はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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返信: 1679件

[ tjj***** ]

2018/8/17(金) 午後 9:54

天火明の伊福部氏に関わる息吹山→茨城の結城という地名は息吹に関わるそうなので、茨城までは天火明の勢力が来てたはずですがそこから北はカニ守氏を指標にするといいのかもしれませんね!

私は千葉に住んでますが、鍛冶に関係するアメノヒボコ天日矛に関わると私が勝手に予想している都賀という地名が稲毛にあります!近くに穴川という地名もあり穴師がいたのかなと思い調べたら千葉は砂鉄が取れるようで、稲毛周辺には古くからの住民に中臣藍連や膳の高橋一族や和邇の丸さん一族がいました!
千葉市の蘇我姫神社の神主は安東さんですし
鉄に関係した和邇氏+阿部+中臣と東北にも通じる組み合わせが見られました!
奈良→近江→尾張→関東→と地域の歴史をたどると東北の謎が色々解けるかもしれませんね!
千葉市には第六天神社があり第六天がある所は先住の物部氏と後から来た大伴氏が争った場所にあるとブログで読んだ記憶があり、千葉も古代は以外と面白い場所だったようです!

今野政明

2018/8/16(木) 午後 1:33

tjj*****さん、ありがとうございます。

赤埴氏にせよ、赤坂比古にせよ、おっしゃるとおり「赤」は土が金属を含んでいることの示唆なのでしょうね。

伊達騒動で有名な原田甲斐の妹は「上遠野掃部」なる仙台藩士に嫁いでおりますが、江戸時代の姓氏とはいえ「上遠野」と「掃部」の組み合わせは偶然の産物でもなさそうです。
この一族の起った福島県いわき市の上遠野地区には、「赤坂」や「鍛冶屋作(かじやさく)」といった字名が確認できます。

宮城県利府町の「赤沼」は、多賀城の屋根瓦に用いる土を採取したと伝わっておりますが、おそらくあえて赤土を用いることに意味があったのでしょう。
この付近には「がに沢」と呼ばれてたところがあり、大カニの伝説が残っております。

また、多賀城の瓦を焼いていたと思しき仙台市内の与兵衛沼窯跡の底地名は「蟹沢(かにさわ)」です。

あくまで私論ですが、これらの「蟹」は掃部(かにもり)に由来しているものとみております。

[ tjj***** ]

2018/8/15(水) 午後 9:19

赤埴氏のことは知らず勉強させて頂きました!
高尾張に残った尾張氏に近い一族がカニ守氏なんですね。
尾張氏といえば伊福部氏のことを思い浮かべますがやはり佐々木山公と通婚していたはずで、
伊福部といえば鉄
鉄といえば息吹山
物部氏の痕跡も色濃く残っています! 息吹山の近くにいた息長氏も物部と同族です!石上神宮の武器といい金属加工集団繋がりなんでしょうね!

今野政明

2018/8/2(木) 午後 0:54

tjj*****さん、ありがとうございます。

和邇氏のワニが埴(はに)の韻から派生した旨を説く志賀剛さんは、和邇一族の繁栄が土器生産とその交易に由来していた旨を論じておりました。
いみじくも類似する属性の氏族として、大和の宇陀郡に代々郡司家たる赤埴氏があり、三輪山に縁ある大神姓とされてはおりますが、赤埴五郎大夫安峰から数えて五代目の久安と六代則安が掃部何某を名乗っております。
掃守氏との通婚があったものか、あるいはそもそも同族であったものか、とりわけ掃守氏は振魂命四世孫の天忍人命の後裔、すなわち天香語山の系譜に連なることは念頭に置きたいところです。

[ tjj***** ]

2018/8/1(水) 午前 6:25

丹波から尾張へ鏡を奉じて移動する過程で気がついたのはそれ以前から和邇氏はどうも赤土や水銀を探して尾張には基盤があったようですね。
皇族が東北に行くのにも和邇氏の鉱山探索隊がいたはずですので道案内したかもしれませんね。

菊池氏は調べるととても面白いですね!
どうも元は紀氏だったようで
紀氏自体古墳の使用石が熊本県産で九州での基盤は古代は菊池郡のようですね。
紀氏の大井氏が瀬織津姫を祀るのにそういう背景があったんですね!

菊池氏は大友氏との関わりが深く最後の当主は大友氏出身です。
大友氏も最初の当主の父近藤氏が古庄氏を名乗り弟も古庄氏ですが
古庄氏は宇多源氏佐々木氏流と小野横山党がありまさに一井氏のいた近江佐々木氏と関連ありそうです。
東北に菊池氏が多いのは皇族が東北へ飛ばされついて行ったからとあり8代の和邇系の皇族の移動と関係あるかもしれませんぬ!

今野政明

2018/8/1(水) 午前 0:52

tjj*****さん、ありがとうございます。

いわゆる闕史八代の葛城王朝は、ハツクニシラス祟神天皇に塗り替わる過程で外戚が事代主系なり磯城彦族系から物部系へと移り変っていきます。
事代主系を包摂した尾張系から物部系に移り変ったといえるのかもしれません。

いわゆる四道将軍は各々葛城王朝の皇族であるわけですが、旧体制の有力皇族が新政権から体よく畿内を追われたようにも見えます。
天照大神から寝所を共にして慎み祀れと命じられていた八咫鏡が伊勢に遷されたこととも無縁ではなさそうです。

とりわけ四道将軍の一角を成し母系において和邇臣の同祖系譜となる丹波道主命に着目するならば、その同族と思しき狭穂彦の謀反劇がありました。
謀反に加担しかけながら徹しきれなかった妹狭穂姫は、夫垂仁天皇に兄の謀を白状し、その責を負って兄と心中するわけですが、その際彼女は何故か丹波道主命の娘五人を後宮に入れることを天皇に遺言し、受け入れられております。
文学的な美談として評価されるこの譚ですが、そこにきな臭い新旧政権の相克劇が埋もれていることは推して知るべしでしょう。

[ tjj***** ]

2018/7/31(火) 午前 8:46

追加−
あと瀬織津姫を祀る九州の菊池氏が今一番住むのは岩手県のようで阿蘇に関わる和邇一井氏や阿部氏とされる佐々木氏(雀部は神八井耳の子孫と伝承されています)との関連も気になります。

[ tjj***** ]

2018/7/31(火) 午前 7:14

瀬織津姫でわかったこと

京都の宗像三女を祀っている氏族と思われるのが
宗像社→宗像氏
櫟谷社→一井氏
大井社→紀氏
ですが
大井社の瀬織津姫は阿蘇津姫のことらしく
アタカタスの片隅のあった北宮は蒲池姫を祀りますが蒲池姫は肥前国一宮川上神社に祀られる淀姫と習合しているそうで、筑前糸島の桜井神社では川上神社の淀姫とは瀬織津姫となっていて
九州の菊池氏が祀る神であり日下部吉見社の水神でもあるようです。
一井氏(高宮氏)は中世に阿蘇に帰ってますので
大井社の紀氏も紀氏から出たとされる大伴氏も瀬織津姫の阿蘇と関わりあるはずです!

[ tjj***** ]

2018/7/31(火) 午前 6:54

訂正:また間違いが?義経と書いたと思いましたら義家と書いてました。すみません。あと前9年を後と書いてました。

佐々木氏4兄弟と安達盛長は源頼朝が流人時代から一緒にいたようで安達氏はどうも源頼朝の私従だったようで母方の熱田神宮また伊勢神宮とも縁がある関係者だったようです。
もともと尾張の姫が和邇の祖先の母となっていて和邇氏と尾張氏は何らかの系譜の繋がりがあるようですし

尾張は赤土や鉄も取れ和邇氏が古代の早い時期から移住していて、特に平安時代では確か小野氏本体の居住地だったようです!

今野政明

2018/7/30(月) 午前 8:20

tjj*****さん、ありがとうございます。

安達氏は、藤原北家魚名流とされてはいるものの今一つ素性の掴めない氏族ですね。
太田亮の『姓氏家系大辞典』には「館基考一説として、文治五年安達郡を小野田藤九郎盛長に賜る、今も永田村に其の館跡ありと。されど東鑑に見えず」とあります。
さすれば、小野田姓であった盛長が安達郡を領したことにより「安達」を名乗り始めたようでもありますが、いただいたコメントからすれば、その以前から奥州とは縁があったということのようですね。
安達郡は延喜六(906)年に安積郡から分立した郡であり、その安積郡を領していたのは大伴安積連、すなわち、丸子氏でありました。
安達氏始祖盛長の前半生の小野田姓の起源がどこにあるのかはわかりませんが、仮に小野に由来するものであるならば、北家魚名流というよりもむしろワニ系氏族の色合いが濃くなりますね。

もしかしたら、鹽竈神社右宮新太夫家とも近しい氏族であったのかもしれません。


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