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和歌山県和歌山市和歌浦に「玉津島神社」という古社があります。
社伝を信頼するならば神代以前からの極めて古い由緒をもつ神社ということになりますが、その伝統ある古社のもともとはほんの「祓い所」に過ぎなかった聖地が、大正六年(一九一七年)という歴史を遡る上ではごく最近のような時代にいっぱしの独立した神社になりました。
名を「鹽竈神社」といいます。
一応は宮城県塩釜市にある奥州一ノ宮「鹽竈神社」の分社といっていいのでしょうが、この紀州和歌浦の鹽竈神社は、その大正六年の分祀によってはじめて神社として成立したという類のものではないようでして、単にその年公的に改称許可を得ただけで、それ以前には「窟神社(元窟神社?)」と称していたようなのです。
現在の和歌山市は、吉野や高野山といった聖なる地を上流とする「紀ノ川」が、その河口において淡路島あたりからの海流と力を合わせて集め続けた砂洲上に発展した都市です。かつての紀ノ川は自らが築き上げたはずの砂洲に阻まれて、大きく左折して南下していたようです。おおよそ現在の「和歌川」のルートで、玉津島神社や「窟神社(元窟神社?)」がある和歌浦あたりから海に注いでおりました。
たとえば高野山などは弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)によって精舎が開かれたわけですが、そもそもこれらを抱きかかえる紀伊山地一帯の日本史における歴史は深く、かつ神々しいものです。紀伊山地で産声をあげる大河として、例えば東の伊勢湾へ流れ下る「宮川」の河口あたりには「伊勢神宮」があり、南へ下る「熊野川」は「熊野本宮・速玉」の両大社を駆け抜けて一気に熊野灘へ流れ落ちております。流れ落ちるといえば、熊野三山の残る一社である「那智大社」などは、我国を代表する名瀑「那智の滝」そのものがご神体でもあります。そして吉野や高野山から集めた聖水を西の海、すなわち紀伊水道へ送り出すのが紀ノ川です。その聖なる川の河口に玉津島神社とこの元窟神社すなわち紀州和歌浦の鹽竈神社は鎮座しております。
往昔から窟神社(元窟神社?)という名前だったのか、もしかしたらその前の呼び名があったのかどうかはよくわかりませんが、とにかくひとつの神社としてのそれなりに独立した由緒らしきものもあるようで、それは玉津島神社の主祭神である「丹生(にゅう)明神」と無縁ではなさそうです。丹生明神とは、紀ノ川の上流にある世界遺産「丹生都比売(にゅうつひめ)神社」の主祭神でもあり、その名も「丹生都比売命」のことでもあります。司馬遼太郎氏は『空海の風景』の中で、この神について空海以前からの高野山の地主神と推測し、かつ、このあたりで丹生(水銀)を採掘していた人々の氏神でもあろうとしておりましたが、この扱いの低そうな窟神社(元窟神社?)あらため鹽竈神社は、深追いすればなにか次々と面白いことを教えてくれるのかもしれません。
ところで東北地方のよもやま話を語ろうとしている私が、何故本家陸奥よりも先にこの紀州和歌浦の鹽竈神社の話をもってきたのか、もちろん理由があります。実は山下三次著『鹽竈神社史料』に記されたこの社に伝わるほんのさもない「一説」が私の好奇心を大きく揺さぶったのです。
──引用──
和歌山縣海草郡和歌浦町字明光坪|鹽竈神社|無格社|祓戸神四座|
由緒。古へ天野丹生明神ノ神興玉津島へ渡御ノトキ此窟ノ内ニ渡セシ故ニ興窟ト云ヒ又興洗岩トモ云フ元窟神社ト稱セシヲ大正六年十一月二十二日鹽竈神社と改稱許可。
〔一説ニ、鹽槌翁ノ法ヲ傳ヘラレタル處十三箇所アリテ和歌ノ浦ノ鹽竈ハ其ノ九箇所目ニアリ奥州の鹽竈ハ十三箇所目ニアリテ世に之ヲ「はてノ鹽竈」トイフ――大正十五年三月該社ノ調査ニ依ル〕
下世話ながら現代風に訳しますと、「天の丹生明神の神輿が現在の玉津島神社に渡ってきたとき、この窟の中(紀州鹽竈神社のある窟)に渡られたので興窟(こしのいわや)といい、輿洗岩(神輿を洗い清めた岩という意味か)ともいう。元は窟神社(元窟神社?)と称していたが、大正六年十一月二十三日鹽竈神社と改称する許可を得た。」ということになるのでしょうか。
その後にカッコ書きで続く付録の一説が問題なのです。
「一説(大正十五年三月当該社の調査)によれば、鹽土老翁神(しおつちおじのかみ、鹽竈神社の主祭神)が法を伝えた、すなわち製塩方法を伝えた場所は全国に13箇所ある。和歌浦の鹽竈神社はその9箇所目で、奥州の鹽竈(鹽竈神社の総本社)はその最終13箇所目であり、世にこれを「はてノ鹽竈」という」というのです。
つまり紀州のそれは「鹽土老翁神の法」においては、本社より先輩にあたるということになります。なにより、最大かつ元祖であり本家であるはずの奥州一ノ宮(陸奥)鹽竈神社は紀州和歌浦の後輩であるだけではなく、なんと「最終」なのだそうです。ご丁寧に「世に之ヲ「はてノ鹽竈」トイフ」と念を押されております。
実は鹽竈神社のもろもろの不思議に対する私の考えを表現するにはこの紀州和歌浦の鹽竈神社が語る「はてノ鹽竈」という響きほど絶妙なものはなく、また、その語感をなかなかに気に入ってもいます。だからこそそれをブログのタイトルにも使わせてもらったのです。
次回は、本家陸奥の鹽竈神社の境内を歩いてみたいと思います。
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