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孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
亀の備忘録
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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[ tjj***** ]
2018/9/3(月) 午後 0:55
ただ阿蘇に移住した佐佐木氏が合志氏を名乗ったことを書きましたが、彼らは70000傑では百済王族鬼室氏の子孫として出てきます!
百済が敗れたあと鬼室氏は近江に移住し多分和邇氏や息長氏と同族になったあとの佐佐木氏と婚姻したようで!
今度は佐佐木氏の集団は百済に関係したためごちゃごちゃですね!
息長氏縁の科長の観音寺普賢寺は義淵が建立しましたが彼は父が市往氏(鬼室氏)で母は阿刀氏(石上神宮物部同族)です。ちなみに中興の良弁は染屋氏(漆部ー漆山)出身です。
また息長氏縁の喜連の庄屋は佐佐木氏ですが伝承をブログで読みましたが近江の佐佐木京極氏出身の先祖は戦争で負けて「普賢寺」に逃げたあと喜連に潜伏したそうで、息長氏縁の土地は同族となった佐佐木氏にも縁の土地のようです。
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[ tjj***** ]
2018/9/3(月) 午後 0:39
すみません出雲伝承や宇佐氏の伝承には詳しくなくいつもブログ主様から聞いて参考にさせて頂いています!
新羅に関してはまず秦韓→辰韓→新羅と新羅は秦氏が建国に関わっている認識があり
日本には弓月君の前から豊の国など秦氏の国があり秦韓経由で日本へ集団移住しているイメージがありました!
近江の秦氏は朴市秦氏を名乗り「愛智→朴市」と新羅朴氏に関わりあると考えています。
また佐佐木山公もカササギと関係し佐佐木山「韓袋」という名前からも新羅昔氏との関わりを考えています。
この佐佐木山公一族は天日矛の子孫田道守と婚姻し田道を名乗るものがいますし
天日矛と一緒に来た人が鏡に住んで陶芸金工をしていましたが彼らは自分たちを新羅出身と思っていたようです!
また継体天皇の時代に作られた鴨稲荷山古墳から新羅の金冠が出ています!和邇氏や継体母方息長氏に縁がある土地からです。
近江の伝承や墓から出たものは新羅とのつながりが濃厚なので天日矛は新羅からというのを考えていましたがどうでしょうか
…
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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ところで、いただいたコメントの文脈からは、市杵島姫が天日矛の子孫という前提のもとで展開されているように読み取れるのですが、その解釈で間違いないでしょうか?
だとすると、そもそも私にはその認識がありません。
もしかしたら、市杵島姫の父とされるスサノオを、“新羅の神である”とする前提の上に発展させた仮説なのでしょうか。
いずれ、私は、スサノオも新羅系ではないとみております。
ちなみに出雲神族と思しき斎木さんは、播磨の白国の新羅系の人たちを追い払った海部系の人たちによるスサノオと五十猛祭祀の広峯神社において、後に息長帯姫が大斎を行い、牛頭天王を祀り新羅国明神と尊称したことから両者の混同が始まった旨の伝説を語っております。
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[ tjj***** ]
2018/9/1(土) 午後 11:39
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[ tjj***** ]
2018/9/1(土) 午後 11:38
私も和邇と息長は全く別の氏族だと認識しております!
息長氏は楯原神社の祭神からわかるのがアカル姫と天日矛の子孫であり、その子供とされる市杵島姫の子孫である宇佐津彦から出た氏族だと思っています!
ただ一井氏も「市杵島姫」の「市」井氏のようで
市杵島姫の子孫が先祖に入って来ているという繋がりでは同族なのかもしれません。しかしご承知の通り氏族としては全く異なります。
和邇氏は王仁博士と結びつき中国王氏と言われていますし
そしてもっと古代には徐福の集団の来訪とも繋がっていて徐福集団が東北に鰐の痕跡を船で残していったと大雑把に捉えていました!
富士山と和邇氏また徐福の関係からの予測で過去に思ったことですが…
それはまた秦氏とも深く係わりユダヤ人と繫がる雀や牛を捧げる祭りが残っています!
和邇が近江で息長氏と婚姻などで繋がった理由は秦氏の取り持ちだと思っています!
和邇氏は九州でも秦氏との早くからの婚姻の結びつきが知られ
馬も秦氏の深草での仕事の一つで近江毛野も秦氏として馬に関係したと思っており秦氏がキーワードとなっています!
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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tjj*****さん、ありがとうございます。
正直なところ、私は和邇氏と息長氏を同系とはみておりません。
大雑把にいうならば、和邇氏については香語山系譜と出雲族との姻戚関係によって始まった系譜の流れとみており、これをしいて渡来氏族とみるならば、少なくとも新羅系ではなく中国系であろうと考えます。
それは、鰐が中国江南に棲息していることもありますが、なにより出雲神族が香語山の祖父火明を徐福の事と伝承していることは無視できません。
一方の息長氏については、私はやはりヒボコ系―新羅系―であるものとみております。
思うに、両氏族の混同は、主に和邇氏が史上最多の皇妃輩出氏族であったことと応神系譜が息長氏から輩出されたことに起因したものと考えております。
また、消滅した任那が新羅の領土になったことによって、任那から逃れてきた多くの渡来人が新羅系として括られたフシがあることも系譜混乱の一因とみております。
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[ tjj***** ]
2018/8/31(金) 午後 8:56
の馬飼と繋がるかもしれません。切れてすみません。
佐々木は外戚が紀氏ですが
上毛野君も紀氏と言われていますし
考元天皇→大彦→四代目タカハシワケと上毛野君タカハシは同一の人物と言われていたり
上毛野君田道も佐々木山公の子孫とされる筑紫の田道と同名で、天日矛のたじまと関係あるようで息長氏に繋がります。
近江では豊城入と大荒田彦を祀る大荒田比古神社は毛野氏の大野氏と近江の佐々木信綱の子孫が祀っています!
近江毛野君は和邇氏の日子座王の子孫安国造の女と武内宿禰の羽田八代の子孫です!
また剣根のブログ様の記事では近江毛野の墓の候補とされる山津照神社古墳は息長広姫父真手王の墓とされていますが鈴鏡が出て近江毛野臣が亡くなった対馬方向を向いているそうで毛野臣と息長氏の繋がりの深さも伺えます。
その毛野の上毛野君は馬牧を沢山持っていたようですが広姫の息子が眠る地片岡も馬の土地でした!
多珂の國をたずねて―茨城県北茨城市上小津田―
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