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牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考
[ aki**rek*si ]
2018/5/22(火) 午後 5:03
牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考
牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考
aki**rek*siさん、ありがとうございます。
藤塚説を否定したいことはよくわかりましたが、さすれば貴殿は結局これを如何なる碑であろうとお考えなのでしょうか?
恐縮ながら、それが全く見えてきません。
さしあたり私は以下の前提で論を進めてまいりました。
すなわち、「蒙古兵を供養する碑」説と「祖元の供養文の碑」説の両立は考え難い、とした上で、ただし「蒙古兵を供養する碑」という意味においては、ひょっとしたら“奥州であればこそあり得たのかもしれない”旨を拙稿「蒙古の碑」において述べ、その方向を前提として論じてきました。
とはいえ、記事化はしておりませんが「祖元の供養文の碑」についても、仮に、藤原相之助が小萩伝説考の一試論を展開する上で引用したところの『宮城郡誌』のとおり、「元前死」が平泉三代を指し、「後殞矣」が頼朝三世を指し、すなわちこれを「平泉関係の安養寺の碑」であったものと暫定するならば、なるほど可能性がなくもないかな、とは思っております。
牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考
[ aki**rek*si ]
2018/5/22(火) 午前 3:58
> aki**rek*siさん
時代が違う…と云ってしまえば済んでしまうのでしょうが、祖元は紙でもなく木片でない「石」に彫り付けた「慰霊文(?)」を一体誰に読ませようと建てたのでしょう?
慰霊の対象が襲って来た蒙古兵であることと、起草者が元僧祖元であること等を理由にお上を憚り僻地・陸奥の田舎に建てた…とする説にも承服できない。この碑文を読めない人々だらけの日本国で「鎌倉」であろうが「博多」であろうが憚る理由など有ろうハズも無い。まして「怨親平等」を念じた時宗の意を汲んだ祖元に依る建立である…とするならば、「お上」=鎌倉幕府=北条時宗ではありませんか 憚る理由が有りません。宮城の三碑は、この碑を除き読める碑文だそうですね 私はよめませんが・・・。
牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考
[ aki**rek*si ]
2018/5/22(火) 午前 3:35
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[ s18***** ]
2018/4/12(木) 午前 0:10
牧嶋観音堂―仙台市宮城野区―
國分荘史考



