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よく「邪馬台国(やまたいこく)はどこにあったのか」的な論争を見受けます。細部はともかく、大枠としては九州説と畿内説が双璧を為しているようです。私自身は九州説を有力視いたしますが、ただ、基本的に邪馬台国がそのまま今の日本の原型だとは考えておりません。 乱暴に言えば、邪馬台国は日本に幾つか存在した有力な古代国家のひとつではないのかな、という考えです。したがって、最近ちょくちょく見かける関東説についてもまた然りです。仮に関東になにかしら有力な存在があったとしても、それが仮に強力な国家の体を為していたとしても、とても邪馬台国だとは考えられないのです。少なくとも、女王卑弥呼が率いたり、あるいは中国(魏)に朝貢して金印を賜った国家ではないと思うのです。 予め申しあげておきますが、私は「万世一系の天皇制」というものは、グローバル化する時代のなかで特に日本国民のイデオロギーとして必要であると思いますし、尊重もしております。もし日本人が国土を失ってしまった場合、ユダヤ人の如く自らを「日本人」と言えるとするならば、やはりそのあたりが重要になってくると思うからです。私自身が大和民族の末裔なのか蝦夷の末裔なのか渡来系の末裔なのか、正直なところわかりませんが(古代に比べ圧倒的に混血が進んでいるはずの現代にそれを論ずることも不毛なことですが)、今は少なくとも日本人です。しかし、少しでも歴史の真実に近づこうとするとき、それに縛られてはいけないとも考えております。私が真実に近づいているかどうかは今のところわかりませんが(永遠にわからないかもしれませんが)、とにかくいかなるイデオロギーにも囚われず、思うままに考えてみたいと思うのです。 話は戻りますが、そもそも日本という国家の形成過程は、特定の有力氏族(天皇家)があたかも戦国時代の織田信長や豊臣秀吉の如く一気に日本の統一を果たしていったものではないだろうと考えております。少なくとも、初期のヤマト政権が有力氏族の連合国家の体を為していただろうことは、ほぼ定説となりつつあります。それが、左翼的存在を認め得ないレベルの専制君主的な要素を帯びてくるのは、おそらく人皇21代の雄略天皇の頃あたりからではないでしょうか。 ヤマトの連合政権の中枢を固めていた有力氏族らも、当然各々の歴史や文化を抱えていたはずでしょうが、いよいよ日本書紀が編纂される頃にはおおかた天皇家の過去として一つの歴史にまとめられてしまったことでしょう。日本書紀には、「一書に曰く」や、人物や神様の記述において「又の名を」として大量な名称を掲げるケースがよく出てきます。天皇家一系の歴史にまとめあげてしまう過程で、あまりにつじつまが合わない場合にはそのように補足して曖昧にしていたのではないでしょうか。特に現在の国家の形成に影響を与えた 他の氏族の“栄光の歴史”については、尚更主人公の影が薄められてしまったのではないでしょうか。 国内最古級の古墳とされる福島県会津板下町「杵ガ森古墳」 さて、東北地方にはそれらヤマトの連合国家を形づくる有力氏族たちが、何度かにわたって波状的に進出してきたようです。そう考えないと理解できないことが多すぎるように思います。そのことを抜きに、単に朝廷の進出という捉え方で物事を見ていると大きな落とし穴に陥るものと思われます。
より先に進出した氏族は、後に進出してくる氏族に比べ土着の度合いも強く、後者から見れば前者はほとんどエミシと共に野蛮人に見えたのかもしれませんし、あるいは、案外東北地方に出自を持つ有力な氏族も存在したかもしれません。 そんな波状的な進出展開の中で、例えば白鳥信仰を持つ氏族と鷹信仰を持つ氏族が姻戚関係として結ばれたこともあったのでしょう。私は、イザナギ・イザナミの一対神を祀る多賀神社などは、その名残ではないだろうかと思っております。 もしかしたら、もともと鷹族の聖地だったところに白鳥族の神を合わせ祀った、あるいはその逆に白鳥族の聖地だったところに鷹族の神を合わせ祀ったことがきっかけだったのではないでしょうか。 |
白鳥と鷹
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