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孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
亀の備忘録
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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[ zxg***** ]
2018/7/21(土) 午後 0:14
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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[ zxg***** ]
2018/7/21(土) 午前 11:55
宣化天皇の時代阿部臣が近江の伊賀臣を遣わして屯倉の殻を筑紫へという記述があり阿部臣が伊賀臣を使役していたので近江に全く痕跡がないとは言えませんね。
大彦自体、母が穂積物部出石心+三上祝新河小楯姫の娘のウツシシコメなので、大彦の母系は三上祝ですので近江が基盤です。またウツシシコメから4代下った穂積物部の建新河命の娘が蘇我石川宿禰と羽田宿禰を生んでいるようです。(新河という名称は三上祝に関係している名称です。)古代に重要な母系で蘇我石川氏と三上祝&和邇一井氏は関わりがあるはずです。
近江では三上祝&一井氏のいる佐々木氏は蘇我氏と関わりがあり居城観音山も聖徳太子にゆかりがあります。また佐々木の同族となってしまっている愛智秦氏は秦河勝の子孫です。小野妹子も墓が聖徳太子の墓のある科長にあり和邇小野妹子と蘇我馬子の娘が月益日益と聖徳太子の乳母だった伝承があるようです。
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
亀の備忘録
zxg*****さん、ありがとうございます。
限られた字数の中に納められた労力がそこはかとなくうかがい知れます。
間違いなく相当な情報量が詰め込まれておりますよね・・・。
恥ずかしながら、近江の歴史なり佐々木氏なり一井氏なりについて深掘りしたことのない私の予備知識では、何かしらの資料を手元に置きながら向き合わないと咀嚼できなさそうです・・・。
それでも、いただいた情報は、後に頭の中で神経衰弱ゲームのように結びついてくるに違いない、という気配のようなものは感じております。
とりあえず、父系・母系云々の話は即座に腑に落ちました。
特に神託が政治に直結し得る古代においては、女系相続の可能性についても想定すべきだと私は考えているからです。
ところで和珥氏本宗家を阿倍氏とみることへのネガティブ要素として、近江に阿倍氏の痕跡が薄いことを挙げられておりますが、私は、継体天皇の出自や太子信仰の本質にそのあたりの何かしらの鍵が隠れているように想像しております。『上宮記』が逸文でしか残っていなのは残念です・・・。
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[ zxg***** ]
2018/7/17(火) 午後 8:49
孝元裔族と孝昭裔族の属性の混乱
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[ zxg***** ]
2018/7/17(火) 午後 8:05
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亀の備忘録
[ zxg***** ]
2018/7/17(火) 午後 7:28
あべ文殊院には捨て子の伝承があるようですが、
大彦が捨て子を拾って育てたと言われるのが佐々木山公だったようです。確か沙沙貴神社では阿部氏は佐々木山公の子孫となっていて新撰でも佐々木氏は阿部氏と同祖となっています。
「和邇氏と春日」という記事を書いた方のブログで読んでみられたことありますか?その方の意見では十市郡にいた阿部氏が倭に進出しそこで一井氏と通婚したか一緒に春日に進出しその後その一族が近江に還ったようなことを言われていましたが⇒それが近江の一井氏?
自分は元々近江の一井氏を調べていますがこの氏に関しては
紀氏が外戚にいて近江以前の痕跡では秦氏と一井氏は常に一緒に同族のように行動していたようです。河内や太秦広隆寺にも秦氏のいるところに一井または高宮(一井氏の名乗った姓)の名前が残り、松尾大社の櫟谷社は市杵島姫が祀られ事代主が祭神で秦氏が祀っています。また櫟井氏が祀った和邇の先祖の日触八幡は武内宿禰(紀氏の祖)と宗像三女神(息長三上祝に関係)や藤原氏の痕跡が残っています(ご存知の通り藤原鎌足や不比等は大伴氏や三上祝と近い鏡王とその子額田王と血縁関係にあったかもです)
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[ zxg***** ]
2018/7/15(日) 午前 7:12
近江の本佐々木氏の系譜が参考になるかもしれません。佐々木氏は大彦の子孫とされ阿倍氏も一部系譜ではその子孫とされていますが
本佐々木氏から一井氏や真野氏を名乗るものが出ています(一井家識など)。一井氏は和邇氏族で和邇下神社や近江八幡の日触八幡の神官で一井氏から和安倍氏が出ています。
この和邇氏は大彦の子孫と通婚により古代から同族化してしまったものと思われ
この系譜からは三上祝(息長氏)や建部氏愛智秦氏も出ておりやはり通婚で同族化してしまっております。大伴氏ともこの一族は近い関係です。
因みにこの佐々木氏と通婚していた和邇一井氏には古代磯城氏の血も流れていたのでしょう。それで和安倍氏は十市郡を本拠としているのではないでしょうか?
和邇氏は物部氏と共に石上神宮の神官をしていますし
和邇から出ている[物部額田]は名前から磯城氏と関係ある額田氏に養育されたのではと思われます。



