東北地方には縄文時代以来の遺跡がたくさんあります。しかし、いわゆる日本史に東北地方が登場するのは、だいぶ時代が下ってからです。おそらく、東北地方は外国だったのでしょう。
そんな東北地方に散らばる歴史の断片は、ときに日本史にとってとても大切なことを気づかせてくれることもあります。そのような断片を私なりの想像も交えながら紡いでまいりたいと思います。
ブログタイトルの「はてノ鹽竈」とは、紀州和歌浦の鹽竈神社の由緒による、奥州一ノ宮の鹽竈神社の俗称です。
実は、鹽竈神社の謎はもちろん、東北地方の歴史のもろもろの不思議に対する私の考えを表現するには、この紀州和歌浦の鹽竈神社が語る「はてノ鹽竈」という響きほど絶妙なものはなく、また、その語感をなかなかに気に入っております。それでブログのタイトルにも使わせてもらいました。
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東北大学付属植物園の中に屹立する通商「モクリコクリの碑」が”陸奥州主」を祀っていること、七海雅人氏が『鎌倉幕府の陸奥国掌握過程』で論じていますが、北条時宗の岳父・母の従兄でもあった安達泰盛を指しているものと読んでます。今野さんの指摘で「うん!」と手を打ったのが「安養寺」です。槙島観音は「旧安養寺」の寺領にある…と見ています。燕沢には「安達一族」が多く住まいし、「蒙古碑」に関わった人なども安達氏でした。観音堂脇に「蒙古碑跡」と記した石を建てたのも昭和55年当時町会長を務めた「安達進七」氏です。ただ彼はこの石に書き込んだ説明文が、後の「移転時期」お調べる上の障害となることには気づいてませんでした。
この石に刻まれた文言を根拠とした「碑の移転〈槙島⇒善応寺〉」の年月を「昭和16年2月26日」と読める書き方であった事です。 この日は蒙古の徳王が来仙し碑を詣でた日です。これを機に移したと書いたのを「移転日」と読めたのでしょう。仙台には彼方此方に安達姓が集中する地域があるそうで、やはり鎌倉武士たちの末裔なのでしょうね
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ボールド
初めて参加させて頂きます。年をとって「地元」への関心が起きて来ました。近所の神社や、川。地名にまつわる故事など、面白く追いかけています。教えて頂くと有り難いのですが「羽山の神」が平地にも鎮座するワケ。
殆どは「小奇麗な山容の山に・・・」あるとのこと。田圃の中の「羽山さん」は稀少な社でしょうか?
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こんにちは
不躾な質問で恐縮ですが、ネット上で「長脛彦の石碑」なるものが、かつて(20年くらい前)に
塩釜神社境内に在った(写真で見た)とのコメントを目にしました。
何か情報をお持ちですか?
もし、不都合な質問でしたら、聞き流して下さい。
すいません。
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