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宮城県柴田郡大河原町の大高山神社は、ヤマトタケルが東国征討の際、宮を建てて住居にされたことがあり、その後、第29代欽明天皇の皇子「橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)」がこの地を訪れたことに因み、橘豊日尊の子により白鳥明神すなわち大高山神社が祀られたとのことです。 さて、古代史に詳しい方なら既にお気づきかと思いますが、橘豊日尊とは後の「用明(ようめい)天皇」のことです。 大高山神社の由緒によれば、用明天皇の子、聖徳太子がこの地に白鳥明神を祀ったといいます。そこで気になってくるのは、前に引用した同神社HPの白鳥信仰に関するお話です。 少し振り返りますと、尊は東国巡幸の際、当地の赤坂長者の娘「玉倚姫(たまよりひめ)」と恋に落ち、姫は皇子を宿しました。姫は白鳥が胎内に入る夢を見たとのことでした。しかし尊は都に戻らなければならなくなりました。尊は三年後に迎えの使者を遣わすと約束したのですが、三年経ても一向にその気配はなく、姫は悲嘆にくれて病に倒れてしまいました。見かねた乳母は「あなたは神の化身だから、母の身代わりになって、父君を呼び戻してください」と祈り、皇子を川の中に投じました。すると不思議なことに皇子は白鳥となって大和に飛び立ちました。やがて、訃報が尊の耳に届き、姫のために立派な墓を建てて弔ったところ、日夜悲鳴していた白鳥が空に飛び上がり空中を旋回していたとのことでした。 白石市深谷付近の白石川 ここで、私はいくつか思うところがあります。 そもそも姫の名前が「玉倚姫(たまよりひめ)」というのは、なにか「賀茂(かも)信仰」とのからみをにおわせます。少しだけ解説的に述べますと、賀茂社総本社系の「下賀茂(しもかも)社」は、「賀茂建角身命(かもたけつみのみこと)」と、その娘「玉依姫(たまよりひめ)」の親子の両神を祀っております。前者(父親)については「八咫鳥(やたがらす)」と表現したほうが、特にサッカーファンにはなじみがあるのかもしれません。 どうやらにわかに“カモ”と“カラス”という鳥の名が現れますが、姫の名前が仮に賀茂信仰を意識してのネーミングであれば、そういったトーテムに踏み込まざるとも別次元で勘繰りたくなる要素も出て参ります。 話しを戻し、思うところを続けます。私は当初、姫の胎内に白鳥が入るという夢からは、高貴な白鳥族の“種”が地元の鷹族の姫に宿された話と受け止めていたのですが、そもそもこの地の白鳥信仰から考えると、むしろその逆と受けとめることも可能です。 日夜悲鳴していた白鳥が空を旋回していたということから想像するには、むしろ尊をうらめしく思っていた白鳥族の霊魂であるとも考えられるので、この物語は白鳥族の姫が高貴な鷹族の子を宿した話かもしれないとも思います。そして、生まれた子は用明天皇の子ということになるのでしょうから、明言はされていないものの、もしかしたら聖徳太子の出生の秘話であるかもしれないということ。 児捨川に捨てられた子が白鳥に変わって飛び立った場所、そこは深谷の鳥越という地域とのことでしたが、実はその地域の隣に「太子堂」という地名があります。『白石市史 3の(2)』の「地名の研究」の項には次のように書かれております。 ――引用―― 太子堂(たいしどう) 太子堂は小名太子原にありと『安永』に出ている。聖徳太子を祀る堂という(刈田郡誌)。 聖徳太子は「厩戸(うまやど)皇子」であり、日本書紀によればキリストよろしく馬小屋の出入口で生まれたことになっております。大高山神社が語る神話とは相容れなさそうでもありますが、もし、太子の出生が許されない恋の果てにあったということであれば、それもあり得るといったところでしょうか。
聖徳太子の出生秘話にまで関連づけるのは、少々飛びすぎですが、最後に一つだけ気になることを申しあげておきます。 谷川健一さんの著書『四天王寺の鷹(河出書房新社)』によれば、聖徳太子建立と伝えられる大阪市天王寺区にある「四天王寺」には、物部守屋の怨恨が悪禽となって来襲したとき、聖徳太子が「白い鷹」となって追い払ったという伝承があり、また、法隆寺に伝わる「聖皇曼荼羅図(しょうごうまんだらず)」にも聖徳太子を表していると思われる「白い鷹」が描かれているようです。 |
白鳥と鷹
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宮城県と聖徳太子の関わりとは凄いですね。
今、昔訪れたときに買った法隆寺から発行されたブックレットを
取り出して見ています。
2009/1/12(月) 午後 10:12 [ - ]
ルゴサさん、コメントありがとうございます。
法隆寺については耳年増ですので、いつか必ず訪れてみたいと思っております。
2009/1/13(火) 午前 6:29