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宮城県仙台市若林区木ノ下にある「陸奥国分寺(むつこくぶんじ)」ですが、その伽藍(がらん)の中心的存在「講堂(こうどう)」があったとされる場所には、現在「国分寺薬師堂(やくしどう)」があり、重要な正門「南大門(なんだいもん)」があったとされる場所には、薬師堂の「仁王門(におうもん)」があります。この仁王門は伊達政宗建立当時の姿で残っており、なかなかに趣(おもむき)があります。 伊達政宗が建立した薬師堂仁王門
薬師堂の本尊(ほんぞん)は当然「薬師如来(やくしにょらい)」です。それにしても何故国分寺に薬師如来なのでしょうか。国分寺はこれまでも述べてきたとおり「聖武(しょうむ)天皇」勅願(ちょくがん)であり、「東大寺(とうだいじ)」の直営支店(?)的存在でもあるので、本来、東大寺同様「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」――奈良仏教の一つ華厳宗(けごんしゅう)の教主――が本尊であるべきでしょう。東大寺が一時空海の影響下にあったとしても、それならばあくまで真言密教系の本尊となるべきで、特に薬師如来に変質するいわれはなさそうに思います。 しかし、政宗は薬師如来を本尊と定めております。いや、もしかしたら政宗は従前のものを踏襲したに過ぎないのかもしれませんが・・・。 いずれにしても、しいて思い当たるところで語るならば、それはおそらく薬師如来自体というよりも、薬師如来を本地とする「スクナヒコナ」という神様が重要なのだと思います。スクナヒコナは大国主がヤマトの国を開拓するときに“相棒”として活躍した神様とされます。政宗は、仙台開府にあたって少なくとも800年以上の昔からこの地の聖域となっていた国分寺を「城下開発の護持仏」とみなしたのでしょう。何故そういう想像が出来るかというと、薬師堂の東側にある「白山(はくさん)神社」について、政宗は城下の「総産土(そううぶすな)神」と定めているからです。 さて、産土とは文字どおり開拓を意味するもので、その開拓守護のリーダーとしてこの白山神社が定められたというわけですが、そうなると白山神社の歴史が気になるところです。 白山神社は「加賀(かが)国」(現在の石川県あたり)を中心として全国に浸透している「白山信仰」の神社ということになるわけですが、一応の祭神としてはシラヤマビメ(キクリヒメ)とイザナギ・イザナミということになります。 陸奥国分寺の寺域内にあるこの白山神社は、政宗のはるか以前より鎮座していたことは間違いないのですが、いつの頃から祀られているのかは詳らかでありません。一説には国分寺創建時には存在していたとも言われております。白山神社は、国分荘鎮守として崇敬されていたようで、少なくとも、政宗以前には国分氏が氏神としていたようでした。 陸奥国分寺は、源頼朝の平泉征伐の際に戦火にあって焼失しております。国分氏が国分荘(陸奥国分寺周辺)を拠点にした一族であったことは既に触れましたが、一応源頼朝からこの地を賜ったといわれる国分氏が、当時白山神社をどのように管理していたのかは定かではありません。ただ、天正年間に入り国分盛重が“氏神”として再興したらしいことはほぼわかっております。 さて、仁和多利大権現に続き、白山神も国分氏の氏神ということになってまいりました。しかし、国分氏の崇敬が篤かったと思われる神仏の出現はまだ更に続きます。 |
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