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秋田県には、男鹿半島を中心にあまりにも有名な「なまはげ」なる伝統的習俗が存在しております。私にとってもあらためて調べて知ったものでもなく、いつのまにか常識的に知識としてしみこまれていたものでもありますが、言うまでもなく「なまはげ」は鬼でございます。
男鹿半島付近でのその行事は町ぐるみの迫真の演技で子供を騙し(?)ます。 念のため大筋を振り返っておくと、なまはげに扮した者たちは、「泣く子はいねが」などと怒鳴り散らしながら家々を巡り歩き、例えば親の言うことを聞かなかったり、泣き虫な子供をさらいにくる(厳密には怠け者の嫁をも戒める)わけですが、何故か家主たちはそんな鬼たちをもてなし、おとなしく帰っていただく、という習俗でございます。 男鹿の「なまはげ館」のスクリーン映像を観賞するに、子供達は演技でもなんでもなく、本気で恐怖を抱き、ただただ逃げまどい隠れるのみなのですが、興味深いのはなまはげを演ずる者のみならず、家族を守ろうとする「一家の大黒柱」たちも、迫真の演技というよりも、あたかもまるでなにかにとり憑かれた如く各々の役をこなしているのです。映像を見ていると、子供を騙す(思い知らせる)ということよりも、なにかもっと切実なものを感じ、心の奥深くに食い込んでくる迫力があります。充分に神聖なる儀式のように感じられました(まあ、実際そうなのでしょうが)。 最近、件のなまはげがこともあろうに女湯に乗り込み観光客の女性の体を触ったという。 このことをきっかけとして、芋づる式に同様の被害報告もあきらかになり波紋を呼びました。 もちろん法治国家として許すべからず問題ではあるのですが、もしこの一件をもって「なまはげ」という習俗に規制を発し、いわば去勢する動きがあったならば、それは声を大にして阻止せねばなりません。 ペナルティはあくまでわいせつ行為に走った若者個人の問題でございます。これは純粋にわいせつ事件なのであり、習俗そのものに原因を求むるべきものではありません。 この一事は観光化しすぎたが故の弊害とも思えます。町おこしとしてやむをえないものではあるのでしょうが、なまはげがマスコット化しすぎ、演じる者の意識も低下したといえるのではないでしょうか。 実はこのように社会的な問題になるのは決してはじめてのことではなく、かつてもそれに近い乱暴狼藉はままあったようで、明治以降の近代社会では幾度かなまはげという習俗の受難があったようでございます。 しかし、男鹿の人達はそんな受難からなまはげを守り続けてきたのです。いや、なまはげ自体がもつ霊力のようなものが受難をはねのけていたのかもしれません。 現代のようなニヒリズムな社会では特に形骸化せざるを得ませんが、男鹿の地においては、これは観光の目玉などという矮小なものではなく、そもそも神事であり、ある意味では法律を超えた存在でもあるはずなのです。 だからこそなまはげは恐怖であり、その舞台を演じる者たちは主客ともに迫真で、より意味を成しているでございます。なまはげを演じる者はそれだけの覚悟を持って望んでもらいたいと願います。 ついでまでに、最近、岩手県奥州市水沢区の黒石寺の蘇民際も違う意味で物議を醸しだしました。 公の場に陳列されるJRのポスターにおいて、男性の胸毛がセクハラ(?)にあたるというのです。 モデルの男性こそいい面の皮ですが、その方は前年度(?)の蘇民際の栄誉ある勝者でいらっしゃるそうです。蘇民際は、1000年は軽く遡れる――ひょっとしたら蝦夷の時代にまで遡れる可能性すらありそうな――伝統ある習俗であり、その祭りを制した男性は紛れもなく英雄なのです。そのときの神聖なる雄叫びの瞬間らしき写真がそのように受け取られてしまったわけです。 もし現代、オリンピック水泳競技金メダリストの胸毛が仮に剛毛だったとして、その喜びの瞬間のポスターが公の場に貼られたら、それはやはりセクハラなのでしょうか・・・。 近年その祭りにはいわゆる男色の方が違う目的で参加するようになっていたようで、そういう傾向を阻止するためにも色々と規制が入るようになってきたとのことです。やむを得ないことなのでしょうが、それらのニュースを見ていて、なにか寂しいものもよぎりました。 ちなみに、その黒石寺にも慈覚大師円仁開基の伝承があります。 |
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2008年12月20日
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