当時の山下宮司が政府に陳情したのですが、翌年の関東大震災復興を理由にとりあげられませんでした。そして昭和九(一九三四)年、山下宮司の次代にあたる古川左京宮司の強訴によって実に奏上から六十年の時を経て着手に至り、昭和十三(一九三八)年にようやく単独の社殿を持つに至りました。それが現在の社殿でございます。
 ところで、この古川宮司の強訴のエピソードはなかなか面白いので、志波彦神社・鹽竈神社の公式ホームページから引用させていただきます。

――引用――
 志波彦神社の遷座は明治天皇の思し召しによるものと言われておりますが、時の政府に社殿造営の陳情に行った古川左京宮司は、陳情者が列を為す中、「天下の一大事である。直ぐに取り次ぐべし」として乗り込み、勢いに圧された係官が取り次ぐと、担当大臣は「天下の一大事とは何事」と問いただした。そこで古川宮司は「明治帝の思し召しでもある志波彦神社の社殿造営を何時まで放置しているのか」とはなした。すると大臣は「天下の一大事と言うから何事かと思えばその様なことか」と答じた。そこで古川宮司「神様の事と明治帝の御意志をおいてこれに勝る一大事があるか」と一喝。漸く政府は重い腰を上げたという逸話が残っている。

 これらのエピソードや、急ぎ鹽竈神社別宮に遷座させられたところからみますと、もしかしたら無冠の大社である鹽竈神社を、然るべき位置に認定させるための詭弁として志波彦神社、つまりかつての名神大社を事実上合祀したのでは?などと勘繰ってしまいます。実際に志波彦神社の鹽竈別宮への遷座と同時に鹽竈神社も国幣中社に列せられることとなりました。太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」制定の明治四(一八七一)年に列せられた志波彦神社に遅れること三年、明治七(一八七四)年のことです。
 それにしても、私はここに幕末で賊軍となった仙台藩の明治時代の立場を垣間見てしまいます。
 『延喜式』において名神大社は全国で二二四社あったといいますが、そのうち陸奥国には十五社もありました。大和国の二十六社は別格としても、それに次ぐ山城国の十六に匹敵する数です。その名神大社王国ともいえそうな陸奥国最高の格付けの神社が、近代の制ではせいぜい国幣中社だという。国幣中社の格付けは、官幣大社を最高として、国幣大社、官幣中社の下にあたりますので、随分と割り引かれたものです。

.

ブログバナー

検索 検索
今野政明
今野政明
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事