はてノ鹽竈

東北地方から日本史を眺めていきます。

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返信: 1679件

[ tjj***** ]

2018/7/29(日) 午後 8:34

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有給で奈良に行ってきました。東大寺古墳から和邇下神社を見学して階段を降りる途中真夏で40度近いのに体調の変化でない鳥肌と寒気に襲われ走って逃げるという生まれて初めての怖い体験をしてしまいました。
私も祖母が和邇氏高宮姓の女性だったことをそこで初めて意識してしまいこれからは古代史の調査でも神社やお寺には足を踏み入れないようにしようと思いました。
きっと古代の良房などはもっと怖い経験をしたのかもしれませんね。。

ブログ主様の最近の記事に安達氏が出てきましたが
一井氏がいる佐々木氏と安達氏の繋がりも深いものがあり、奥州藤原氏三代目に佐々木秀義の叔母が嫁いでいて
秀義と源為義娘との間に生まれた「佐々木盛綱」の烏帽子親が「安達盛長」です。安達盛長は盛綱の従兄弟であった源頼朝の乳母子のようです。
源義家が奥州藤原氏を頼ったのは昔の後9年や後三年の父親との繋がりだけでなく親戚であった佐々木氏の佐々木秀義叔母夫婦を頼ったようです。

今野政明

2018/7/26(木) 午後 4:26

zxg*****さん、ありがとうございます。

大堰川流域に宗像神ないし瀬織津姫を祀られことはその治水に関わるものでしょうが、良房が宮廷や私邸に持ち込んだことについては、怨霊に怯える自信の心情ゆえであろうと私は思います。彼がなんらかの亡者の霊の祟りに怯えていたことは、『続日本後紀』の承和十一年八月乙酉の記事からみて間違いなさそうです。

海人の入墨について、かつてはてっきり何かしらの信仰上の習慣かと思っていたのですが、あるとき漁師の方からこんな事を聞きました。
すなわち、海で命を落としたときに、遺体の身元を確認しやすいように彫るのだとかなんとか・・・。
先年の東日本大震災で惜しくも亡くなられた多くの方々、身元の確認に相当難儀していた話をあちこちから聞き及びました。皮肉にもそれによって漁師の方の話を実感として理解できました。

※2018/7/26(木) 午前 6:44のコメントが原文作成の修正過程で文意に誤りが生じていたので、削除し、入れ直しました。

[ zxg***** ]

2018/7/25(水) 午前 7:00

追加入れ墨;胸形と目形
海人には入れ墨の習慣があったらしく宗像氏は胸に和邇氏は目だったようで
一井氏から目賀田氏が出ています。(因みに目賀田氏➡銀行とかの三井氏が輩出されるのですが)
物部氏に目の名前が入る方がいますが和邇の入れ墨からきていると思われ物部と和邇の間には長く良好な通婚関係があったことが予測されますね!

[ zxg***** ]

2018/7/24(火) 午後 8:38

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藤原良房が京都の宮廷に宗像三女を持ち込み私邸でも祀った同時期に大堰川の安全祈願に3女を祀る神社が配置され櫟谷社(市杵島)と宗像社(田ゴリ)また大井社ができたようです。何故か大井は瀬尾律姫のようですが・・

大堰堰は秦氏が作ったようですが櫟氏の水を管轄する職が彼らとずっと行動を共にした理由かもしれません。高宮氏や多賀氏の女性は水龍の子孫として不思議な力を持つとされていたり、高宮氏の女性が嫁ぐ際相手先に飲み水の水路を作ったことが伝承されています。

藤原氏が水の安全に三社を勧誘したのはもともと中臣氏の首長は三上祝と通婚していましたし藤原不比等は鏡王が母方だったようですのでまさに一井氏のいた近江連合<佐々木+三上祝+息長+和邇+紀大伴+秦>?が母方の一族になるようですので藤原氏が宗像三女の信仰を持ったり春日神社を祀る強い理由だと思います。近江の連合は蘇我氏に近く持統天皇に系図を全て没収されたり、後には大友皇子を支持して随分痛い目にあいましたが
藤原氏により少し復活したからこそ中世へ繋がるのかもしれませんね。

今野政明

2018/7/24(火) 午後 4:18

zxg*****さん、ありがとうございます。

丸子を監督してた井上さん云々が思い当らないのですが、丸子一族の分布を示された歴史学者の井上光貞さんの話でしょうか・・・。もしかしたら氏はご自身の血脈への興味から当該論考に着手したのかもしれませんね・・・。
いずれ、吾田片隅命が和邇君のみならず宗像朝臣の祖とされていること、海幸山幸神話の海神、八尋熊鰐に化ける事代主命など、アリゲーターにせよサメにせよ、水生動物の鰐がトーテム的に神話化されていることなどを鑑みれば、この氏族の属性が水に密接なのは至極あたりまえの話なのかもしれませんね。

[ zxg***** ]

2018/7/24(火) 午前 5:10

吾田片隅命の片隅
阿蘇の蒲池姫のいる北宮の旧地が[片隅]というそうです。
おんが様の大国主と阿多の海人が婚姻し産まれた阿多隼人が今度は阿蘇の狗人と婚姻して産まれたのがアタカタスだったのでは。
日子八井耳と関係する阿蘇は志貴県主の神八井耳と関わり
和邇から出た息長は宝賀さんの本では多氏神八井耳の子孫とされ本拠地喜連では武甕が祀れています。一井氏の名乗った高宮である多賀大社も水沼君と関係しております。

ブロク主様の和邇の記事を読んで丸子を監督してたのが井上さんとありましたが
<本佐々木氏=一井氏和邇>は水を監督してた一族のようで一族は井や井上なども名乗っています。
東北にいたこの一族に関係する人は中世には佐々木氏として武士で大活躍してしまいほとんどが和邇ではなく佐々木氏になってしまったかもしれません。

今野政明

2018/7/23(月) 午後 3:05

zxg*****さん、ありがとうございます。

『記』において、神武天皇の父である鵜葺草葺不合の生母はその出産に際して「八尋の和邇」に化けており、一方『紀』には、神武天皇の后が、摂津三嶋の女である母と「八尋熊鰐」に化けた事代主との交わりによって授かったものとする譚もありますね。『旧事紀』もまた然り。
なにより、『紀』における初期天皇の皇后には、いみじくもその八尋熊鰐たる事代主の系統が連なっているわけですが、これが記における志木系と相対していることも併せて留意すべきと考えております。

[ zxg***** ]

2018/7/23(月) 午前 6:34

赤坂のアタカタス
和仁本家が尾張葛城氏族と縁戚で天皇に后妃を出していましたが彼らは天皇の墓を造っていました。一井氏に関係する鰐は出雲大国主ー武甕ー大御食ーと系譜が来る加茂に関係した磯部で紀の大伴氏に近い製塩の神様にされているアタカタスが先祖と思われ、アタカタスは製塩集団の統率者で本家和仁に版築工法土を塩で固め埴輪に必要な赤土を供給していたようです。関係するのが吉備赤坂や伊勢紀の太田や赤穂で塩田と赤の地名がつき和邇氏の分布も濃厚です。

[ zxg***** ]

2018/7/22(日) 午後 10:39

書き間違いがありました后妃が安倍でなくて大伴糠手と小手姫です❗

[ zxg***** ]

2018/7/22(日) 午後 10:21

最初の天皇の母方は多分鰐だったんだと思います。それはずっと続いていたのかもしれません。
安倍氏で后妃になった姫の父に鰐の名前に関係する糠がついているので母系が和邇の子供が后妃になれるのかなと想像していました。

話は飛びますが私の追っている鰐は高宮氏➡多賀宮のことで多賀大社の近くが本拠地です。安倍と関わる佐々木氏にいる和邇ですので東北の多賀城にも何か関わるかもしれませんね!
多賀大社は聖徳太子に創建が関わり胡宮があります。中国より西の地域から来た秦氏と縁戚だったことに関わっているようです。高宮氏も縁戚ですが犬上君多賀氏は鉄や穴師に関わり白山菊理姫や猿楽が伝わっています。
因みに和邇氏は水運水銀鉄輪西だけでなく全国の鰐さんは塩造りにも深く関わっているみたいです。


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