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宮城県栗原市瀬峰の武烈天皇伝承地が集中する場所には「王屋敷」「王他界」「三代」など、伝承に関連すると思われる地名はいくつかございますが、武烈天皇の御陵伝承がある「王壇」も、天皇が船をつないだとされる「ゆるぎの松」も、おおよそその一帯の中に納まっております。
そのエリアには地域の氏神的に二つの神社がありました。 ひとつは「飯綱神社」、そしてもうひとつが、実は「白鳥神社」でした。 瀬峰の武烈天皇の情報を探していた私は、図書館において『瀬峰町神社誌(瀬峰町氏子総代連合会)』というものに手を伸ばし、フィールドワーク中に偶然出くわしていたものとは異なったものの、同じ表記の「白鳥(しろとり)神社」を見つけました。 由緒によれば、戦国大名「葛西(かさい)氏」の元家臣「白鳥外記元任」という人が開祖とのことです。慶長年代(1600年代)主家の葛西氏が没落してしまい、路頭に迷った白鳥氏はこの地に帰農し、そのときからこの「白鳥大明神」を祀り始めたようです。 残念ながら武烈天皇との直接の因果は確認できませんでしたが、どうやらこの白鳥家は、大正10年刊の村誌にも家系図が載せられているほどの名家のようで、瀬峰に居住してからも十四代、時にして370年(昭和56年当時)を数えるのです。そして驚いたのは、安倍氏の末裔であり、瀬峰に居住する前は「前沢白鳥累」が本領だったということです。「白鳥累」とは、つまり安倍頼時の八男“白鳥八郎”安部則任(行任?)の本拠です。 そうです。白鳥八郎(安倍氏)の末裔のようなのです。 そういえば開祖の名前を見ると「元任」でした。安倍貞任・宗任・則任・行任ら、安倍兄弟のトレードマークとも言うべき“任”の一文字が入っているではないですか。 ところで、この「白鳥(しろとり)神社」はかつてNHKの『新日本紀行』でも取り上げられたことがあるそうで、そのときに“白鳥大明神の御神像”が映し出されたそうです。その姿が驚きなのです。なんと、“白鳥の羽の上に立つ、彩色も鮮やかな姫神像”なのです。 なんという示唆に富むご神像なのでしょう・・・。 さて、このご神像が語る意味合いを、仮に大高山神社HPにあった白鳥伝説というフィルターにかけるならば、この瀬峰の白鳥神社のご神像は、「姫」と「白鳥族の高貴な人物」との絆を、見事に表現していると言えるのではないでしょうか。 神社誌によれば、この白鳥神社の鎮座地の地名は「富桃生田(とみものうだ)」とのことです。 もし、地名研究の鈴木市郎さんが言うように「桃生」がモノノフ、モノノベの変遷であれば、ひょっとしたら「富」は安倍氏が自らの始祖と掲げる「アビ」の弟「トミノナガスネヒコ」やその妹で「ニギハヤヒ(物部氏の祖といわれる神)」の妻「トミヤビメ」の“トミ”につながるかもしれず、白鳥信仰の物部氏と安倍氏とのつながりを示唆しているようで興味深いものとなりそうです。 ちなみに、いずれあらためて述べようとは思っておりますが、一説に「蛇龍族」とされるナガスネヒコを、私は「鷹族」ではないかと疑っております。 |
白鳥と鷹
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この白鳥大明神の現在の土地の所有者です。
(つまり白鳥一族です)
たまたま見つけて驚きました。他のページもあとでゆっくり拝見したいと思います。「ちゃんと掃除しないといけないな」と反省しました。
2010/6/6(日) 午後 0:53 [ 元白鳥 ]
元白鳥さん、ありがとうございます。
奥六郡安部氏の末裔様でいらっしゃるのですね。
コメントを賜り、大変光栄に感じております。私が記事にしたばかりに、妙なプレッシャー(?)を与えてしまったようで、大変恐縮しております(笑)。
個人的な感覚ですが、そちらの白鳥大明神様は、1000年もの気の遠くなるような時間の流れを、万難の歴史を乗り越えて現代に伝えられてきた大変神聖なものと感じております。現在それを守っていらっしゃる元白鳥さん、そしてこれまでそれを守り抜いてこられたご先祖様に、心から敬服の念を抱いております。
2010/6/6(日) 午後 7:06
お返事ありがとうございました!
しろとりさま(と、通常呼んでおります)は、大本家の経済状態が悪かったときに我が家に所有権(?)が移ったらしく、現在、大本家の別家の別家にあたる我が家で管理しています。私の家は江戸末期か明治初期あたりに破産寸前になったそうで、その際白鳥姓を捨てて当時羽振りのよかった近隣の名字をもらったのだとか。で、白鳥一族にもかかわらず別姓となっております。
そんな一族の経済状態に翻弄されているしろとりさまですが、我が家も後継者が心配な感じですし(とりあえず私が生きている間はともかく私の子が家に残るとも限らず)、一族を見渡して見ても、後継者がいない家だらけで、100年後大丈夫か、かなり心配な状況ではあります。
なんとか粗末にせずに、後生に伝えていかねば!と、気持ちを新たにしました。ありがとうございました。
2010/6/7(月) 午前 11:37 [ 元白鳥 ]
元白鳥さん、ありがとうございます。
切実なご事情をご開示いただき、恐縮な思いです。
私の想いごときは、歴史に生きる方々のそれに比べれば所詮現代人の好奇心の域を出るものではないと思いますが、もし拙ブログが貴重な歴史遺産継承に少しでもお力添えになったのであれば、これに勝る喜びはありません。
2010/6/7(月) 午後 7:23
今野さん、元白鳥さん、
はじめまして。
私は東京に住む、白鳥です。
わたしの、曽祖父の言い伝えでは、白鳥十郎を先祖に持ち、青森の方に本家があり、青森で銀行を経営したが、経営難となり、東京へ出て役所で働いた、と言っておりました。その長兄は青森の信用金庫を経営していたそうです。
青森の白鳥氏は、元白鳥さまの祖先とは関係はないのでしょうか。
それは別として、
白鳥の神社が末長く愛されることを願っております。
2016/6/4(土) 午後 1:29 [ mm1*9*22882**0 ]
mm1*9*22882**0さん、ありがとうございます。
白鳥といえば安部頼時公の八男ゆえに八郎というイメージでしたが、十郎を名乗られていた方もいらっしゃったのですね。
もしかしたら、則任公あるいは行任公に始まる白鳥八郎の後裔がそのように名乗られていたのかもしれませんね。
2016/6/4(土) 午後 10:01
はじめまして、私は岩手県二戸市に住む主婦です。二渡神社という小さな祠が市役所の近くにあり、それを調べたくてこのブログにたどり着きました。由来は南部の鷹匠が近江の坂本から持ってきた神社とのこと。ただ下には白鳥川、すぐ側の九戸城には昔、安部一族の白鳥三郎高任が住み、兄貞任が没落の後、山中に逃げ込み追い詰められ、捕らわれたので山の名を押詰岳という、とあるらしいです。こんな話は各所にあるのでしょうか?
2016/6/8(水) 午後 2:37 [ ともこ ]
ともこさん、ありがとうございます。
貞任公の弟で三郎といえば、鳥海三郎宗任公だと思いますので、おそらく世代が混乱して伝わっているものと思われます。
貞任公の裔を自称する藤崎氏関係の系図には、逃げた貞任の子高星の次に安東太郎堯恒があり、続いて高任の名が見えます。ただし、この人物は常陸国云々となっており、その次の光任から白鳥城を領したとも伝わっているようで、その次から代々白鳥太郎の名が継承されているようです。
一方で太田亮さんの『姓氏家系大辞典』に次のような記述があります。
二戸郡福岡城は、始め貞任の族、白鳥三郎高任・築くと云ふ。
福岡城は言わずもがな九戸城のことですが、ともこさんのおっしゃるところは、この伝説と同根のものなのでしょうね。
2016/6/8(水) 午後 4:29
丁寧なご回答ありがとうございます。生まれ育った土地ながら知らないことばかりです。、
また、お詫びしなければならないことがあります。二渡神社と書いたのは二渡(ふたわたり)八幡宮でした。鷹匠の坂本氏が先祖がでた近江の国津の坂本から分神したもので一時白鳥の坂本住吉神社に預けて社殿を新たにして二度この地に移したためこの名がついたのだそうです。ただ、すぐ下で合流する馬渕川は毎年白鳥が渡来する川で川向うに石切所荷渡の地名あり、奇遇だと思います。
2016/6/9(木) 午後 1:09 [ ともこ ]
ともこさん、ありがとうございます。
二戸には知り合いもおり、九戸城周辺もだいぶ前に二度ほど散策しておりますが、なにしろ興味が九戸一揆にあり、また、当時さほどに神社の由緒を調べようとまでは思っていなかったので、二渡神には気づいてませんでした。
いただいた情報をみて思ったことは、まず、そんな北にもニワタリ祭祀があったのだな、ということと、近江云々は八幡神としての由緒なのだろうな、ということです。
その二渡神は、おそらく南部一族が当地に入る前から存在していたのだと思います。
八幡神化したのは南部一族が源氏であるからではないでしょうか。
ニワタリ祭祀は、牡鹿郡や安積郡など、特に丸子氏の勢力地に多く見られますので、私は丸子氏に関係する祭祀とみております。
もしかしたら、そのあたりに丸子氏に関係する勢力がいたのかもしれませんね。
2016/6/9(木) 午後 3:12
はじめまして
留萌鰊番屋末裔なのですが祖父は才蔵、その曽祖父も才蔵。その父が白鳥三蔵。
でも出身地がわかりません😔青森なのは確かなのですが、繋がりある方、出身地を知っている方いらっしゃいませんか?
2016/7/15(金) 午後 1:19 [ pabokun ]
pabokunさん、ありがとうございます。
白鳥氏についてそこまで深く追ってみたことはないので、いわゆる陸奥安倍系から派生したものかどうかもわかりませんが、もしそうだとしたならば、安東一族のようないわゆる水軍の裔などが北海道に流れて鰊漁で身を立てていたとしても自然な気はしますね。
2016/7/15(金) 午後 3:17