はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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返信: 1679件

[ tjj***** ]

2018/8/30(木) 午前 7:07

東北の遠野物語のブログに
阿蘇に帰った一井高宮氏「高宮山城守清房」の話が出てきますが(グーグルで「高宮清房」と検索すると遠野物語のブログがヒットします鹿島の鯰に関係した話になっています)。

遠野には菊池氏と佐々木氏が多いのですが阿蘇の菊池郡も菊池氏と佐々木氏が多いようで!佐々木四郎左衛門長綱が大友氏の裁許により下向し合志氏を名乗ったのと高宮氏も南北朝征西将軍に従って来て居住とあり菊池氏に仕えたようですが
九州移住には大友氏繋がりが大きいようですが阿蘇氏と並ぶ古族が「和仁氏」です。
高宮清房は阿蘇乙宮大明神(乙姫神社は八幡または阿蘇津姫でそこには佐々木神社に祀られている仁徳天皇もいます)を勧誘し男石乙姫神社を建てているようです!
男石は信州上田の真田氏発祥の地真田郷の「赤坂」という和邇氏に関係ある地名にある瀧宮神社の近く男石神社の名前で信州上田の馬と真田氏のブログ主様の記事を思い浮かべました!
九州に帰った高宮氏佐々木氏は馬に関係あるようで(阿蘇の佐々木氏縁の土地は馬肉処理に関係しているようです)

大和片岡の地も馬飼に関係して馬子や聖徳太子の厩戸の名前の由来は片岡で

今野政明

2018/8/28(火) 午後 10:33

tjj*****さん、ありがとうございます。

出雲神族と思しき斎木雲州さんによれば、神功皇后の母系は辰韓王家の血脈で、神功皇后は王家の断絶にともない建国された新羅に対し、武力も用いて王家の領有財産に対する我が子の相続権を認めさせたようです。
ところが、その子は七歳で夭折してしまい、正当性の担保喪失を悟られぬよう秘密裏に上毛野國造家の子を息長氏の養子として迎え、応神天皇として即位させたとのこと。
皇子が入れ替わっているという部分において宇佐家の伝承とも符合しているわけですが、斎木さんによれば、この譚は出雲神族がその時代に調べたものであり、ヒボコ系の神床家の伝承とも一致しているとのことです。
さすれば、真の応神天皇は上毛野國造家の血をひく子であったということになるわけですが、斎木さんによれば、そもそも毛野氏の始祖の母系が宇佐宮二之御殿に祀られる豊玉姫(ヒミコ)のようなので、あながち宇佐と関係なくもないということになるのでしょうか。
口伝のみなので学問的にはきっと受け入れられないことでしょうが、私は妥当性がある話とみております。

[ tjj***** ]

2018/8/28(火) 午後 8:15

います。(切れてしまいました!)
ただ宝賀さんが試案した息長氏系譜は宇佐津姫と神武天皇の間の子供ともされる御諸別命の伝承に関係して試案したのではと思いますが、
確か宇佐津彦が奥さん宇佐津姫を天皇に差し出して産まれたのが御諸別命でしたので、宇佐氏が宇佐津姫の婚家をよくは言わないかもしれませんね!
楯原神社の周りも建緒組命の兄弟たちの子孫ばかりでしたので宇佐氏とは距離があるような気がします!

また宇佐押人が真の応神天皇という説を教えて頂きましたが
和邇氏が「天足彦国【押人】命」から出自していますので
もしかしたら「宇佐押人」さんが和邇氏の祖先の一人だったのかもと思いました!
一井氏は阿蘇の菊池市周辺に帰っていますので阿蘇氏や紀氏菊池氏と何らかの繋がりがありそうですし、いいヒントを頂きありがとうございます!

[ tjj***** ]

2018/8/26(日) 午後 6:36

宝賀さんの息長氏試案系譜をみていただくと
宇佐津彦→八井耳玉命→数代→武国凝別命→建緒組命→「息長氏」へ続く系譜が載せられ
建緒組命の弟建御阿久良命→広川君→「漆島公」が出て
宇佐国造も宇佐津彦の孫稚屋彦命から「宇佐国造」が出ていますし(宇佐津姫と天種子命の子供ともされ彼らの子供から「中臣氏」が出ています?)
「宇治部氏」も建緒組命の兄速瓶玉命から四代目武凝人乃君から出ています。
アカル姫を祀る楯原神社の周辺には宗像三女市杵島姫の子とされる【宇佐津彦の子孫】の息長氏と宇治部氏(阿曾氏)と漆島氏や奥や奥野氏(大神に繫がる加茂氏に関係するか漆島同族奥氏か)が住んでいたと推測していました?

もとは隠岐の島にいた宗像氏が和邇に身ぐるみ剥がされ移住その先の一つが宇佐神宮の土地だったようですがその土地は元は和邇氏の土地だったようで!今度は和邇氏がやられ?しかし…【宗像氏や宇佐氏や阿田隼人】集団と対決していた和邇氏も阿田隼人と婚姻したのか?
三輪(大神氏)の阿田片隅命から和邇古や宗像氏が出たとされ櫟谷宗像社を辛島に関係する秦氏が祀ってますのできっと後には仲直りしたと思

今野政明

2018/8/26(日) 午後 0:05

tjj*****さん、ありがとうございます。

息長氏がウサギに関わるとみるのは、宇佐神宮三之御殿に息長一族の女傑たる神功皇后が祀られているからだとは思いますが、宇佐公康著『宇佐家伝承 古伝が語る古代史(木耳社)』によれば、大神比義の心眼に童子の姿で幻じて、「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗って出現した心霊は、応神天皇の神霊ではなく、神功皇后と武内宿禰との不義密通によって生まれ、四歳にして早世した誉田天皇と僭称する男児の亡霊であったのだそうです。
すなわち一之御殿に祀られている本当の応神天皇とは、神武天皇の皇孫で宇佐押人なる宇佐系の人物であり、三之御殿にはその母親の常世織姫が祀られているのだそうです。
真の応神天皇は神功皇后母子の陰謀を打ち砕いた存在のようです。
真偽のほどはともかく、宇佐家が息長氏の英傑を悪し様に伝えていることに私は注目しております。

[ tjj***** ]

2018/8/26(日) 午前 7:20

卜部と漆島&佐々木
楯原神社近くに息長氏と宇治氏とされるウサギ氏の阿蘇氏と漆島氏に関係する苗字があった話ですが

宇佐八幡の秦氏の辛島系譜では辛島の女禰宜が絶え(辛島本家はそこで断絶したのか)辛島同族とされるの漆島赤蜂が男性で初めて辛島系譜に入ってきました。
この漆島氏は宝賀さんの本では息長氏同族であり
どうも赤蜂は津島朝臣対馬氏の人だったようで津島朝臣といえば天児屋根命を祖とする卜部です。
ここで対馬氏を調べてわかったのが
佐々木神宮佐々木氏(一井高宮や建部や三上祝などの苗字を名乗った)が対馬氏を名乗っていたことです。
多分これが和邇氏の一井高宮氏が卜部系譜で高宮氏と出てくることになる理由だと推測されますが

ウサギとワニは昔は敵だったはずですがウサギに関わる息長氏とワニの和邇氏は同族と言われてしまっているので鹿島神宮も建借馬と大中臣氏は違う勢力ですがどこかで血縁関係はあったのかもしれませんね!

今野政明

2018/8/25(土) 午前 5:25

tjj*****さん、ありがとうございます。

系譜としてなんら矛盾がない、ということなのであれば、同族間で祭祀方針に乖離が生じたということでしょうね。

なにしろ、苗裔神側は陸奥國の行政機関と連携して国境の関まで閉鎖させて鹿島の宮司を門前払いしているのです。これは尋常ではありません。

また、この後の記事を読むに、鹿島側は式年遷宮の用材確保にも難儀していたようです。
すなわち、古来常陸國の那珂郡の山から伐採したものを用いていたらしいのですが、それがままならなくなっていたようで、一応は二百餘里という距離を問題視しているわけですが、前後の文脈からすると那珂郡の領主から拒まれていたフシがあります。
那珂郡、すなわち旧那珂國の國造の初祖が「建借間命」であったことは御承知のとおりです。

あるいは、もしかしたら苗裔神側の祭祀氏族はそもそも古来鹿島側の祭祀氏族とは別系譜であったのかもしれません。
折口信夫は本社の信仰が東へ移るとともに蕃人の神を「直に香島、香取の神の子分、子方と認める形に於て成立した」とみていたわけですが、それが正しいということなのかもしれませんね。

[ tjj***** ]

2018/8/24(金) 午後 9:47

ps忍坂彦人皇子の同母妹は「菟道皇女」でした!!

[ tjj***** ]

2018/8/24(金) 午後 9:28

息長氏の広姫(近江)の息子忍坂彦人皇子とされる墓がある【片岡】という名称が鹿島にあるのは大中臣氏というより建借馬に関係ある名称ではないでしょうか?
また多賀氏は近江ではヤマトタケルと関わる犬上君の子孫とされもう「ど真ん中」の息長氏一族ですし彼らが片岡に係わるのは特に違和感がないのですが…

中臣氏と天智天皇に関わる中原氏両方の系譜に載る西氏がいて多賀氏はその人たちと通婚で繋がったのでしょうか?

または近江の三上祝が母系で中臣氏と物部氏の首長に入っているので後から来た大中臣氏も片岡を名乗ったのか。

古代中世と時代により婚姻相手が代わり同じ一族でもさっぱりわからなくなります。土佐に移動した片岡氏も壬生姓や掃部姓を名乗っていたり、何らかの関係があるとは思うのですが。

[ tjj***** ]

2018/8/24(金) 午後 2:34

建借馬命の子孫は宇治部氏と言われてますが
私事ですが母方の苗字が変わっていて姓氏辞典で昔は漆島と書いたそうで(宇佐八幡の神官の苗字)
その母の苗字の人が一番集積して住んでいたのが喜連の楯原神社周辺でした。
そこには息長氏とされる北村氏や加茂氏に関係する苗字や【阿曽氏】が母の苗字以外にも取り巻くように住んでいました。
その阿曽氏を調べていたら
宇治部→宇治→阿曽氏を名乗っていて
宇佐氏に近い一族でしたが和邇氏出身の宇治天皇の御名代とされ物部氏でもありました。
和邇と物部は矢田皇女など二重系譜になっていている人がいてきっとはるか前の時代から隣同士に住んで横田物部など和邇下神社を一緒に祀り近い親戚関係だと思いますが宇治部氏も明らかに和邇や息長氏と関係がある人達じゃないかと!


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